『手のひらの自然 京菓子展 2018』源氏物語から考える ②「源氏物語」には何が書かれているか―愛と政治の物語としての「桐壺」 その参

『手のひらの自然 京菓子展2018』に寄せた御手洗靖大さん(早稲田大学大学院文学研究科修士課程在籍)によるブログの第四弾です。

「桐壺」で、儚い命を散らそうとする桐壺更衣と帝に別れが近づいて、物語はいよいよ劇的な展開を見せようとしています。

では、続きをどうぞお楽しみください。

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帝に強く愛された桐壺更衣は、その愛ゆえに苛烈な日常を過ごすことになります。彼女の死は目前に迫っていました。自分のもとから愛する彼女が離れてゆくことに、帝は心を乱します。

 

限りあれば、さのみもえとどめさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふかたなくおぼさる。

 

帝という身分は非常に大変なもので、様々に制限があります。二人の愛を語り続けた物語も、最期には政治の論理にしたがうしかない。帝は離れていく愛する女を送ることもできません。

このことは「だに」という言葉がよく物語っています。「だに」という言葉は、最小の条件をいうときにいいます。だきしめることは、ふれることは、できなくとも、せめて、見送ることだけでも・・・。

しかし「送らぬ」とあるように、それはできないのですよね・・・。

「おぼつかなさ」とは対象を把握できないモヤモヤです。心が突き動かされながらも、それはできないのだという諦観。愛する人の死をありありと感じたとき、あなたはどうなりますか。

 

いとにほひやかにうつくしげなる人の、いたう面(おも)痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言(こと)にいでても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを、

 

桐壺更衣の様子です。瀕死の様が描かれます。このような女の姿を、うつくしいという源氏物語の語りも味わいたい所です。さて、帝はどうする。

 

御覧ずるに、来しかたゆく末おぼしめされず、よろづのことを、泣く泣く契りのたまはすれど、

 

完全にボロボロになっています・・・。源氏物語には「契(ちぎ)り」という言葉が出て来ますが、これも美しい言葉だなと思います。ここまで愛し合えた巡りあわせなのだから、愛は絶えぬよな。

 

御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、われかのけしきにて臥したれば、

いかさまにとおぼしめしまどはる。

 

桐壺更衣はあるかなきかの様です。帝は「おぼしめしまどはる」。動揺を隠せません。

さあ、出発だ、となったとき、特別待遇で退出させようとしますが、なんと、帝は突き動かされる衝動で、政治の論理に抗おうとします。桐壺更衣と最期の面会をするのです。

 

輦車(てぐるま)の宣旨(せんじ)などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。

「限りあらむ道にも、おくれ先だたじ、と契らせたまひけるを、さりともうち捨てては、え行きやらじ」とのたまはするを、

女もいといみじと見たてまつりて、

「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり

いとかく思ひたまへましかば」と息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、

かくながらともかくもならむを御覧じはてむとおぼしめすに、

 

ここのすごさ、分かりますでしょうか。

帝は言います。「いつかは終わりの来る道も、共に、後(おく)れることなく先に逝くこともすまいと、貴女はお約束なさったけれど、いくらなんでもこの私をうち捨てて逝くことはできないであろう?」実は、帝の声がここではじめて語られるのです。そして答える桐壺更衣を、語り手は「女」と呼びます。

帝と桐壺更衣という関係性を、語り手が取り払った瞬間でした。帝と後宮女官、という政治の論理に対する男のさいごの抗いに、語り手が応えたと瞬間といえるでしょう。ここにて二人の愛の物語はクライマックスを迎えます。

物語のクライマックスは和歌が飾ります。これは源氏物語だけではなく、源氏物語以前の物語でも見られます。

男のかけた言葉によって、女の最期の言葉が歌によって紡がれる。恋愛の場面での和歌のやりとりとは、言葉を媒介にした、心の通い合いを意味しました。

「限りとて別るる道の・・・」これは男の言葉をふまえた歌です。

ここでは男は歌を詠んでいないので、歌のやりとりとは言えないかも知れませんが、かけられた言葉をつかって歌うという営みは、まさに歌による心の通い合いであると言ってよいと思います。

この歌を訳してみます。

一緒に歩んで参りましたが、ここまでなのだということで、貴方はこの先も続く人生、私は死の世界へ、と分かれているこの道の悲しさに、行きたい方は・・・、生きたいのは命、命だったのです。

「いかまほしきは命なりけり」にあらわれた、心の叫びが分かりますか。彼女は何を思って生きていたのでしょう。「こんなことになると思っておりましたなら・・・」と、言葉も絶え絶えに、伝えたいことは言えずじまいになってしまいました。彼女が言いたかったことは、なんだったのか。我が子の将来を託そうとした、とするのが一般的ですが、どうでしょうね。

さて、帝はついに、もうこの女の最期まで見届けてしまおうとさえおもってしまいます。政治の論理に抗った帝はもう、愛の物語として語られる「男」となっていたのでした。

・・・けれど。

 

「今日始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵(こよひ)より」と、聞こえいそがせば、

わりなくおもほしながら、まかでさせたまうつ。

 

当時は病を祈りによって治療していました。帝のもとからついに、桐壺更衣は離れていきます。そのすぐ後、桐壺更衣は死んでしまいます。二人の愛の物語は、ふっと糸が切れるように、終わるのでした。

見方を変えると、物語がここで完結してしまう事態が回避されたともいえます。「限り」という言葉によって、物語は桐壺更衣を、帝から、そして息子の光源氏から、奪って行ってしまったのです。

このあとも帝は桐壺更衣を思慕し、そして光源氏も、母の面影をもとめて光源氏物語が始動していきます。

桐壺更衣という女を奪われた二人の男は、桐壺更衣を探し求めます。これは、源氏物語前半の大きなテーマとなると言ってよいと思います。そしてみつけたのが、藤壺という女。

帝は藤壺を愛し、そして光源氏も・・・。

光源氏は、父の愛した藤壺と密通し、そうしてうまれた子が天皇となってしまいます。それを背負って光源氏は生きていくわけです。

源氏物語という長大な作品のもっともはじめの部分は、壮大な物語の幕開けを飾るにふさわしい、完結しないドラマチックな物語であるというのが、私の考えなのですが、みなさん、いかが思われますか

 

【補足】

それにしても、帝はどうして政治の論理に抗ったのでしょう。

私はここに、帝の若さを読み取りたく思います。

ところで、源氏物語研究では、この場面は特に、政治的、歴史的、和漢比較文学的といったアプローチで膨大な研究史があるようです。

なので、今回の私のお話は、もしかすると異端な解釈と言われるかもしれません。

けれど、私と同じように帝を青年としている人がいました。それが、歌人の与謝野晶子です。彼女は源氏物語の訳の本を二回刊行しています(訳については実は三回)。その中の最初の訳『新訳源氏物語』には次のような訳があります。

 

陛下は二十歳になるやならずの青年である。恋のためには百官の非難も意に介せられない、いよいよ寵愛はこの人一人に集まるさまである。(底本は逸見久見ほか編『鉄幹晶子全集』勉誠出版2002年)

 

晶子の中の桐壺帝のイメージはこのようなものであった事が分かります。晶子訳にかぎらず、訳者の解釈が反映されるというのは避けられないことですが、これを訳者の先入観として退けるのではなく、そこになにか「原文」の物語がもつ、語りの仕組みがないか考えるのも重要だと考えます。

晶子のこの桐壺帝像、間違っていないように思うのです。

桐壺更衣の臨終に非常に心を乱す帝を先ほど見たわけですが、そこに、帝の青年のような表象を読み取ってよいのではないでしょうか。また、本文としてとりあげませんでしたが、源氏が生まれた場面での「いつしかと心もとながらせたまひて、いそぎまゐらせて御覧ずるに」というはしゃいだ様子もそのように読み取れるように思います。

 

今回のテーマは政治的な論理を越えて展開される愛の物語としました。ただし、私は恋愛至上主義的な解釈をしようとするのではありません。これは桐壺帝側からの視点だけである、という可能性もあるからです。桐壺更衣を傾城的な、悪女として読む可能性も考えられないとは言えないということです。

また、今回取り上げなかった、皇統などといった政治的・歴史的背景も考えてしかるべきだと思います。これらは語りによってつくられた源氏物語を解体し、再構築する重要な営みです。

では今回ここで考えたのは何だったのか、というと、語り手によりそって源氏物語を読んだらどのようになるのか、ということと、桐壺帝に焦点をあてて読んでみるとどうなるかということでした。クライマックスといってよいような、非常にロマンチックな物語として読めたように思います。とてもおもしろいと思いませんか。

附言しておくと、この青年としての桐壺帝像は、「夕顔巻」における源氏と通ずるところがあり、これは吉海直人氏の先行研究があります。(吉海直人「桐壺更衣の政治性」『源氏物語の新考察―人物と表現の虚実』おうふう2003年所収)

 

先行研究についてはまだまだ勉強不足の感があり、専門家のご意見もいただきたいところです。どうぞよろしくお願いいたします。

 

※源氏物語本文は日本文学web図書館 平安文学ライブラリーの本文を用いました。

御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M1)

多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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