【開催報告】信仰からみる京都2026「街道菓子~石清水八幡駅/大谷駅~」

今年度の「信仰からみる京都」は、「京街道編~伝統の食文化をたどる道~」と題して、京街道に息づく伝統の食文化に目を向け、菓子が生まれ受け継がれてきた背景をひもときます。土地の歴史や人々の祈りとともに育まれた味わいをたどりながら、京都の食がもつ奥深い魅力に触れていきます。

8月22日(土)開催の第4回目は「街道菓子~石清水八幡駅/大谷駅~」をテーマに、東海道の逢坂の関と、京街道や東高野街道などの重要な街道が交わる石清水八幡周辺を中心に取り上げました。
サプライズの特別ゲスト、講師の太田達の対談相手としてご登壇頂いたのは、両方の土地と深い歴史のご縁で結ばれた、「走井餅老舗」11代目の井口香苗さん。

やわた走井餅老舗

走井餅(はしりいもち)は、江戸時代中期の明和元年(1764年)に近江国・逢坂山にあった湧水「走井(はしりい)」のほとりで創業した名物餅。初代井口市郎右衛門正勝が、天皇の産湯にも用いられるほど名高い名水であった走井の水で餡餅を作ったのが始まりです。当時、旅人たちで店が賑わう様子は、歌川広重の「東海道五十三次」にも描かれています。

やがて明治に入り、鉄道の開通によって逢坂山の交通量が激減すると、店は大きな転機を迎えます。明治43年(1910年)、6代目井口市郎右衛門の四男嘉四郎によって、同じく名水で知られる石清水八幡宮のふもとへ移転。以来110余年、石清水八幡宮のお参りに欠かせない名物の門前菓子として、多くの参拝者に愛され続けています。

一方、逢坂山の茶屋跡を受け継いだのは、日本画家の橋本関雪でした。関雪は相阿弥作と伝えられる走井の庭園をこよなく愛し、没後は関雪夫妻の菩提寺「月心寺」として開山されました。現在も橋本家の方々によって守られている月心寺の井戸からは、今なお水が湧き出ています。
また、折にふれ、井口家の方が月心寺へご先祖様のお参りに訪れたり、かつての月心寺の名物尼僧・村瀬明道尼がご健在の頃には、正月になると明道尼が大勢のお弟子さんを連れて、八幡のお店に挨拶に来られたりと、創業の地との深い結びつきは途絶えることなく続いているそうです。

このように、今も息づく歴史の物語をご当人の口から直接伺うと、過去の出来事がより身近に感じられ、現在との繋がりを深く実感させられます。

話は八幡信仰に移りまして、全国に4万社以上ある八幡宮の総本宮、宇佐八幡へ。720年に起きた「隼人の乱」で犠牲になった隼人の御霊を鎮めるため、八幡神のご神託により、仏教で殺生を戒めるための儀式である「放生会」が、神社の重要な祭礼として執り行われるようになりました。神社の祭礼に仏教の儀式が取り入れられた出来事は、日本の「神仏習合」の本格的な始まりとも言えます。
これが原点となり、各地の多くの八幡宮の境内にも、放生会を行うための「方丈池」が作られるようになりました。皆さまも八幡宮にお参りの際は、境内に池があるかどうか、ぜひ探してみて下さい。

もうひとつ、わたしたちが「神社のお祭」と聞いて思い浮かべる「神輿」も、実は八幡信仰が起源です。奈良時代、東大寺大佛建立の際、宇佐八幡神を奈良にお迎えしたのですが、この時、宇佐の神様を乗せるために、「鳳輦(ほうれん:天皇の乗り物)」が使われました。これが日本における神輿の始まりとされています。その後八幡信仰とともに全国へ伝わっていきました。
石清水八幡宮の最も重要な祭礼である「石清水祭」でも、八幡神は御鳳輦に乗り、男山山上の御本殿から山麓の頓宮へと斎行されます。なかなか地元民でないと見物が難しい夜中から早朝にかけて行われる儀式の様子を、貴重な写真資料とともに聞くことが出来、非常に興味深い機会となりました。


お菓子は八幡宮のシンボルである鳩をモチーフにした錦玉羹。暑い盛りなので、涼し気な菓子に仕立てて頂きました。


今回はさらに、やわた走井餅老舗11代目がお心遣いで、作りたての走井餅を差し入れて下さり、会場参加の皆さま一同、舌鼓を打ちました。

また、この日は京都市内各地で地蔵盆が執り行われるタイミングでした。そこで、講座の前半は講師の太田による、地蔵盆の講義も行われました。いつも情報量の密度の濃い「信仰からみる京都」ですが、講座2回分に匹敵するほどの贅沢なボリュームとなりました。お暑いなかご来場下さった皆さま、アーカイブ配信でご視聴下さった皆さま、本当に有難うございました。


◆開催概要
2026年前期 第4回「街道菓子~石清水八幡駅/大谷駅~」
開催日 2026年8月22日(土)
有斐斎弘道館 太田 達(有斐斎弘道館 理事、立命館大学教授)

※当イベントは終了しました。

多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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