伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄) [嵯峨野文化通信] 第156号
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伝統文化プロデュース【連】は
日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識について
遊びながら学び、広めていく活動をしている団体です
嵯峨野文化通信は、伝統文化を「遊ぶ」ためのヒントを発信します
毎月1日・15日(月2回)
■VOL:156(2012/8/2)
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■□■もくじ■□■
■【連】からのお知らせ ———–弘道館が「BIWAKOビエンナーレ2012」の
サテライト事務局になります!
弘道館文化講座のお知らせ
「京bizS」に出演します!
『花園』8月号が発行されます
■(連載)『ニッポン城郭物語』————————– 第七十四幕
■(連載)『源氏が食べるー平安文学に描かれる食ー』———- 第五十六回
■(連載)『北野の芸能と茶屋』————————– 第六十回
■[嵯峨野学藝倶楽部]8月開講講座のお知らせ
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□■【連】からのお知らせ■□
■弘道館が「BIWAKOビエンナーレ2012」のサテライト事務局になります!
9月15日より開催される「BIWAKOビエンナーレ」。”伝統”と”アート”をテーマとし、
使われなくなった日本家屋を地域住民と協働して修繕・清掃した上で、アートオブジェを
配置、展開される芸術祭です。
こちらの京都サテライト事務局として、弘道館の一部スペースにて作品展示が行われま
す!
チケットの販売も行います。芸術の秋に先駆けて、ぜひ弘道館へお越しください!
日 程:2012年8月2日〜
入場料:1,000円(抹茶、菓子付き)
※「BIWAKOビエンナーレ2012」パスポートをお持ちの方は無料
(ただし、抹茶、菓子は付きません)
「BIWAKOビエンナーレ」のHPはコチラ
http://www.energyfield.org/biwakobiennale/
弘道館のHPはコチラ
http://kodo-kan.com/event.html
■弘道館文化講座のお知らせ
「京都文化教養講座1~天皇からみる京都~」
日 程:8月11日(土)
テーマ:「後嵯峨帝」
時 間:11時~12時30分(90分)
場 所:有斐斎 弘道館
講 師:太田 達
参加費:1回2,000円(生菓子、抹茶付き)
連続講座「今様、白拍子、平家物語」
日 程:8月11日(土)
テーマ:「芸能者としての白拍子と今様」
時 間:14時~15時30分(90分)
場 所:有斐斎 弘道館
講 師:植木 朝子(同志社大学教授)
参加費:1回2,000円
「京都文化教養講座2~茶の湯の文化を織る~」
日 程:8月21日(火)
テーマ:「石州」
時 間:13時~14時30分(90分)
場 所:有斐斎 弘道館
講 師:太田 達
参加費:1回2,000円(生菓子、抹茶付き)
詳細はコチラ
http://kodo-kan.com/seminar.html
お申込み、お問合せはコチラ
kouza@kodo-kan.com
■「京bizS」に出演します!
皆さま見ていただいておりますか?【連】代表の濱崎加奈子が出演しております、KB
S京都の経済情報番組である「京bizS」。どうぞご覧ください!
KBS京都「京bizS(キョウビズエス)」
日程:8月24日、31日(金)<毎週金曜日放送>
時間:21時25分~22時25分
番組表はコチラ
http://www.kbs-kyoto.co.jp/now_on_air/tv.htm?p=2
■『花園』8月号が発行されます
妙心寺が発行している月刊冊子である『花園』に、現在【連】メンバーが執筆してい
ます!「祈りの国」という題で【連】メンバーが交代で執筆し、全国各地のモノや食
に込められた心を、語り連ねます。8月は篠笛奏者の森田玲さんです!
妙心寺HPはコチラ
http://www.myoshinji.or.jp/book/
『花園』のお問合せ・ご注文は、花園会館部「頒布課」まで
TEL:075-467-2990
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■『ニッポン城郭物語』■
ー第七十四幕ー 〜二条城の話 その1〜
梅原 和久
前回、信長の築いた旧二条城を取り上げたので、次は世界遺産二条城について。京都に
来る観光客や修学旅行生の大多数が訪れる二条城だが、天守が現存せず、国宝二の丸御殿
の印象が強すぎることもあって、ここが「城」であるという認識が一般的に薄いようだ。
石垣もそれほど高くないし、堀の幅もあまりない。東大手門と東南隅櫓が並び立つ正門
辺りは城の雰囲気が濃厚だが、入城して最初に見えるのが、武骨な城にはどうも似合わな
い築地塀。二の丸御殿の入口の豪華な唐門などを見るにつけ、本願寺かどこかの寺院に来
たかのような錯覚を覚えるほどである。
しかし、この城は家康による築城以降、大政奉還が行われた幕末に至るまで、幕府の京
都における政治拠点であり続けた。家康から三代家光までは、ここで将軍就任の祝賀の儀
を行っているし、有名な家康と豊臣秀頼との初めての会見もここ、大坂の陣の際には幕府
の本営となるなど軍事拠点にもなった。更には江戸時代を通じて朝廷との関係を決定づけ
た「禁中並公家諸法度」を公布したのも、御所から目と鼻の先にあるこの城であった。
簡単に城の歴史を振り返ってみる。関ヶ原の戦いの翌年である慶長6年(1601)、
家康は、信長秀吉と天下人が代々必ず築いてきた「京の城」として、二条城の築城を命じ
た。西国の諸大名に金も労力も提供させるという、いわゆる天下普請である。ただ、大き
さは現在の城域の約半分、二の丸部分だけ。まさに居館、という正方形の単純な縄張りで
ある。北西隅には豊臣秀長の大和郡山城から移築されたという5層天守がそびえていた。
家光が将軍となった寛永元年(1624)、後水尾天皇の行幸を迎えるために大改築が
始まる。このときに城域は西に凸形に拡大され、現在の本丸部分が作られた。天守も家康
時代のものを淀城に移し、伏見城から5層の天守を新たに移築してきた。行幸を意識して、
天守内部は「下之重より上の重まで惣金張付にて残らず彩色之絵」で飾られた。二の丸御
殿が大改築され、本丸御殿や行幸御殿が新たに造営されるなど、準備は着々と進んだ。
寛永3年(1626)の9月6日から5日間に渡っておこなわれた後水尾天皇の行幸は、
まさに幕府の威信をかけた一大イベントであった。なお、二条城滞在中、天皇は天守に二
度登られている。二条城天守は、城の歴史上行幸のあった唯一の天守でもある。
二条城が最も輝いた5日間の後、行幸のために作られた御殿は仙洞御所に移されるなど
して全て取り払われた。そして家光を最後に、幕末までの200年以上もの間、二条城が
将軍を迎えることはなかった。その間に建物は老朽化し、18世紀半ばには落雷で天守が、
そして本丸御殿や本丸の櫓はその数十年後に火事で失われてしまい、本丸近辺は「狐狼之
巣窟之様」と言われるほどに荒れ果ててしまう。その二条城にもう一度光が当たるのが、
家茂や慶喜が登場する幕末なのだが、その話は次回に。(続く)
■『源氏が食べるー平安文学に描かれる食ー』■
第五十六回
荻田 みどり
前回まで、浮舟の母が匂宮を垣間見てきた場面を取り上げた。匂宮の食事場面によって、
田舎者であった浮舟の母にもわかる形で、上流貴族の素晴らしさを見せつける。この垣間
見によって、浮舟の母は、浮舟の結婚相手として、理想を高く持つよう考え直す。
匂宮は、夕食、翌日の朝食まで垣間見られ、その視線に気づかぬまま宮中へ参内する。
この匂宮と入れ替わりに薫が訪れる。浮舟の母は薫をも垣間見る。
しかし、薫は食事をすることはない。当時、外出先で食事をすることはあまり好ましく
なかったためともいえるが、礼節をわきまえた薫の実直さも見えてくる。薫の姿は次の車
から降りてくる姿しか垣間見られないのである。しかも、女房たちが噂をする中すぐには
姿を見せない。
待たれたるほどに、歩み入りたまふさまを見れば、げに、あなめでた、をかしげとも
見えずながらぞ、なまめかしうあてにきよげなるや。
待っているところに歩み入る姿は、いかにも、ああ素晴らしい、美しいというようでは
ないが、優美で気品高く、すっきりとしている。浮舟の母は、何となく見られているので
はと恥ずかしく、つい髪をとりつくろい、気後れしてしまう。匂宮を翌朝までの長時間垣
間見続けていたのとは対照的で、この後、語り手の視点は浮舟の母を離れる。
浮舟の母は、自分の認識の範囲内のものと比べることによってしか、価値を判断できな
い。薫が見せることのできない夫として、父としてのくつろいだ上流貴族像を匂宮によっ
て補いながらも、薫を浮舟の結婚相手として最良の人と考えるための比較対象として、薫
と対照的な匂宮は有効だった。
ただし、浮舟の母の視点を通して捉えられた対照的な二人は、後に浮舟を対照的に愛し、
浮舟はそれによって苦悩する。この対照的な垣間見は、その伏線ともなっているのである。
■『北野の芸能と茶屋』■
第六十回
井上 年和
宝永四年(1707)
「茶屋数 一、拾三軒 北野鳥居前町 一、拾九軒 右同所真盛町 一、拾軒
右同所右近馬場一、六軒 右同所馬喰町 一、六軒 松下三軒町(後略)」
『京都御役所向大概覚書』
この頃の北野社近辺の茶屋数である。これは水茶屋と別項目で書かれているので、通り
に並ぶ居茶屋であると考えられる。右近馬場とは御前通沿いで馬喰町の北側、松下三軒町
とは中立売七本松北東にある三軒町のことであろう。
洛中の茶屋数は北野で54軒、祇園で159軒、清水で131軒の合計344軒の内8
軒が不届で滅除され334軒となっている。
ほぼ同時代の荻野家文書『洛外町続町数小名并家数改帳』正徳四年(1714)では北野
社近辺の戸数は、鳥居前町12軒、真盛町47軒、馬喰町30軒、三軒町5軒、七本松三
軒町6軒、末之口町18軒となっており、戸数に対する茶屋数の割合は、鳥居前町で10
割、真盛町で約4割、馬喰町で5割である。
鳥居前町は、寛永に描かれた「洛中絵図」では七軒茶屋があった「町家」を除きすべて
「能某(なにがし)」となっている。この能某とは、能金、能三、能門等、頭に能が付く
名前のことで宮仕の家である。鳥居前町は江戸時代の絵図でも「宮仕」と書かれており、
明治時代の「北野社内外境内之図」においても、すべて「社家」となっている。
馬喰町や真盛町でも能某や宮仕、社家と町家が混在している。
鳥居前町、北野の茶屋は北野社東隣の御前通沿いに集中しており、馬喰町だけで29軒
と北野の茶屋の5割を超えている。また、周辺の宿泊施設もほとんどが宮仕達の居宅で、
北野社東側は宮仕達が経営する茶屋と宿坊が混在した町であって、18世紀初頭には上七
軒花街のほとんどが宮仕達により運営されていたのだ。
松下三軒町が七本松三軒町のことを指すとすれば建屋のすべてが茶屋である。
この内、馬喰町か松下三軒町の六軒の茶屋が1軒増え、後に「下七軒茶屋」と呼ばれる
ようになったと考えられる。馬喰町であるとすれば、御前通沿いの北野社東が上七軒、今
小路通の下で下之森の西側が下七軒と上と下の対比が非常に明確となるが、『洛陽勝覧』
をみると、下七軒茶屋は内野の続きで下之森の南側の三軒町のようにも受け取られ、どち
らとも決め難い。
いずれにせよ、下之森は宮仕達の居宅ではないが、北野社境内外の社領で、地子は北野
社へ納められていた。
つまり、上七軒は北野社宮仕達が直接経営し、下之森からは場所代を納めさせていたの
だ。
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□■[嵯峨野学藝倶楽部] 8月開講講座のお知らせ■□
詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/club/をご覧ください。
■「茶道教室(水曜日コース)」
日程:8月1、22日(水)
場所:嵯峨野三壷庵
時間:10時~19時(ご都合の良い時間にお越しください)
講師:西村 宗靖・太田 宗達
※見学/体験も、随時受付けています。
■「茶道教室(土曜日コース)」
日時:8月4、11、18日(土)
場所:嵯峨野三壷庵
時間:10時~19時(ご都合の良い時間にお越しください)
講師:西村 宗靖・太田 宗達
※見学/体験も、随時受付けています。
■「今様・白拍子教室」
日程:8月4、18日(土)
場所:嵯峨野三壷庵
時間:13時〜14時
講師:石原 さつき
※見学/体験も、随時受付けています。
性別・年齢・経験は問いません。
■「うたことば研究会」
ただいま休講中です。
再開日が決定次第お知らせいたします。
●URL
http://www.ren-produce.com/sagano/club/
お問合せ・お申込みはコチラまで→ sagano@ren-produce.com
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■□■ひとこと■□■
ついに8月に入りました。夏ですね。
私は、自転車と庭掃除でもう既に夏は満喫し終わりました。
これからをどう乗り切るかを考え中です!
(いまむら)
[次回は、8月15日(水)に配信予定です!次回もお楽しみに。]
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