「茶の湯の文化を識る」〜茶の湯の建築〜を聴講して

茶道は、京文化にとって欠かすことのできない日本を代表する伝統文化です。
この講座は、茶の湯の歴史をわかりやすく、楽しく学びます。

今回は「茶の湯の建築」というテーマで、山上宗二記と桃山の茶室について学びました。
山上宗二記とは、千利休の一番弟子・山上宗二(安土桃山時代)が記した茶道具に関する秘伝書です。

自然と共生する日本の建築

最初の“近代建築と日本”では、西洋と日本の建築の違いについてのお話でした。
もともと西洋人は「自然は敵(征服するもの)」というような概念を持っているため、建築も自然に対して閉鎖的であり空間がきっちりと区切られています。
それに対し日本はもともと自然と共生するという概念を持っているため、建築も自然と一体化しており、川の上に建物が建っていたり、建物の中と外の境界線が曖昧で外から内へ徐々につながっていく(土間庇等)のが特徴です。
日本の建築は西洋から大変注目され、特に鎖国時代の独特の日本文化が西洋に流れ込んだ際は、西洋のコンクリート素材中心の“重い建築”に対し、紙の素材などを利用した日本の“軽い建築”が注目されたようです。

茶室の歴史を垣間見る

また山上宗二記の茶室の記録の中では、茶室の建築手法や、茶室のお客の入り口の変遷のお話などがありました。
例えば、もともと町家の裏庭は共同スペースになっており、その中でどこか限定された空間がほしいために裏庭を区切ったスペースが“坪ノ内”という空間です。
その頃茶室の入口は“坪ノ内→貴人口(立ったまま入れる入口)→茶室”でした。
そのうち、“躙口”という小さな出入口が出現し、茶室の入口は“土間庇→躙口→茶室”へと変遷していきました。躙口は小さな限られた入口のため、坪ノ内が必要なくなったということでした。

日本人らしさ。曖昧さは調和を、工夫は配慮を

今まではあまり意識したことがありませんでしたが、建物と自然が調和している(境界が曖昧)なところ、入口一つにしてもいろいろな工夫(配慮)があるところ、部屋の広さで謙虚さを表すなど、日本の建築には日本人らしい要素がたくさん散りばめられているのだと改めて感じました。
またお茶の世界には茶道具だけではなく、茶室にも様々なこだわりがあることを知ることができました。

受講生:北神 理紗子(Kitagami Risako)


次回「茶の湯の文化を識る」は、9月27日午後1時から行います。
テーマは「古田織部」です。

初めての方も、ぜひお気軽にご参加くださいませ。

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参加者の声 

多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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