【百人一首を読む・百人一首と読む】
最終回 式子内親王―制限の中で得られた自由…和歌の男と女・ジェンダー③
玉の緒よ絶えなば絶えねながらえば忍ぶることの弱りもぞする 式子内親王
菓子展も終わりましたね。すてきなお菓子に囲まれたあの空間は、とてもかっこよかったなあ。この連載も、当初は和菓子と和歌の関係も話したかったのですが、とうとう今回で最終回となってしまいました。(要望がおおければ続くかも…?)最終回は式子内親王の歌をとりあげます。
玉の緒の命よ絶えてしまうなら絶えてしまえ。命がこれ以上つながれてゆくなら、張りつめて思いを秘めたこの心もたゆんでしまうだろうから。
今回はわかりやすさよりも表現を意識して訳してみました。玉の緒とは、命を糸に例えたものです。歌がまず初めに「玉の緒よ…」と呼びかけます。命を詠むことの宣言であると同時に、それが糸であるというのです。糸が絶える。ピンっと張りつめた糸は、いつか切れてしまいます。思いを秘める心は、その糸のように張りつめています。忍ぶ心は、あふれる思いをぎりぎりの所でとどめるのです。そのぎりぎりに、いっそのことそのまま死んでしまいたいと言ってしまうところに、この歌の強さがある。命が絶えることなくつながってゆくのなら、いつかは弱り、秘めた思いが漏れ出してしまうから。
真にせまる心理の表出が胸を打ちます。しかしその裏で、「絶え」、「ながらえば」、「弱る」というように、糸という文脈に統一された言葉選びが周到にされています。初句の宣言通り、糸というイメージを歌の裏に仕込むのです。このような綿密に計算がなされた言葉選びを、縁語といいます。
では、この歌の持つリアリティというか、胸に迫るものは何なのでしょうか。昔からこのリアリティが、さまざまな憶測と物語を生みました。その最も有名なのが、お能の「定家」でしょう。すなわち、この歌の主人公と、式子内親王本人が同一視されたのでした。人目を忍ぶ恋の相手として、歌の師匠である俊成卿の子息、定家卿が選ばれ、愛欲の物語が描かれたのです。
もちろん、ここは研究ではなくて、鑑賞の場なので、そのような解釈で読んでも面白いですよね。中高生だけでなく、大人にも人気の百人一首漫画『超訳百人一首 うた恋い。』(杉田圭著、渡辺泰明監修)は、この解釈で、一連の百人一首に秘められたドラマを描き出すのでした。
けれど、この解釈のもうちょっと先を考えていくと、和歌の一側面も見えてきます。恋の歌には、男が詠むか、女が詠むかで歌が変わるという話は何度かしてきました。前回の話で、「忍ぶ恋」は男が詠むものであった、ということもお話ししましたね。そう、この歌は本来男が詠むべき歌でした。なぜ、女性である式子内親王がこの歌を詠めたのでしょう。
和歌には、実際の風景や、気持ちを表現して伝える手段だった一方で、詠まれるべき心と言葉が決まっている場合もありました。それが和歌における題詠です。三十一文字の歌をつくるにあたって、じゃあ、こんな光景を、こんな思いを、こういう風に表現してみよう、という、型ともいうべき決まりがあったのです。その決まりにそって表現を磨いていく営み。実感ではなく、その状況や心を演じることで歌が詠まれた、といって良いでしょう。近現代短歌と和歌を考えるときに問題になることの一つです。(おとといも、このことでアララギ派の歌人に問題提起されました…。)
つまり、題詠というある決まりの中で、式子内親王は女というジェンダーを越境したのです。これは定家卿の「来ぬ人を…」にも言えることでしょう。
ところで、名古屋の歌人、野口あや子さん(「未来」所属)と仲良しなのですが、会うたび、「式子内親王ってどうしてあんなにぶっとんでるの?」という話になります。確かに、この歌がとられた、『新古今和歌集』のほかの歌をみてみると、言葉がきつい歌が見受けられます。この歌も「玉の緒よ絶えなば絶えね」という言葉は、現代的な見方だと情念と評されそうな強さがあります。声にだして読むときは、ぼそぼそと何度も繰り返して読みたい。(そういえば、この間の野口さんの朗読会も、そんなよみ方がなされていて、この歌とつながったのでした。)ことばの強さが、ぶっとんだ個性としてにじみ出ているのかもしれません。
ジェンダーを越境しながら個性を表出する。三十一文字の題詠という制限の中に、そんな自由を見つけたのが式子内親王なのかもしれません。
<参考文献>
有吉保『百人一首』講談社1983年11月
島津忠夫『新版百人一首』角川書店1999年11月
平井啓子『式子内親王 コレクション日本歌人選010』笠間書院2011年4月
ハルオシラネほか編『世界へひらく和歌―言語・共同体・ジェンダー』勉誠出版2012年5月
田渕句美子『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今集』角川選書2014年2月
杉田圭『超訳百人一首 うた恋い。』メディアファクトリー2015年2月
(同志社大学文学部四回生 御手洗靖大)
京菓子展「手のひらの自然 – 小倉百人一首」2017の
入選作について
ブログ連載シリーズ【百人一首を読む・百人一首と読む】は、当時の文学や和歌を勉強中の御手洗さんに、新鮮な視点で解説きました。一旦、このシリーズは終了となりますが、和歌は弘道館のまなびの柱のひとつです。ご興味のある方は、是非、弘道館の各種講座やイベントにご参加くださいませ。
今回、解説いただいた和歌をもとに創造された京菓子1点が入選作となり、有斐斎弘道館にて展示されました。
同じ和歌から創り出された全く異なる京菓子の「銘」「デザイン」を合わせてお楽しみいただけますと幸いです。
(弱緒/岩井恵子 )
(撮影:久保田狐庵)
<京菓子展 公式ホームページ>
https://kodo-kan.com/kyogashi/