嵯峨野文化通信 第68号

 伝統文化プロデュース【連】メールマガジン 
 
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              〔嵯峨野文化通信〕 第68号
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         日々の暮らしに「和」の魅力をプラスしてみませんか?

    伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に

          ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。

         京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
               毎月1日・15日(月2回)

★VOL:68(2008/12/15)
 
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 ┃も┃┃く┃┃じ┃
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  ○【連】からのお知らせ —————————— お茶会コーディネート
  ○(連載)『丹後と京都』—————————– 第六回「丹後半島」
  ○(連載)『ニッポン城郭物語』———————– 第三十五幕〜向島城の話〜
  ○【連】学藝倶楽部たより
  ○[嵯峨野学藝倶楽部]12月開講講座のお知らせ
 
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 【連】からのお知らせ
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 ○お茶会コーディネート

  お茶というと、堅苦しくて行儀作法が難しいものというイメージをお持ちの方が多いの
 ではないでしょうか。【連】では、気軽に楽しんでお茶事を学ぶことができる場をプロデ
 ュースしております。
  日本文化を体験してみたい外国人の方から、今まで日本文化に触れる機会がなかった主
 婦の方、小学校のお子さんまで・・・一度、深く日本文化を感じてみませんか。
  人数に合わせてコーディネートいたします。お気軽にご相談ください。

  【連】HP
  http://www.ren-produce.com/tyakai/

  ご相談・お申込みはコチラまで
  info@ren-produce.com

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                             (連載)『丹後と京都』
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                第六回 「丹後半島」                   
                                    太田 達

  夕日が浦地区は名前のとおり、実に夕景が美しい。映画『砂の器』で、中居正広と松雪
 泰子が夕日を眺めた海岸である。この地区を歴史的にみると、浜詰と木津の二集落にわか
 れる。東から続く間人や琴引き浜の、まさに詰めである浜詰と、天平の時代からの温泉地
 である木津である。行基が傷を癒す白鷺の姿をみつけたことが、温泉の発見に繋がったの
 で「しらさぎ温泉」ともよばれている。

  明治以後、それぞれの地区に浜詰小学校と木津小学校が設置され、戦後過疎化の流れの
 中で、昭和47年に統合され「橘小学校」となった。なぜ、浜詰と木津をあわせて「橘」
 なのか。近くにその地名があるわけでも、産物でもない。
  実は、この木津の古名が「橘」(キツと読ませる)であり、後世一字表記の地名を廃し
 たときに、木津としたと伝えられている。では、何故「橘」と、この地を銘名したのであ
 ろう。この地の海岸に函石浜遺跡という弥生期の遺跡が発見されているが、ここが「田道
 間守(たじまもり)」の再上陸地とされてきた。

  皆様は、菓子の神様「田道間守」をご存知だろうか? 但馬の豪族で、新羅王家のアメ
 ノヒボコの血を受け継ぐ「田道間守」は忠実な帝臣であった。11代垂仁帝の命を受け、
 不老長寿の仙菓である「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を探しに旅に出た彼は、よう
 やく10年の後にビタミンCなどが多く含まれる『橘』の果実を見つけた。これをたずさ
 え、様々な苦労の末に上陸したのが、この木津温泉なのである。

  「たちばな」から、「橘」(きつ)、木津への変化は予測を越えているのではないだろ
 うか?また、この「橘」は、天皇家のシンボルとなる。実は私、インドシナから帰国した
 ところであるが、彼地では此の時期、マーケットや道ばたでも、水上の小舟でも、葉付き
 金柑のような小さな小蜜柑を山盛り籠にいれてあるのをよく目にするのである。もしや?

  田道間守はどこから、この浜に戻ったのか次号にて考察したい。           
                                   ―つづく―

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                          (連載)『ニッポン城郭物語』
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              ―第三十五幕― 〜向島城の話〜             
                                   梅原 和久

  前回取り上げた伏見城に隣接して、実はもう一つ城があった。それも秀吉が築城し、彼
 の死後は家康が入城した、という派手な経歴を持つ城である。にも関わらず、城に関する
 書籍等でも紹介されることはまずなく、地元の人にさえもその存在が知られていない城、
 それが向島(むかいじま)城である。城があった辺りは現在、向島ニュータウンとなり、城
 の面影は全く残っていない。わずかに本丸町や二の丸町といった地名が残されているだけ
 である。

  京都には重要な史蹟や遺構がありすぎて、近世以降のものなどは軽視されがちである。
 しかし、歴史上の超有名人が係っており、他の地域であればこれ一つで町おこしができる
 ほどの素材でもある。こういった隠れた史蹟を紹介するのも連載の役目、ということで、
 今回は向島城について。

  かつて伏見の南には、巨椋(おぐら)池(※1)という大きな淡水湖があった。宇治川
 ・木津川・桂川とつながっているために、奈良時代から水上交通の中継地となっていたが、
 その巨椋池に浮かんでいた島の一つが向島である。伏見から見て向かいの島、ということ
 だろう。秀吉の伏見城築城の際には、洪水対策と陸上交通整備のために堤防の構築(※2)
 や大規模な河川改修が行われたが、その一環として宇治川には豊後橋(現在の観月橋)が
 架けられた。この橋は御殿の長廊下のように、屋根のある「鞘橋」であったというが、そ
 の目的は、宇治川をはさんで築かれた2つの城、伏見(指月)城とこの向島城をつなぐた
 めであった。

  ここに城を築くという発想は、秀吉の伏見築城に協力するために、家康が向島に構えた
 私邸に始まる。文禄3年(1594)、家康はここで観月の宴を催し、秀吉を招いたのだ
 が、これに感銘を受けた秀吉が2年後の慶長元年(1596)、伏見城の対岸に、月見の
 ためだけの城を築いた。それが向島城である。川を挟んで城を2つ築くなど、秀吉以外の
 誰も考えないし、実現しようともしないはずだ。伏見城の出城という意味もあっただろう
 が、風流の極みと言え、さぞかし意匠に富んだ城だったことだろう。建物の様子を伝える
 絵図等は残念ながら伝えられていないが、本丸・二の丸・三の丸・馬場という四つの郭が
 独立しており、それぞれ橋で行き来するという構造になっていたようである(※3)。

  秀吉の死後、向島城は家康の居城となったが、元和6年(1620)に伏見城とともに
 破却され、廃材は東本願寺伏見別院の建立に寄付された。ただ、その建物も老朽化のため
 平成2年(1990)に解体され、向島城の遺構が完全に消滅してしまったのは残念であ
 る。
  
 (※1)江戸時代までは一般に大池(おおいけ)と呼ばれていた。周囲約16キロ、
     水域面積も約800ヘクタールあったが、水深はわずか1メートル足らずで
     あり、「巨大な盆」のような湖だった。昭和の初めに干拓されたために、伏
     見城や向島城の姿を水面に映していたころの景観は、現在では偲ぶべくもな
     い。
    http://www.ne.jp/asahi/mukaijima/ninomarukita/niyuutanseiritu.html

 (※2)中でも、巨椋池の中を縦断する小倉堤は別名太閤堤とも呼ばれ、堤自体が伏
     見と奈良を結ぶ大和街道となった。現在でもこの太閤堤の上を近鉄京都線が
     走っている。
    http://218.228.195.159/~ushisan/images/ogura3.images/tsutsumi.gif

 (※3)「豊公伏見城ノ図」より。図の下方に「徳川大納言源家康公御屋城」とある
     のが向島城である。
    http://www.ne.jp/asahi/mukaijima/ninomarukita/mukaijimajyo.html

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  【連】学藝倶楽部たより
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  メルマガの最後に、「嵯峨野学藝倶楽部」なるもののお知らせがあるけれど、いったい
 どのような教室なのだろう?実際に教室に通っている方はどう感じていらっしゃるのだろ
 う? 興味はあるけれど、そう躊躇しておられる方も多いのではないでしょうか。
  メルマガ編集者である私、松田も教室に参加されている皆さんに感想をおききしたい!
 ということで、早速受講生の方の「生の声」をおききして来ました!
  今回は中村先生の講座『京都歴史講座』の受講生の方にご協力いただきました。

 ・『京都歴史講座』を受講されたきっかけ・・・

  中村先生の書かれているブログや、先生の他講座でお知りになった方が多いようです。
 お知り合いの方から紹介してもらったという方もいらっしゃいました。

 ・『京都歴史講座』の魅力や、おすすめは?・・・

  中村先生の講座は、京都に建っている身近な石碑についてのお話であり、「道端に建っ
 ている、何気ない石碑に興味を持つことができる」といった声をききました。
  歴史の中の新しい発見だけではなく、今話題の歴史ニュースを先生独自の視点から解説
 してくださるそうで、講義をきいたその日から日常のさまざまなところで役立てそうです
 ね。
  また、同じ場所で講義を受けることから受講生同士の交流も生まれているそうです。
  教室形態が「寺小屋風」なところも和気あいあいとした雰囲気づくりに一役かっている
 のかもしれないですね。
  ある方の回答では、中村先生ご自身が講義の魅力だそう!! 時々脱線をされるそうで
 すが、それも楽しみのひとつではないでしょうか。

  皆さん毎月の講義を、とても楽しみにされているようです。
  1回ごとの受講が可能です。特にお持ちいただくものもございません。
  普段の日常生活の中で、新たな発見をしてみませんか?
  次回は 12月21日(日)午前11時〜12時30分 です。

  お問合せ・お申込みはお気軽に下記までご連絡ください。
  sagano@ren-produce.com

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 ◆[嵯峨野学藝倶楽部] 12月開講講座のお知らせ ◆
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 詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/club/をご覧下さい。

 ★「茶道教室(水曜日コース)」
  日程:12月3日、17日(いずれも水曜)
  時間:午後1時〜6時(ご都合の良い時間にお越しください)
  講師:西村 宗靖・太田 宗達
  ※見学/体験も、受付けています。

 ★「茶道教室(土曜日コース)」
  日程:12月6日、20日、27日(いずれも土曜)
  時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間にお越しください)
  講師:西村 宗靖・太田 宗達
  ※見学/体験も、受付けています

 ★「今様・白拍子教室」
  日程:12月6日、20日(いずれも土曜)
  時間:午後1時〜2時(60分)
  講師:石原 さつき
  ※見学/体験も、随時受付けています。
  性別・年齢・経験は問いません。

 ★「京文化を語ろう」
日程:12月20日(土)
時間:午前11時〜12時30分(90分)
  講師:太田 達
テーマ:「茶道・華道」
参加費:1回1,000円(茶菓子付)

 ★「京都史跡ものがたり〜三宅安兵衛の石碑をたずねて」
  日程:12月21日(日)
  時間:午前11時〜12時30分(90分)
  講師:中村 武生
  テーマ:「山科毘沙門堂」
  参加費:1回 1,000円 (茶菓子付)
  ※1回のみの参加も、受付けています。
 
 ●URL
  http://www.ren-produce.com/sagano/club/
 
お問合せ・お申込みはコチラまで→sagano@ren-produce.com

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  大学に入り、親元を離れてから1年と半年・・。ようやくりんごの皮をするするとむく
 ことができるようになりました。
  何事も経験と慣れですね!

  次はジャガイモの皮を包丁でむくことができるようになりたいです!

                                  (まつだ)

     [次回は、12月15日(月)に配信予定です!次回もお楽しみに。]
 
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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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