講座「皆川淇園を読む」は、弘道館を創設した皆川淇園に関する文章を、講師の松田清先生(京都大学名誉教授)とともに、読む講座です。
近世京都学会との共催で行われており、第1回シリーズ「淇園を読む」は、5月からスタート。第1回目は、皆川弘道先生墓表、今回の第2回目は、白烏賦を読みました。なお、今後、7月の第3回は、感恩斎記・楽斎堂記、9月の第4回は、送静山公序文を予定しています。
第2回の白烏賦は、皆川淇園によって書かれたもので、正確には、「白烏賦並序」といいます。これは、世の中が飢饉などに見舞われていた、天明6年(1786年)12月に京の城南にて捕らえられた中、烏の話です。
白烏賦では、以下のようなことが書かれています。
その烏は、とても珍しい赤と白の混じった烏で、当時の天皇であった、光格天皇に献上されました。そして、円山応挙によってこの烏の絵が描かれ、その後もとの林に戻され、京都の市民に捕獲することのないよう、命じられたことが記載されています。淇園は、応挙の家で、ひそかにその烏の絵を観、姿に関する詳細な解説を記載しています。
中国古代、赤や白の烏は、皇帝の孝感、つまり、親孝行な皇帝に対して天が送りものをしたということ、を表すといわれていました。そのため、この烏が表すところは、光格天皇の孝や徳を称えるものであり、平和な世が永遠に続くことを願うと、翌年の正月に書いたとされています。
わたしは、烏というとあまりいい印象をもっていませんでした。しかし、烏は反哺の孝がある、すなわち、口移しで親が子に餌を与える哺乳類で、年を取ったら今度は反対に子から親へ餌を与える、親孝行の象徴であったということに驚きました。
また、天皇は、この烏が献上され、円山応挙に絵を描かせた後、烏を林に放ち、京都の民に対して捕らえないように戒められたということが書かれています。天皇であれば、そのまま手元に置いておきたいのではないかと思いますが、烏を自然に返し、かつ、捕らえることがないようにと民へ命じるところは、生き物を大切にしていたことがよくわかりました。
これらの白烏の表すところの意味を述べている箇所は、孝行や天を重んじるといった儒教的な考え方がベースにあり、天皇の政治への賛辞と期待が込められているように思います。
一人で漢文を読んでいくのは大変ですが、講座の中で、烏が象徴している意味といったような、表現や言葉の意味や意図を解説してもらいながら、読み解く楽しさを感じました。
そして、この文章が書かれた翌年、京都では天明の大火が起こります。それを免れた幸運を感じながら、皆川淇園のいた弘道館という場所で読み解いていくと、どんな気持ちで書いたのだろうかと、想像してみたくなりました。
白烏賦を読んで、街角で出会う烏の印象も変わりそうです。そして、どこかで出逢う小さなことが、なにかの兆しかもしれないと、思いを巡らせてみようと思います。
受講生:山本真理子さん
次回、淇園を読む講座は、7月17日(日)、9月18日(日)に開催いたします。
どなたでもお気軽にご参加くださいませ。