『手のひらの自然 京菓子展 2018』源氏物語から考える ②「源氏物語」には何が書かれているか―愛と政治の物語としての「桐壺」 その弐

『手のひらの自然 京菓子展2018』に寄せた御手洗靖大さん(早稲田大学大学院文学研究科修士課程在籍)によるブログの第三弾です。

「桐壺」で、ついに光源氏が誕生。そのことにより帝と桐壺更衣の間はどのように変化していくのでしょうか。

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光源氏の誕生のウラで窮地に陥るヒロイン

さて、そんな二人の世界に、愛の結晶として、非常にかわいらしい男の子が生まれました。これが光源氏です。しかし、前回読んだように、物語冒頭でここまで悲劇の愛を語られた以上、二人の試練は終わるはずはありません。むしろここから始まるのでした・・・。

天皇の子が生まれるというのは大層なことですよね。実はこの帝には、すでに他のお姫様との間に男の子が生まれていて、その子が次の天皇となる皇太子だろうと思われていました。しかし、あまりに帝が桐壺更衣とその子をかわいがるので、そのお姫様も気が気ではなくなってしまいました。

この、お姫様というのが弘徽殿の女御という方で、そのときの最上位のお姫様でした。また、帝にとってもめっちゃ恐い人やった・・・とも書かれています。語り手は弘徽殿の女御を悪役のように描きあげるのですね。(「花宴」という巻に、ある事件で大人になった光源氏にぶち切れるという場面がありますが、たしかにめっちゃ恐い・・・)

お世継ぎのために帝のもとへ入る女性は、次の天皇の母になる可能性があるということで、実家の繁栄を直に担っていましたから、弘徽殿の女御側からすると、桐壺更衣という異例の存在を、なんじゃこいつとするのは、冷静に考えると理解出来ます。でも、そういう政治的な論理をも、帝と桐壺更衣の困難な愛を「語る」ということによって、おしつぶすのが源氏物語のすごさなのかもしれません。

 

さて、弘徽殿の女御という最強のお姫様を敵にまわして、桐壺更衣は一層苛烈な仕打ちを受けます。ここらへんはとってもリアルなので、ぜひ読んで見て下さい。

そんな中、桐壺更衣(光源氏という天皇の子を産んだので、御息所と呼ばれます)に異変が訪れます。もう彼女のいのちは限界まで来ていました。

 

の年の夏、御息所、はかなきここちにわづらひて、まかでなむとしたまふを、いとまさらに許させたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばし試みよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。

 

悲劇の愛が語られるとき、女の危機に、男はたいてい身勝手で、鈍感なものです。私の浅い経験でもこれは今も同じかも知れません・・・。(みなさん、どう思われますか?)

もう限界である、ということを告げても、帝は桐壺更衣を離しません。「いや、いつもどおりじゃない?もうちょっと様子見たら?」とか、のんきなことをいってしまいます。そうすると、みるみるうちに衰弱していって、あるかなきかの様になってしまいます。桐壺更衣の母君は懇願して桐壺更衣の里下がりを求めるのでした・・・。

さて、最愛の人の危機に、帝はどういった判断をするのでしょうか?

 

【次回へつづく】次回の更新は7月28日(土)16:00を予定しております。どうぞお楽しみに。

 

※源氏物語本文は日本文学web図書館 平安文学ライブラリーの本文を用いました。

御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M1)

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