【百人一首を読む・百人一首と読む】
第六回 秋風にたなびく雲のたえまより
秋風にたなびく雲のたえまよりもれいづる月のかげのさやけさ 左京大夫顕輔
そういえば、私も歌詠みなのですが、この前北野天満宮に献詠した和歌の題が「雲」でした。年に一度、神前にて詠進した和歌を独特のリズムで読み上げる披講(ひこう)という儀式があるのです。余香祭というお祭りだそうですね。とても興味深いお祭りでした。
この歌は平安時代の終わりの歌人、藤原顕輔さんの歌です。平安時代の終わりというと、定家卿の時代と近くなってきます。定家卿の二世代上の人です。藤原さんにも様々な藤原さんがいて、彼は六条藤家(ろくじょうとうけ)と呼ばれました。ちなみに定家卿も藤原定家なので藤原さんですが、御子左家(みこひだりけ)と呼ばれ、また違う系統の藤原さんなのでした。実をいうと、この六条藤家と御子左家は和歌の家どうしなので、ライバルなのです。一時期六条藤家が勢力を誇っていたのですが、やがて定家卿たちの御子左家に圧倒されていくのでした。(人が多くてややこしや)
さてそんな顕輔さんの歌です。美しい秋の夜ですね。クリアになった空、たなびく雲の切れ間から顔を出す月の光。その清浄な光が差し込む秋の夜長。その光の清らかさが歌を「さやけさ…」でとどめたのでしょう。これを「さやけし」と言い切りの形にすると「きれいやなあ!」という響きになりますが、一気にシロウトっぽく響きます。「さやけさ」とすることによって奥ゆかしい余韻が響くのです。(こういうのを「体言止め」といいます。)
ところで、和歌は美の典型を歌にするものなのですが、月の歌は雲一つない満点の夜空にまん丸の満月を詠むだけではないのですね。……あれ?なんだか声がきこえる…。
「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。」(『徒然草』第一三七段「花はさかりに」)
兼好法師に怒られちゃいましたね…。月は雲一つない満月だけじゃありませんよね。雲は人と月を隔てつつ、月の光を効果的に演出します。見えないからこそ見えてくる美。これを人は幽玄と呼びました。そんな美意識がこの歌にはあるように思います。和歌の家を背負った彼の歌は、上級な美をたたえているのでした。
<参考文献>
久松潜一監修 武田元治編著『一〇〇人で鑑賞する百人一首』教育出版センター1983年11月(久曾神昇 執筆)
永積安明ほか校注・訳『新日本古典文学全集 方丈記 徒然草 正法眼蔵随聞記 歎異抄』小学館 1995年3月
島津忠夫『新版百人一首』角川書店1999年11月
谷知子『和歌文学の基礎知識』角川書店2006年5月
(同志社大学文学部 四回生 御手洗靖大)
京菓子展「手のひらの自然 – 小倉百人一首」2017の
入選作について
ブログ連載シリーズ【百人一首を読む・百人一首と読む】は、当時の暮らしぶりなどに詳しい御手洗さんに、新鮮な視点で解説いただいております。
今回、解説いただいた和歌をもとに創造された京菓子4点が入選作となり、有斐斎弘道館と旧三井家下鴨別邸で展示されております。
(鏡花水月/高地望 有斐斎弘道館にて展示)
(清か/髙橋さおり 有斐斎弘道館にて展示)
(つきあかり/匹田順治 有斐斎弘道館にて展示)
(月の影/久永弘昭 旧三井家下鴨別邸にて展示)
(写真・撮影:久保田狐庵)
展示は11月5日までとなっております。
是非、ご観覧くださいませ。
<京菓子展 公式ホームページ>
https://kodo-kan.com/kyogashi/