嵯峨野文化通信 第4号

☆————-伝統文化プロデュース【連】メールマガジン————–
      〔嵯峨野文化通信〕 第4号 2006年4月1日
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 伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意
識について、学び広めていくための活動をしている団体です。

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 ■□■ もくじ ■□■

 1.【連】の今後の催し
 2.京都をめぐる歳時記 〜清明の章〜
 3.(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』
 4.(連載)『ニッポン城郭物語』
 5.メンバー紹介

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◇――1.【連】の今後の催し――――――――――――――――――――◇

 第2号で予告していた「京都歴史講座」の内容が決まりました。
 「京都の歴史の基礎」というスタンスでわかりやすくお話いただけるので、
「歴史は苦手…」という方でも大丈夫。勿論、京都検定を目指している方にと
っても、新しい知見が得られること請け合いです。
 質問のコーナーもありますので、気軽に参加してみてください。

 第1回:「長岡京・平安京遷都」・・・・4月 9日(日)午後1時〜2時
 第2回:「嵯峨天皇・淳和天皇の時代」・5月 7日(日)午後1時〜2時
 第3回:「平安・鎌倉時代の建造物」・・6月11日(日)午後1時〜2時
     
 講 師:中村武生氏(佛教大学・天理大学非常勤講師、京都新聞夕刊に、
           「京都検定 日めくりドリル」を好評連載中)

 参加費:1回1,000円(茶菓子付)

 定 員:各回30名(先着順)

嵯峨野学藝倶楽部のホームページ
http://www.ren-produce.com/club1.html

★嵯峨野学藝倶楽部に関するお問合せ、お申込みはこちらから★
sagano@ren-produce.com

◇――2.京都をめぐる歳時記 〜清明の章〜 ―――――――――――――◇

 4月5日は、1年の気の流れを分節した二十四節気の一つ「清明(せいめい)
」です。

 「清明」は、天地や万物、生きとし生けるものに「清新の気」が満ち溢れて
くる時季をいい「清浄明潔」の略です。「清浄明潔」は、春先になって万物が
明るく生き生きとしてくる有様を表現している言葉で、春分の日から15日目
で「草木清明」となる時季でもあります。『暦便覧』には「万物発して清浄明
潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されています。

 「清明」の日を、中国では「清明節」と呼びます。中国ではこの日、先祖の
墓参りをし、草むしりなどの掃除する日であり「掃墓節」とも呼ばれました。
また、春を迎えて郊外を散策する日でもあり、「踏青節」とも呼ばれました。
『白蛇伝』に記される、許仙と白娘子が出会ったのも、清明節でにぎわう杭州
の郊外でした。

 沖縄県では「ウシーミー」と呼んで、中国の風習と同じく、お墓参りに行き
ますが、お墓の前で親類が揃って食事を楽しむ風習があり、「清明祭」とも言
われています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「清明」の時季を楽しむために 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

  京都に春を告げる、芸妓さん・舞妓さんの踊りが今年も行われます!

○第54回 北野をどり

 上七軒歌舞会の舞踊公演です。もともと上立売浄福寺にある岩上座で行われ
ていた温習会が、1902(明治35)年に北野クラブに移り、1952(昭
和27)年に開催された「北野天満宮1050年記念万灯会」に協賛して正式
に始まりました。

  日 程:4月15日(土)〜25日(火)
  時 間:午後1時、午後3時(日によって、午後5時の公演もあります)
  観覧料:4.300円(茶券付特別席の入場料)
      3.800円(入場料)
  会 場:上七軒歌舞練場(京都市上京区真盛町)

 ☆【連】が運営する「上七軒友の会」会員の方は、北野をどりのチケットを
特別料金でお求めいただけます。詳細はinfo@ren-produce.comまでお問い合わ
せください。

●上七軒歌舞会のホームページ
http://www.maiko3.com/

○第134回 都をどり

 明治維新の東京遷都に伴い、京都では王朝以来の歴史の誇りを守るべく、博
覧会の計画が進められ、その「附博覧」として1872(明治5)年に創演さ
れました。

  日 程:4月1日(土)〜30日(日)
  時 間:午後0時30分、午後2時、午後3時30分、午後4時50分
  観覧料:4,300円(茶券付特別席)・他
  会 場:祇園甲部歌舞練場(京都市東山区祇園町南側)

○第57回 京おどり

 1950(明治25)年に、はじまりました。

  日 程:4月8日(土)〜23日(日)
  時 間:午後0時30分、午後2時30分、午後4時30分
  観覧料:4,300円(茶券付特別席)・他
  会 場:宮川町歌舞練場(京都市東山区宮川筋四丁目)

○第169回 鴨川をどり

 1872(明治5)年に、初演されました。

  日 程:5月1日(月)〜24日(水)
  時 間:午後0時30分、午後2時30分、午後4時30分
  観覧料:4,300円(茶券付特別席)・他
  会 場:先斗町歌舞練場(京都市中京区先斗町通三条下る)

◇――3.(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』――――――――◇

        第2話 ブッダガヤ茶会記 ―下―
                               太田 達

 茶室は、その樹の下にあった。
 今回の場合、茶の呈される場を茶室と解釈する。
 その樹とは、一本の菩提樹。釈尊がその下で瞑想し、悟りを開いた樹である。
 マハボディ寺院・大塔(52m)の丑寅の片隅の木陰。30畳ほどのスクエ
アである。点前座(※註1)は。菩提樹の真下、金剛宝座(※註2)に平行す
る。
 献茶式(※註3)である。裏千家(※註4)十六世坐忘斎家元が、台子(※
註5)に臨まれた。
 マハボディの管長以下、十数名の僧侶の読経の中、作法どおり、2碗が点て
られてゆく。天目台(※註6)にのった茶碗は家元の手により、金剛宝座に供
えられた。その間、およそ30分ほどであった。不思議な時間であった。

 実は、1時間ほど前からその場を確保することが私の仕事であった。大塔の
まわりは世界各地――ネパール、ブータン、チベット、タイ、中国、台湾、日
本、韓国、ヴェトナム、ミャンマー、スリランカなど――の仏教国から熱心な
ブッディストが詣りに来ている。献茶式の始まる数分前まで、点前座のただ中
を、赤や黄の僧服のラマ僧が、しゃくとり虫のごとく、五体投地して横切って
ゆく。蚊だらけである。インドの蚊取線香が焚かれる。こんなところで殺生し
てもよいのかな・・・。

 心配はご無用。この蚊取線香は効かない。まわりからは、各国語の読経が何
度も波のように押し寄せてくる。

 アジアの雑踏はすばらしい。その中での瞑想。――茶の時間である。
 唐突ではあるが、最後に、100年前にこの場に座った岡倉天心の『東洋の
覚醒』の一文をもって、この茶会記を終えたい。

  西洋はしばしば東洋には自由が欠けているといって非難した。たしかに、
  われわれには、互いの主張によって身を守るあの粗野な個人の権利とい
  う想念あの不断に人を押しのけて進むような、(中略)粗野な権利の想
  念はないのだが、それは西欧の栄光であるらしい。われわれの自由の概
  念は、それより遥かに高いものである。われわれにとって自由とは、個
  人の内面的な理想を完成する力にある。

 茶の根底にあるアジアの思想。人に優しく、人のため・・・
                                 (了)

(※註1)点前座<てまえざ>・・・茶を点てるために座る場所。
(※註2)金剛宝座<こんごうほうざ>・・・釈迦が悟りを開かれた場所とされ、
石の台座がある。ブッダガヤの聖域の中でも特別な場所とみなされている。
(※註3)献茶式<けんちゃしき>・・・神前、または貴人にお茶を献ずること
を献茶という。献茶式は、家元が多くの人々の前で点前姿を披露するものであ
り、明治13年(1880)に北野天満宮で始められた。
(※註4)裏千家<うらせんけ>・・・千利休を祖とする三千家の一つ。利休の
孫の宗旦の末子仙叟宗室から続く流派。
(※註5)台子<だいす>・・・座敷における点茶棚。元来、中国禅院で使用さ
れていたもので、現在は格式の重い時に用いられる。
(※註6)天目台<てんもくだい>・・・天目と呼ばれる茶碗(中国浙江省から
鎌倉時代に禅僧がもたらした)をのせる台。貴人に茶を供する時に多く用いる。

◇――4.(連載)『ニッポン城郭物語』――――――――――――――――◇

              ―第二幕―
                               梅原 和久

 私が城マニアであることを知った人から聞かれる質問で一番多いのが、「今
まで行った城の中で一番良かったのは?」というもの。
 「城が好き」なんて言われて話題に困るのは分かるが、まず大抵の場合はこ
れを聞かれる。次に続くのが「最近どこの城に行った?」で、この話題は終了。
まぁ、相手もそれ以上語られても困るだろうから、別に問題はないのだが。

 この一連の会話の中で、例えば、京都で言うと二条城の話をしたときに多い
のが、「え? あそこって城ないやん」という反応。文字で書くと変に思える
かもしれないが、こう言われることは実際にある。
 「石垣とか堀とか、櫓まであるがな」「いやいや…」という具合に話してみ
ると、「城がない」=「天守がない」という意味だった、ということが分かる
のだ。

 確かに、城と言えば屋根に鯱(しゃち)を乗せた高層建築(天守)そのもの、
というのが一般的なイメージかもしれない。

 しかし。

 たとえ石垣しか残っていなくても、いや、石垣さえなく、町名にだけその名
を留めているようなところであっても、かつて存在したのならそこは城である。
天守の有無など問題ではない。そもそも、その完成期でさえ天守が存在しなか
った城は多いのだ(有名なところで仙台城や金沢城など)

 苔むした石垣や堀の痕跡などから往時に思いをはせることにロマンを感じる
私としては、昭和後期に濫造された、正確な時代考証に基づかない「天守風」
の建造物などかえって邪魔である。

 かつて城下町であったことさえ忘れられている町、京都近郊で言うと、例え
ば高槻や尼崎、亀岡を考えてみてほしい。つい130年ほど前の明治初年まで、
2重3重の堀に満々と水をたたえ、累々と続く石垣の上に白亜の天守がそびえ
る城があった、なんて想像するだけでワクワクしないだろうか?
 …しないか。ならもういい。(スネるな!)

 ということで今回はここまで。話の流れ上、次回は「明治になって無用の長
物とされた城の哀れな末路」について書く予定。多分。
                               (つづく)

◇――5.メンバー紹介―――――――――――――――――――――――◇

【連】のメンバーによる、自己紹介のコーナー。
今回で4人目。登場するのは、会社員の冨田幸彦さんです。

 メルマガ編集部から「次号は普通の人」ということでご指名をいただきまし
た冨田と申します。
 転職がきっかけで、『ニッポン城郭物語』でおなじみの梅原氏と出会い、活
動のお手伝いをするようになりました。それまで伝統文化には興味はあるけど、
とても縁遠い存在でした。日本人なのに日本の文化と隔たりを感じるなんて、
おかしいですよね。
 【連】メンバーには伝統文化に近しい方が多くおられますが、私は私なりに、
素人目線で「伝統文化が身近になるには?」を考えてみたいと思います。

○O+編集後記+O○**************************************************

 今日から4月、新しい年度になりましたね。
[嵯峨野学藝倶楽部]も、いよいよ開講間近になってきました。

 これからも、日本の文化に関する身近な話題や、京都の歳時記などについて、
皆さんにどんどんお知らせしていきます。

  [次の発行は、4月15日(土)の予定です。次回も、お楽しみに!]

                                 (治)

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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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