嵯峨野文化通信 第10号

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      〔嵯峨野文化通信〕 第10号 2006年7月1日
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 伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識
 について、学び広めていくための活動をしている団体です。

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 ○●○ もくじ ○●○

  1.【連】からのお知らせ
  2.京都をめぐる歳時記 〜小暑の章〜
  3.(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』 第5話
  4.(連載)『ニッポン城郭物語』 第五幕
  5.メンバー紹介

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§――1.【連】からのお知らせ――――――――――――――――――――§

○祇園祭―荒ぶる神の宵茶会―のご案内

 祇園祭宵々山の7月15日(土)に、お茶会をひらきます。このお茶会は、「
三壷庵」の「茶道教室」に関わった人達がお点前などをしますが、同時に、《祇
園祭とは何か》を語らう場にしたいと思っています。

 タイトルを「荒ぶる神の宵茶会」としたのは、祇園祭の由来(=疫病退散)に
基づいたものです。明治元年の神仏分離令まで祇園社と呼ばれていた八坂神社の
祭神が牛頭天皇(ごずてんのう)という渡来の神であったこと(現在は、スサノ
オノミコト)は、意外に知られていません。牛頭天皇は障碍神(=わざわいをも
たらす神)であると同時に、守り神でもあるという両面性をもっています。祇園
祭と牛頭天王について考えることで、日本の文化の両義性、多様性を知ることに
もなるでしょう。
 祇園祭についてともに語らい、一服のお茶を楽しむ。そんな趣向でお待ちして
おります。宵々山お出かけの前に、どうぞお気軽にお越しください。

 日 時:7月15日(土) 午後3時〜7時(お好きな時間にお越しください)
 場 所:嵯峨野「三壷庵」
 参加費:500円
(事前申込みは不要です)

●「祇園祭―荒ぶる神の宵茶会」のURL
http://www.ren-produce.com/event/060715_tyakai/

 また、同日(7月15日)午後1時より[嵯峨野学藝倶楽部]の新講座「サロ
ンから日本文化を見る」の合同講座もあります。詳しい内容は下記のURLから
ご覧ください。

●「サロンから日本文化を見る」のURL
http://www.ren-produce.com/sagano/salon/

★[嵯峨野学藝倶楽部]に関するお問合せ・お申込みはこちらから★
sagano@ren-produce.com

§――2.京都をめぐる歳時記 〜小暑の章〜 ―――――――――――――§

 太陽の黄道上の位置によって1年を24分割し、15日ごとに季節区分名を設
けたものを二十四節季と言います。7月7日〜22日は、二十四節季の1つ「小
暑(しょうしょ)です。

 小暑の前後に梅雨が明け、暑さが本格的になる頃です。『暦便覧』には「大暑
来れる前なれば也」と書いてあります。小暑〜大暑(7月23日〜8月8日)の
期間中が[暑中見舞い]を出す時季で、立秋(8月8日〜9月22日)を過ぎる
と[残暑見舞い]を出す時季になります。

 また、この時季には、蓮の花が咲き始め、鷹の子が巣立ちの準備を始めます。
蝉の合唱が始まる頃でもあります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「小暑」の時季を楽しむために〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

○祇園祭 宵々々山(14日)・宵々山(15日)・宵山(16日)

 17日お昼のハイライト「山鉾巡行」も勇壮ですが、前夜祭とも言うべき宵
山の3日間は、まさに夜のハイライトですね。各山鉾町では、山や鉾を豪華に
飾り付け、駒形提灯に明かりがともされます。笛や鉦で祇園囃子が奏でられ、
通りには露店も連なり、「祇園祭」の風情は最高潮の時を迎えます。

 14日〜16日は、午後6時〜11時まで、四条通や烏丸通が歩行者天国と
なりますので、じっくりと鑑賞してみるのもいいかも知れませんね。

 また、16日の午後10時頃、南観音山では観音像をかついで町内を回る、
迫力のある「あばれ観音」が行われます。

§――3.(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』――――――――§

         第5話 ―庄内篇―    太田 達

 庄内を訪ねるのはこれで3度目である。
 最初は、土門拳記念館や本間美術館など文化施設が多く集まり、鳥海山をの
ぞむ雄大な景勝の地にある、酒田の出羽遊心館で、十三夜の茶会を行った。2
度目は、庄内酒井藩が明治になり職を失した多くの藩士のための開墾場の旧跡
松ケ岡で、特にテーマを決めず、本陣の中心にある昼でも明りが入らない小部
屋で、その暗闇を利用し手燭1本にて一碗の濃茶を練った。

 そして今回。茶席は、九鬼周造の『「いき」の構造』をテーマにすることに。
同時に開催される友人の犬飼千賀子女史の着物作品展に呼応したものである。
彼女の着物は、ひと言で言うなら「粋(いき)」。庄内鶴岡出身、京都で磨か
れた友禅の滑らかな筆は、粋そのものであり、その人柄には江戸の感覚も感じ
られる。

 茶会は「飯後の茶事」(※註1)の形式をとった。最初に碗物として京都の
白味噌の雑煮を出した。餅は米所庄内の餅を使用。京都と庄内鶴岡の食のコラ
ボレーションである。雑煮の餅の形は、富山、岐阜以東は、特別な例をのぞい
て基本的に角餅である。実は、庄内地方はその例外の一つであり、丸餅を食べ
る。北前船で京都と関連してきたこの地方は、今でも京都との相似的なものを
よくみることができる。茶事において雑煮とは不思議に思われるかもしれない
が、実は茶道の形態の基本は室町時代中期の酒宴にあり、一献目のあては雑煮
が決まりごとであった。15世紀の茶会記(※註2)においても「ざうに」を
散見することができる。
 20人のお客を暗がりにお迎えした。本席の床には岡倉覚三(※註3)の手
紙。九鬼は京大の先生時代、岡倉の手紙には茶掛けの風があると書き残してい
る。また、関雪(※註4)が彼の彼女の姿を描き残した軸を待合に、鉄斎がそ
の彼女に歌を送るため盃洗に筆をとったものを建水に使うなど、私的には”彼
女道具”と名付けたものを取り合わせた。白蝶貝の棗(なつめ)も予測通り暗
闇にほのかに浮かびあがり、茶席全体に色香をただよわせた。亭主、半東、運
び(※註5)は、友人の加藤君と山出君と私の不粋な男3人が担当した。男性
の接待というものは、見慣れてないがゆえのご馳走という意味ではなく、同朋
衆、配膳、ホストクラブという、ある種の「粋」の系譜に連なるものかと、言
い訳をしておこう。

 かくして茶会は終了した。片付けを終えて庭に出ると、出羽三山の黒く優し
い山影があった。
                                 (了)

(※註1)飯後の茶事(はんごのちゃじ)・・・食事時を外した茶事。菓子茶
事ともいう。
(※註2)茶会記(ちゃかいき)・・・茶会の記録を記したもの。
(※註3)岡倉天心(おかくらてんしん:1862or1863〜1913)の
こと。『The Book of Tea』の著者。
(※註4)橋本関雪(はしもとかんせつ:1883〜1945)のこと。京都
画壇の重鎮。
(※註5)運び(はこび)・・・大人数の茶会において菓子や茶を運ぶ人のこ
と。

§――4.(連載)『ニッポン城郭物語』――――――――――――――――§

                ―第五幕―
                              梅原 和久

 前回は跡形もなくなった城を取り上げた。しかし、実のところ、そういう例
のほうが稀であり、通常城跡には石垣や土塁など、何らかの痕跡が残っている
ものである。そして、往々にしてそこには明治以前とは異なる物が建てられて
いたりするものだが、実はそのほとんど全てが、明治以降三回訪れた「城復元
ブーム」の時期のものなのだ。

 一度目は昭和の初め。大坂城(※)や洲本城、伊賀上野城などがそれだが、こ
の時期の特徴は、ほとんど史実無視、と言って良い。大坂城天守は、一応「大
坂夏の陣屏風」に描かれた絵、つまり豊臣時代のものを参考にしてはいるもの
の、その天守を支える石垣は徳川時代の物。つまり、木に竹を接いだような、
非常にバランスの悪いものとなっている。その他の城については絵図を基にす
るどころか、城風の建造物でしかない。

 二度目は昭和30年代から40年代。中でも、昭和29年から41年までの
13年間は、なんと二十四城が建てられ、まさに昭和の築城ラッシュの様相を
呈した。この時期は、数年前に戦災消失した城(名古屋・和歌山・岡山など)
や、明治初期の写真が残っている城(会津若松・熊本など)が多く、外観は比
較的忠実に再建されている。相変わらず史実無視の城風建造物(岸和田・伏見
・唐津など)も濫造されてはいるが・・・。
 しかし、比較的忠実とは言え、細かい点での差異は大きい。特に目立つのは、
最上階の形状変更である。観光の目玉として建てられたため、新たに展望台と
しての使命を課せられたことがその原因であろう。窓を大きく(名古屋・大垣
など)したり、廻縁(手すりを付け、外に出られるようにしたもの)を追加(
小田原・岡崎など)したり、とやりたい放題である。あと、言うまでもないが、
全て安価で安易なコンクリート造りであることも忘れてはならないだろう。

 そして三度目が、現在である。そう、今は「平成築城ブーム」のまっただ中
なのだ。知ってました?
 その特徴は、木造による極めて忠実な復元、という大変好ましいもの。その
嚆矢となったのは白河小峰城。以後、掛川・白石・大洲・新発田と続く。天守
だけでなく、櫓や門に到るまで木造での忠実な復元が進められているのもこの
時期の特徴であり、広島・金沢・備中松山・松江・熊本など、全国各地で、現
在進行形で整備が進んでいるのだ。いい時代である。

 いっそのこと、各地のコンクリート造りの城を一旦全部壊して、木造で忠実
に復元してもらえないかなぁなんて夢想しているのは私一人ではないだろう。
間違いなく。

※大坂城(大阪ではない!)と言えば、一般的には豊臣秀吉の城、という認識
だろうが、豊臣時代の大坂城は現在、地上から完全に消滅している。豊臣大坂
城を徹底的に土中に埋め、新たに徳川が築き直したのが今に残る大坂城である。

                               (つづく)

§――5.メンバー紹介――――――――――――――――――――――――§

 【連】のメンバーによる、自己紹介のコーナー。
10人目に登場するのは、荒木さんです。

 職場の友人に「和菓子作り体験ができる」と言われて、「小鼓展」併設の蒔菓
子展用菓子制作に参加させていただいたのがきっかけで、【連】の活動に参加さ
せていただくようになりました。
主にイベント時の工作担当をさせていただいております。

 日本の伝統文化に興味はあるものの、左利きということもあり、自分ではなか
なか実践に踏み切れないのですが、「よいもの」を広めていく環境を整えるとい
う側面で、自分が出来ることがあればいいなと思っています。

○O+編集後記+O○*****************************************************

 7月、8月にかけて花を咲かせる植物と言えば、「蓮(はす)」ですね。
「蓮」の古名は、蓮の果実の入った花托(蓮房)の姿が蜂の巣に似ていたところか
ら「蜂巣(はちす)」と呼ばれていましたが、平安後期以降、現在の「蓮」と改名
されました。
 仏教では極楽浄土の花であり、清らかで神聖な花でもある蓮の花ですが、古代エ
ジプトでは、オシリス王に捧げられた花で「復活・再生」の象徴とされています。
また、オシリスは大変に雄弁だったところから、花言葉の「雄弁」の由来になって
います。

 「蓮」の花は、夏の朝、水面まで花茎を伸ばして開花しますが、午後3時頃には
花が閉じます。おもしろいですよね。

 これからも、【連】では様々なイベントの開催予定や、日本の文化・歳時記など
について皆さんに、どんどんお伝えしていきます。

   [次の発行は、7月15日(土)の予定です。次回も、お楽しみに!]
                                  (治)

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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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