【百人一首を読む・百人一首と読む】
第十回 しのぶれど色にいでにける男たち…和歌の男と女・ジェンダー②
しのぶれど色に出にけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで 平兼盛
百人一首の恋の歌と言えばこれ、という人も少なくない人気の歌です。この前高校に百人一首を教えに行ったら、この歌がいちばん人気でした。
忍ぶれど色に出でにけり…。ここの「けり」がいいですよね。「けり」は昔のことを言うときに使いますが、ここでは、これまでの自分を思いやって、「実はオレってそうだったんだ…!」と「気づく」気持ちをあらわします。他者に思い悩んでいるのかと問われて気づく自分の姿。とっても臨場感があってステキです。
好きやってこと隠してたけど、やっぱり顔に出てたんやな。うちの恋って。どうしたん、話きいたるで、って友達に言われるくらいに…。
なぜか関西弁の女子高生っぽく訳してしまいましたが、なんだかこんな恋もいいですよね。みなさんはこんな片想い、したことありますか。実は私もわかりやすい人間なので、高校生の時は好きな人ができるとすぐバレました。(笑)「バレバレやからみんな分かってるで笑」と、友達に言われた時の、後悔ともなんとも言えないような気持ちが、この歌を読む時に実感としてたちあらわれます…。千年前も今も、人を想う気持ちは変わらない、のかもしれません。
けれども、この歌は様々に背景があります。まず、これは女子高生ではなく男性によって詠まれたこと。そして、歌合に出された歌だということです。作者の生没年があまりよく分からないようなので、おっさんかどうかは分かりませんが、妙齢の男性によって、みずみずしい青春のような歌が詠まれた、ということは言えそうです。
百人一首において、この歌は歌合で詠まれたということが意識されています。歌合とは、歌を右方と左方とに分けて、それぞれペアで優劣を判定するガチンコバトルです。このペアの事を番(つがい)といいます。平兼盛のこの歌と番になったのは、百人一首ではこの歌の次にある、壬生忠見の「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」という歌でした。
彼らの歌があわせられたのが、天徳四年の内裏で行われた歌合です。天皇も見ている盛大なものですね。これは文学史に残る歌合だったようで、源氏物語にも、これをモデルにしたバトルが描かれます(「絵合」の巻)。中でも壬生忠見VS平兼盛の番は、甲乙つけ難いものでした。悩み抜いた挙句に、平兼盛の勝ちということにされました。負けた壬生忠見は、悔しくて死んでしまったという伝説が作られたくらいです。
ところで、歌合には重要な要素があります。それが、題に沿って歌を作るということ。特に「恋」の題には、様々な型がありました。定家卿の歌でも見ましたが、男が詠むか、女が詠むか、で歌が変わってくるのです。和歌のジェンダーですね。
この歌は恋心を隠す、いわゆる「忍ぶ恋」の歌ですね。待つ恋は女のものでしたが、忍ぶ恋はどうやら男の歌のようです。女子高生ではなく男が詠んだ、というのはとても大事な事実なのでした。あれれ、でも、「忍ぶ恋」と言えば、式子内親王の歌もそうですよね。女流歌人がなぜ忍ぶ恋を詠めたのか、次回はそれを考えてみましょう。
それにしても、みなさんは平兼盛と壬生忠見、どちらの歌が好きですか?兼盛は当事者として実感が溢れています。一方で忠見は「人知れずこそ思ひそめしか…」、誰にも気づかれないように恋心を抱いていたのに…とちょっと言い訳がましく言って見せます。こちらもかわいいですね。平成の歌合として、もう一度議論し直してみるのもいいかもしれません。
<参考文献>
有吉保『百人一首』講談社1983年11月
島津忠夫『新版百人一首』角川書店1999年11月
ハルオシラネほか編『世界へひらく和歌―言語・共同体・ジェンダー』勉誠出版2012年5月
(同志社大学文学部4回生 御手洗靖大)
京菓子展「手のひらの自然 – 小倉百人一首」2017の
入選作について
ブログ連載シリーズ【百人一首を読む・百人一首と読む】は、当時の文学や和歌を勉強中の御手洗さんに、新鮮な視点で解説いただいております。
今回、解説いただいた和歌をもとに創造された京菓子3点が入選作となり、有斐斎弘道館(2点)と旧三井家下鴨別邸(1点)にて展示されております。
同じ和歌から創り出された全く異なる京菓子の「銘」「デザイン」を合わせてお楽しみいただけますと幸いです。
(恋話/笹井真実 有斐斎弘道館にて展示)
(彩心/田代早苗 有斐斎弘道館にて展示)
(撮影:久保田狐庵)
展示は11月5日までとなっております。
是非、ご観覧くださいませ。
<京菓子展 公式ホームページ>
https://kodo-kan.com/kyogashi/