幼い少女
光源氏の人生が動き始めるのが、この「若紫」の巻です。
この巻で、二つの大きなできごとが源氏を待っていました。
一つが、連載の一回目でもお話した、少女時代の紫の上との出会いと、自邸への迎え入れです。今回はこの話をしましょう。紫の上は母親を亡くしており、おばあちゃんのもとで育てられていました。父親はいますが、その父親の妻がおそろしい人でした(ご存じのように、平安時代の男性貴族は複数の女性と結婚していました。)。おばあちゃんは、継母に紫の上がいじめられるのを心配して、ひきとっていたのでした。しかしながら、人生五〇年の時代、いつまで孫娘を守ってやれるか、心許なくおもっています。そんな中、源氏は紫の上をみつけたのでした。
源氏と結婚したら一件落着と思いきや、そう簡単に話は進みません。なぜなら、紫の上はまだ子ども。結婚のはなしなどまだまだ先の、少女なのでした。紫の上のおばあちゃんである尼君は源氏の打診をかたくなに拒否し続けます。
紫の上も非常に子どもっぽく描かれます。おもしろい場面をすこしだけご紹介しましょう。北山の療養中に紫の上みつけた源氏でしたが、都に帰ってきても、源氏は尼君に紫の上との仲を認めて欲しいとしつこく迫ります。一方で尼君も依然として拒否を続けます。源氏は、尼君一行も都に帰ってきたが、尼君の具合が悪いということで見舞いにいき、紫の上の件を懇願するもやはり無理。そこで、せっかく来たのだから、紫の上の声だけでも聞かせて欲しいと言い出します(迷惑な客ですねえ・・・笑)。
(源氏)「かひなきここちのみしはべるを、かのいはけなうものしたまふ御ひと声、いかで」とのたまへば、(女房)「いでや、よろづおぼし知らぬさまに、大殿籠り入りて」など聞こゆるをりしも、あなたより来る音して、(紫の上)「上こそ。この寺にありし源氏の君こそおはしたなれ。など見たまはぬ」とのたまふを、人々、いとかたはらいたしと思ひて、「あなかま」と聞こゆ。(紫の上)「いさ、見しかばここちのあしさ慰みき、とのたまひしかばぞかし」と、かしこきこと聞こえたりとおぼしてのたまふ。いとをかしと聞いたまへど、人々の苦しと思ひたれば、(源氏は)聞かぬやうにて、まめやかなる御とぶらひを聞こえおきたまひて帰りたまひぬ。げに言ふかひなのけはひや、さりとも、いとよう教へてむとおぼす。
せっかく来たのに返事もはかばかしくなく、せめて声だけでも聞かせて欲しいと源氏は言いますが、紫の上側は「あいにく寝ておりますので・・・」と、それさえもやんわりと拒否しようとします。しかしながら、間の悪いことに、紫の上が話しているところに来てしまったんですね。「おばあちゃま、あのときの源氏さまがいらっしゃっているのに、なんでお会いにならないのん?」と言っちゃいます。周囲の人には「かたはらいたし」、つまり、間が悪いなあ、気まずいなあ、と思って「いいからだまっていなさい」と言われます。そうすると、少女はムッとしてこんなことを言います。「だっておばあちゃま、このまえ源氏の君を見たので具合の悪さもふっとんだわねえといってらしたじゃないの」と、ドヤ顔で言うのでした。ますます気まずくなってしまいました。ここは源氏、空気を察して、聞こえないふりをしつつ大人の対応で帰ります。そうして、「ほんとに姫君としてはまだまだなんだな。よくよく社会のことを教え育てよう」と前向きです。
子どもの正直さで間が悪くなることってありますよね笑。
そんな子どもっぽい紫の上への思いを源氏はこんな和歌にしています。
手に摘みていつしかも見む紫のねに通ひける野辺の若草
「手に摘んで早く見たい。紫の根の通う野辺の若草よ。」はやく紫の上を手に入れたいという思いが表れています。なぜそこまでこだわるのかというと、そこに「紫」草つまり憧れの女性である藤壺の面影があるからなんですよね。だから、まだまだ姫君としては成熟していないけれど、源氏はこの少女にこがれているのでしょう。
この和歌で紫の上を表象する、若い紫草とは、『古今和歌集』の次のイメージがつよい植物なのでした。
紫のひともとゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る(古今集・雑上・八六七)
この歌は、紫草一本のいとしさゆえに、武蔵野(当時東京の西あたりは野原でした)の草も愛しくなるというもの。やはり、藤壺につながる「紫」のつながりを源氏は重視しているようです。これを「紫のゆかり」といいます。
これをふまえた和菓子をつくってみるのもいかがですか?キーワードは紫です。また、この「手に摘みて・・・」の和歌は「若紫」の巻名の由来ともいわれています。
その後、尼君はそのまま回復せず亡くなりました。紫の上と女房達が残され、怖い妻のいる父親に引き取られることになっていましたが、寸前のところで源氏は紫の上と一人の女房を自邸の二条院につれだしてしまいました。
※源氏物語本文は日本文学web図書館 平安文学ライブラリーの本文を用いました。
御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M1)