「信仰からみる京都」のお手伝いと受講をされたボランティアスタッフの北神さんから
聴講レポートをいただきました。以下に掲載いたします。
さまざまな文化を生んだ京都ですが、そこには信仰、宗教が必ず関わってきました。
「信仰からみる京都」は、京都の文化を深く知るための講座です。
これまで「宕陰・京都人と愛宕」、「嵯峨・平安遊宴の地」、「賀茂・葵の聖地」、「大原野・道理と風流」など様々なテーマで開催されましたが、第七回目7月9日(土)に開催された内容は、「山科・京の縮図」でした。
山科には毘沙門堂、日向大神宮、山科神社、安祥寺、西本願寺 山科別院、東本願寺 山科別院、隨心院、大石神社など様々な寺院・神社があります。山科区四ノ宮の諸羽神社には、人康親王に纏わる史跡が残っています。
人康親王は平安時代前期の皇族で仁明天皇の第四皇子ですが、病気を理由に出家し、出家後は諸羽山の麓(山科区四ノ宮)に隠棲していたと言われています。人康親王は盲目であったため、隠棲時に盲人を集めて芸能を教えていたそうです。
他に人康親王に纏わる場所としては、同じく山科区四ノ宮の徳林庵にある蝉丸・人康親王供養塔や、人康親王を開山として創建された十禅寺などがあります。
また平安時代の風景を今に伝え見事な庭園がある勧修寺<宮道弥益邸宅跡>には、宮道列子が祀られています。宮道列子は官人の娘でしたが、身分が格上の藤原高藤と結ばれ、藤原高藤との間に生まれた娘が醍醐天皇を産んだため、天皇の外祖母として晴れがましい身の上となりました。源氏物語に登場する「明石の君」のモデルは、宮道列子ではないかという説もあるようです。
他にも第38代天智天皇の陵である御廟野古墳や、創業1700年という福田金属箔粉工業株式会社のことなど、本当に様々なお話を聞くことができました。
私は京都に住んでいた経験もありますが、山科区についてはほとんど知識がなく訪れることもありませんでした。
しかし今回の講座で山科区の様々な建物や場所にある歴史的背景について学び、改めて京都の奥深さと歴史を感じました。
また今まで興味のなかった場所を訪れてみたいと思うきっかけともなりました。