嵯峨野文化通信 第9号

☆★☆————伝統文化プロデュース【連】メールマガジン—————-
       〔嵯峨野文化通信〕 第9号 2006年6月15日
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 伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
 ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。

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 ○●○ もくじ ○●○

 1.【連】からのお知らせ
 2.京都をめぐる歳時記 〜夏至の章〜
 3.(連載)新・都鄙の連関 第4話
 4.(連載)京都文化警察 VOL.4
 5.メンバー紹介

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§――1.【連】からのお知らせ―――――――――――――――――――――§

○嵯峨野学藝倶楽部の新講座のお知らせ

 嵯峨野学藝倶楽部では、シリーズ講座「サロンから日本文化を見る」と題し、[
サロン文化史〜食の文化から〜][うたことばを遊ぼう]の2講座を開講することに
なりました。日本の文化、日本人の美意識がどのように培われてきたのか、歴史の
流れを追いながら、ともに語らいませんか?

 第1回目「サロン文化史〜食の文化から〜&うたことばを遊ぼう」特別合同講座
  日 時:7月15日(土) 午後1時〜2時30分(90分)
  内 容:「万葉の巻」
  場 所:嵯峨野「三壷庵」

★嵯峨野学藝倶楽部に関するお問合せ、お申込みはこちらから★
sagano@ren-produce.com

○「祇園祭―荒ぶる神の宵茶会」のご案内

 7月15日(土)に「三壷庵」で、お茶会を催します。祇園祭宵々山の日ですの
で、普段着で、浴衣がけで、ぜひ遊びにいらしてください。浴衣を持参いただいた
方は着付もいたします。どうぞお気軽にお立ち寄りください。

 日 時:7月15日(土) 午後3時〜7時
 場 所:嵯峨野「三壷庵」
 参加費:500円

★お茶会に関するお問合せはこちらから★
sagano@ren-produce.com

○【連】協力事業 「京と夏遊び」

 「京に伝わる夏の美味 暑さ忘れて のんびりレッスン」をテーマに、夏の京菓
子「水羊羹」を作ってみませんか?作った水羊羹は、抹茶と一緒に試食していただ
き、残りはお持ち帰りいただけます。詳しい内容は、下記のURLからご覧くださ
い。

●「京と夏遊び」のURL
http://www.ren-produce.com/event/060729_relish/

§――2.京都をめぐる歳時記 〜夏至の章〜 ――――――――――――――§

 二十四節気は、1年を24等分にし、その区切りに名前をつけたもので、現在で
も季節の節目節目に、これを示す言葉として使われています。

 6月21日〜7月6日は、二十四節気のひとつ「夏至(げし)」です。日本では、
1年の中で最も昼間が長く、夜の短い期間です。『暦便覧』には「陽熱至極しまた、
日の長きのいたりなるを以てなり」と記されています。

 日本とは反対に、暗く長い冬が続く北欧では、この日は特別の喜びを持って迎え
られ、北欧各国で盛大に夏至祭が行われます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「夏至」の時季を楽しむために〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

○本宮祭

 本宮祭(もとみやさい)は伏見稲荷大社で行われる例祭で、毎年7月の土用入後
初の日曜日または祝日に行われます。なお、前日には前夜祭として宵宮祭も催され
ます。
 この祭りは、全国の稲荷神社を崇敬する人々が総本社である伏見稲荷大社を参拝
し、日々授かっている神の恵みに感謝するものです。本祭当日の午前中に神事が本
殿において執り行われますが、全国から多くの参拝者が宵宮祭・本宮祭両日の夕刻
には「万灯神事」が行われます。この「万灯神事」では、祭中境内一帯に所狭しと
吊られる約7000個もの献納提灯や、石灯篭(宵宮祭のみ)に灯が点され、幻想
的な雰囲気を造り出します。なかでも必見は、外拝殿およびその周辺に吊られる、
日本画家が描いた行灯画約400点でしょう。

日 程:7月22日(土)・23日(日)
場 所:伏見稲荷大社(伏見区深草藪之内町68)

●伏見稲荷大社のホームページ
http://www.inari.jp/

§――3.(連載)新・都鄙の連関 第4話―――――――――――――――――§

        ―遠山郷・上村(3)―     太田 達

 禰宜たちは同じ動作を繰り返す。屋外が夜のとばりに包まれるにつれて、酒の量
も増え、その勢いか、神楽の切れ目の休憩前に、村の娘さんや、祭の追っかけのギ
ャル(?)を、セーノのかけ声で投げ合う事態となり、皆、本当に楽しそうである。
まさに祭の原型というべき、性的なエネルギーの放出であろう。混乱のうちに夕食
がわりの直会(なおらい)となる。見学者もその場にいる人間すべてにふるまわれ
る。素晴らしいホスピタリティである。サンマが焼かれる。なぜサンマなのか? 
そういえば、民宿のお母さんも、「サンマが食べれるよ」と言っていた。一緒に見
学していた飯田の博物館の研究員の方に「いつからサンマになったのか」と尋ねる
と、「昭和50年頃でしょうか」と言われた。食べ物の種類の少ない山中、誰かが
町から祭に持ち帰ったサンマは、ついに下栗集落のハレの食となったのであろうか。
ハレの日の食とは、まさにこのようなもので、その定着の過程が面白い。山村にお
ける海産物の取り扱いについて調べてみると、様々な人間のドラマが見えてこよう。
 ところで本題の都鄙の連関であるが、この霜月祭の起源となった伝説がある。奈
良時代の頃か、いわくがあり、この山中に身を寄せた貴人があった。それがこの村
の始祖と言われている。この種の伝承は、木地師系の定番である。後の世に、この
集落を訪ねた修験者に、先の貴人の子孫が「この村には祀るべき神がいない、どう
すればよいのか」と尋ねた。修験者は、彼を京の都へ連れていき、賀茂の祭や石清
水の祭を見せ、ついには吉田神道の神祀りを学ばせた。
 この伝説は、祭の語り伝えの中に、「都」が受け継がれてきたことをあらわして
いる。
 そういえば、奥三河の花祭も、花山院の伝説がその起源となっている。
中央アルプスの山の中に、京の都を見ることができた。
                                  (了)

§――4.(連載)京都文化警察 Vol.4―――――――――――――――――§

 6月7日に、韓国より名妓・柳錦仙さんを迎え、韓国に伝わる数々の民族歌謡を
披露いただいた。前日、京都に到着された柳さん一行を、歓迎の意味をこめ、島原
・輪違屋へお連れした。輪違屋は、島原で唯一今でも営業を続けている店で、太夫
さんを数人かかえている。

 韓国では、戦後花街は蔑視を受け、ここ10数年の間に花街としての営業はほと
んど見られなくなった。元花街はスナックやバーになり、元芸者は洋服を着たママ
さんになっている。「妓生(キーセン)」という呼称も蔑称とされ、韓国国内では
ほとんど口にする人はいなくなった。もちろん、彼女たちは芸をもっぱらにするの
であって、柳さんは韓国の無形文化財指定を受けている。「花街」は文化文芸を育
む大きな土壌であり、蔑視どころか敬意を払っているのだが、公演に際してはおお
いに気を遣う。柳さんたちは、ようやく「妓生」という呼称から脱出し、いわゆる
「芸術」として認められたことを喜んでいる、そんな最中なのだ。彼女たちの前で
は「妓生」という言葉を使わないようにすることにした。

 それなのに、彼女たちをなぜ島原にお連れしたのか。それは、花街文化に誇りを
もっていただきたいからである。「妓生」という言葉を忌むのではなく、「妓生」
としての誇りを持ってほしい。そうでないと、本当の「妓生」の芸は失われてしま
う。
 柳さんは、大きなお座敷をいくつも持つ建物(お茶屋のような存在かと思われる)
も持っていたそうだが、今は無くしてしまったそうだ。島原の座敷は、彼女に、往
時のことを思わせて懐かしがっていただけるのではないか・・・。そんな期待もあ
った。

 果たして、期待どおりであった。太夫さんの豪華な衣装、完成された美のかたち
に、彼女たちは驚きと興奮を隠さなかった。髪型や着物、楽器などについて、質問
が飛び交った。自分もチョゴリを着てくればよかったと、何度も惜しがった。輪違
屋のご主人も、芸がわかる客だと勘でわかるのだろうか、座敷唄を披露してくださ
る。これに柳さんも応えて韓国の座敷唄を披露してくださる。聞けば、同じテーマ
の唄が沢山あるのだそうだ。恋する人がいつ戻ってくるのか・・・云々といった歌
は、万国共通である。続いてご主人が謡を、柳さんがアリランを、弟子の金さんが
タリョン某と呼ばれる民謡の一つを歌い、舞い、囃し・・・いつしかお互いの歌を
まね、柳さんが即興で歌えば、ご主人もこの場の情景をその場で詠みこんだ替え歌
を歌う。まさに、平安後期に流行った白拍子の芸とはこんなものだったかと思わせ
るようだ。「機微」こそが芸の力。

 花街のお座敷の何が面白いか? といぶかしげに聞く人がいる。それも一理ある。
現代のお座敷では、可憐な舞妓さんに出会えること、唄と踊りを鑑賞できることが
最大の価値であって、それ以上を求める人には、対価の割に面白いと思わない人も
いる。だが、芸妓が場を鋭く読み、鍛錬された芸で即座に歌に詠みこみ、歌い、舞
い、そして、掛け合いができるほど客にも教養が備わっているならば、こんなに面
白い場はないであろう。花街から、歌や舞のみならず、絵画や器、着物など、さま
ざまな芸能芸術が生まれたが、芸能のプロである芸妓と客と間の刺激的な交歓があ
ってこそ、花街は面白いのだということが、今回の体験を通して直にわかったよう
な気がした。

 舞妓さんも姿かたちだけではない。日々芸を磨いているのだということを忘れな
いでほしい。
                                 (京雀)

     ※京都文化警察では、みなさまからの告発を募集しています!
      ☆目撃情報は、こちらまで。→sagano@ren-produce.com☆

§――5.メンバー紹介――――――――――――――――――――――――――§

 【連】のメンバーによる、自己紹介のコーナー。
9人目に登場するのは、コガワさんです。

 職場の友人に誘われて、昨年のビアラベルコンテストから【連】に参加するよう
になりましたコガワと申します。主に工作(手伝い程度ですが)を担当してます。

 京都に住んでいても、普段の生活の中ではあまり触れることのない伝統文化の世
界ですが、【連】に参加するようになって、その距離がかなり縮まったような気が
します。【連】のHPを見ていただくとわかるように、ここでは様々なジャンルの
催しや教室がありますので、いろいろなことに参加し、体験して、それを他の人に
伝えていけたらなと思っております。

※※※訂正とお詫び※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 6月1日(木)に配信いたしました[嵯峨野文化通信・第8号]の(連載)『Many
Stories of the Tea Ceremony』の内容に下記の間違いがありましたので訂正いた
します。

 訂正箇所:(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』第4話 2行目
       木村英樹さん → 木村英輝さん

 以上の間違いがありましたこと、深くお詫び申し上げます。

○O+編集後記+O○*****************************************************

 この時季の風物詩と言えば「蛍」ですね。「蛍」という字は、すでに平安時代に
使われていて、『日本書記』にも「螢」という字が出て来ます。

 日本全国には、約45種類の「蛍」が生息していると言われていますが、全ての
種類のホタルが発光するわけではなく、そのうち発光するのは約15種類程度なん
だそうです。「源氏螢」「平家螢」と呼んだりする名前の由来には諸説があります
が、歴史的背景から庶民の間で、体が大きいほうを「源氏」、相対するほうを「平
家」と通称で呼んでいたものが広く定着していったものと考えられます。

 余談ですが、夕立が降った日は「螢」がたくさん飛ぶそうですよ。

 これからも、【連】では様々なイベントの開催予定や、日本の文化・歳時記など
について皆さんに、どんどんお伝えしていきます。

  [次の発行は、7月1日(土)の予定です。次回も、お楽しみに!]
                                  (治)

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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
記事が面白かったら是非、シェアいただけると幸いです。