【百人一首を読む・百人一首と読む】
第八回 滝の音は…三船の才の韻律
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ 大納言公任(=藤原公任)
定家卿の一時代前に活躍した和歌のスペシャリストといえば、藤原公任さんです。高校の古文では、管弦(雅楽)、詩(漢詩)、歌(和歌)のすべてができた天才文化人として習います。三船の才なんていいますね。彼は藤原道長や紫式部と同じ時代を生き、交流もありました。紫式部に「若紫ちゃんはどこかな?」とからかったという話は『紫式部日記』にも書かれていますね。
彼が編んだ詩歌のアンソロジーに『和漢朗集』があります。源氏ゼミの先生に、「平安文学専攻なら『古今和歌集』と『和漢朗詠集』くらいはカバンに入っているものです。」と言われたことがあります。それくらい平安時代には重宝された教養の書だったのでした。
そうそう、11月3日に行われる北野天満宮の曲水の宴に私も出るのですが、オープニングアクトで歌われるのも『和漢朗詠集』に収められている菅原道真公の漢詩ですね。私は朗詠の歌い手として出るので、ご都合の合う方は来てくださいね。(宣伝でした笑)
さてさて、ちょっと長くなりましたが、歌を読んでいきましょう。滝の音は絶えて久しい、ということは、滝が枯れてしまったのですね。もうそこには水が流れていません。だけれど、その滝の評判は世の中に流れ、広まってずっと伝わっているよ。という意味です。これは京都の大覚寺で詠まれた歌らしいのですが…あ、そうどすか…で、それがどないしはったんでっか?と言いたくなるような内容ですね。(笑)といっても、名所で歌を読むというのは、その場で詠むということに意味があるのです。ぜひ大覚寺に行ってこの歌に思いを馳せてみてください。
昔から、存在が絶えてしまってもこの滝のように名前だけは残るようになりたいものだという解釈がなされていたようですが、深読みし過ぎではないかな?とも思います。どうなんでしょうね。
でもでも!三十一文字はその意味だけに楽しみがある訳ではありません。一度声に出して読んでみてください。下の句(なこそながれてなおきこえけれ)を読んでいくと気持ちよくなってきませんか?私は、ころころころとリズムが転がっていくイメージを持ちます。このように、響きと調べ(韻律)が気持ちよくなるように作られているのです。ここに三船の才たるうまさをみたい。
公任の歌にはもっと内容的にいいものがある(と言ったら怒られそう)のですが、百人一首にはこの歌が入っています。どうやら、定家卿達の時代には公任の人気があんまりなかったようなのです…。歴代の大歌人ということで選ばれただけなのでは?という人もいるくらいです。さてさて、みなさんはどう考えますか?
私は篳篥吹きの歌詠みなのですが二つをやるだけでも大変です…。それに加えて漢詩までできて、どれも上手いというのは超人です。そんなことを思いながら「名こそ流れて…」とついつい口ずさんでしまいます。憧れの平安貴族になるにはまだまだかかりそうです。(笑)
<参考文献>
久松潜一監修 武田元治編著『一〇〇人で鑑賞する百人一首』教育出版センター1983年11月(橋本不美男 執筆)
有吉保『百人一首』講談社1983年11月(歌本文はこれによる)
島津忠夫『新版百人一首』角川書店1999年11月(初句に「滝の糸は」を採用する)
(同志社大学文学部 四回生 御手洗靖大)
京菓子展「手のひらの自然 – 小倉百人一首」2017の
入選作について
ブログ連載シリーズ【百人一首を読む・百人一首と読む】は、当時の文学に詳しい御手洗さんに、新鮮な視点で解説いただいております。
今回、解説いただいた和歌をもとに創造された京菓子2点が入選作となり、有斐斎弘道館(1点)と旧三井家下鴨別邸(1点)にて展示されております。
この2点、同じ和歌から創り出された全く異なる京菓子です。
「菓子の銘」「菓子のデザイン」を合わせてお楽しみいただけますと幸いです。
(滝の糸/朝倉良江 有斐斎弘道館にて展示)
(滝の音/田渕詩織 旧三井家下鴨別邸にて展示)
(撮影:久保田狐庵)
展示は11月5日までとなっております。
是非、ご観覧くださいませ。
<京菓子展 公式ホームページ>
https://kodo-kan.com/kyogashi/