【百人一首】第九回 君がため春の野に出て若菜つむ…儀礼の和歌とタイミング

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第九回 君がため春の野に出て若菜つむ…儀礼の和歌とタイミング

君がため春の野に出て若菜つむ我が衣手に雪はふりつつ 光孝天皇

行楽日和の今日この頃、京都では人が溢れています。京都の真ん中にある同志社大学の学生なので、私も秋の京都をピクニックしたりします。はあ、いい景色だなあ〜となった時、歌詠みの私はたまに「ここで一句!」と求められることがあります。この言葉を言われると私は機嫌が悪くなります。(笑)

まず、一句と数えるのは俳句なので、私は俳句の人ではありません!と言いたくなり、その次に、そんな即興で作るもんじゃありません!と言いたくなります。けれど、和歌の世界では即興でその場にあった歌を詠むことが目指されました。これが現代短歌と和歌の違いの一つと言えるかもしれません。和歌の世界、例えば私は冷泉家で和歌をならっていますが、そこでは宿題として一首作ってきて、その場でもう一首作ります。現代短歌の歌会ではほとんどの場合、作ってきた歌を持ち寄って批評をしあいます。

今回は光孝天皇の和歌ですが、これは即興でその場にあった歌として詠まれたようなのです。春となった今日、君のために、春の兆しの現れた野に出て若菜をつんできたよ。ほら、私の袖に雪が。

「君がため」ではじまる歌は百人一首に2首あるので、カルタ取りの時は苦労しますね。(笑)ここの「君」は、主君の意味だという説も昔はあったのですが、今では「あなた」という解釈が多いようです。歌を贈った相手のことでしょう。必ずしも相手が天皇という訳ではなさそうです。この歌の背景はどうやら、冬の寒さがまだまだのこる「暦の春」に、若菜とともに贈った和歌のようです。

時節の折に触れて贈り物をし、和歌でちょっとしたメッセージを贈り合う文化。なんだかステキですね。「我が衣手に雪はふりつつ」とは、雪に降られ、苦労して取ってきたんだよということですが、心を砕くほどあなたを気にかけていますよ、という心遣いを言うのだと思います。こういう心は平安に限るものではございませんね。

「春の野に出て若菜つむ」とは、趣味のハイキングではありません。春は全ての命が芽生える時。自然界には生命力が満ち満ちています。古代の人々は溢れる自然の力をいただこうと野山に入り、若菜を身体に身につけ、土地の神の力とともに生命力を得るのでした。これは宗教的儀礼なのです。

今も重要な神事としてこのような儀式を行っているのが、賀茂別雷神社と賀茂御祖神社です。(上賀茂さんと下鴨さんとですね。)葵祭の前夜、神の降り立つ山に入り、神を社に連れてきます。賀茂別雷神社は御阿礼祭、賀茂御祖神社は御蔭祭といいます。御阿礼祭は榊に神をのせて、御蔭祭は御神体自身をお運びするらしいです。御蔭祭はここ数年私も参役させていただいています。かっこいいですよ。

折にあった歌を詠み、贈るものは贈られるものに心を砕く。そんな心遣いが素敵ですよね。紅くなりはじめた紅葉を私も好きな人に送ってみようかな!

<参考文献>
有吉保『百人一首』講談社1983年11月
島津忠夫『新版百人一首』角川書店1999年11月

(同志社大学文学部 四回生 御手洗靖大)


京菓子展「手のひらの自然 – 小倉百人一首」2017の
入選作について

ブログ連載シリーズ【百人一首を読む・百人一首と読む】は、当時の文学や和歌を勉強中の御手洗さんに、新鮮な視点で解説いただいております。

今回、解説いただいた和歌をもとに創造された京菓子3点が入選作となり、有斐斎弘道館(2点)と旧三井家下鴨別邸(1点)にて展示されております。

同じ和歌から創り出された全く異なる京菓子の「銘」「デザイン」を合わせてお楽しみいただけますと幸いです。


(想ひ袖/小林優子 有斐斎弘道館にて展示)

 


(初春(はつはる)/木路百合乃 有斐斎弘道館にて展示)

 


(純雪/五十嵐遥香 旧三井家下鴨別邸にて展示)

 

(撮影:久保田狐庵)

展示は11月5日までとなっております。

是非、ご観覧くださいませ。

<京菓子展 公式ホームページ>
https://kodo-kan.com/kyogashi/

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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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