伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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〔嵯峨野文化通信〕 第30号
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日々の暮らしに「和」の魅力をプラスしてみませんか?
伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。
京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
毎月1日・15日(月2回)
★VOL:30(2007/5/1)
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こんにちは(@^ー^@) 〔嵯峨野文化通信〕です☆
GWの真っ只中ですね♪ みなさんはいかがお過ごしですか?
旅行に出かけている方や近場に遊びに出かけている人もいれば、お休みなのに、やらなき
ゃいけないことが山積みの方もいらっしゃるのカナ?
旅行に出かけている人にも、仕事をしている方にも楽しんでいただける盛り沢山の内容
でお届けする今回の〔嵯峨野文化通信〕は、新緑の季節にピッタリのイベントからお知ら
せします。
それでは、〔嵯峨野文化通信〕第30号のスタートです!
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┃も┃┃く┃┃じ┃
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○【連】からのお知らせ—————————「山野草の展示即売会」
○(連載)『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』—–四ノ巻
○(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』—第16話
○(連載)『ニッポン城郭物語』——————-第十六幕
○やまとのくには言の葉のくに———————第六首
○京の伝統行事———————————–葵祭(京都三大祭)
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【連】からのお知らせ
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【連】では、京都の洛北・大原の地元の方が大切に育てた「山野草」を直送販売してい
ます。この度、「山野草直送便」のリニューアル1周年を記念し、京都・嵯峨野にて、山
野草の展示即売会を2日間に亘って行います。
当日は、季節の山野草を展示即売する他、12日(土)には、[嵯峨野学藝倶楽部]で
「うたことばを遊ぼう」の講座を担当していただいた、田口稔恵氏による、ミニ講座「<
うた>からみた野の花」と山野草の専門家による講座「山野草を上手に育てるコツ」を開
催いたします。また、お抹茶と和菓子のコーナーも、ご用意しております。
新緑が光輝くこの季節。普段、町中で目にすることが少ない「山野草」に直接、触れて
見ませんか? どうぞ、お気軽にお越しください。
[日時]5月12日(土)・13日(日) 午前11時〜午後5時
[場所]嵯峨野「三壷庵(さんこあん)」
[内容]季節の山野草の展示即売会
12日(土)「<うた>からみた野の花」 講師:田口稔恵氏
「山野草を上手に育てるコツ」 講師:辻 誠氏
★「山野草直送便」のホームページ
http://www.ren-produce.com/sanyasou/
★「山野草展示即売会」に関するお問合せは、コチラから。
yasou@ren-produce.com
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(連載)『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』
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四ノ巻
鈴木 岳海
昭和14年、京都での新婚生活がはじまった矢先に、おじいは出兵した。
おばあは、新居が定まる前であったため、長兄家族とともに東林町に住んでいた。少し
歩くと現在の京都・第二赤十字病院があり、路面電車の駅もある非常に便利な場所であっ
た。家は路面電車の走る表通りから一本入った通りにあったが、表通りはにぎやかで、焼
き物の店が多く、窯もその町にあったという。そこから、おばあは、京都市美術館まで路
面電車に30分ほど揺られて通っていた。仕事終わりには、三十三間堂や女友達とコーヒ
ーを飲みに新京極をぶらぶらしたり、女友達の家を訪ねたりしていた。休日には、京阪電
車で1時間ほどかけて奈良へ遊びに出かけた。この頃のことを聞くと、どうして京都にい
た時に写真をとらなかったのかと、今でも思うほど、自由で楽しかったといきいきと話し
てくれる。
一方で、気を遣う美術館のバイトと気疲れする長兄家族との2年間の暮らしの途中に、
おばあは、実の兄夫婦のいる群馬県沼田の実家に戻ることがあった。楽しい思いだけでは
済まない居候生活。そんな時、逃げるように実家に戻ったが、両親のいないその場所は、
すでにいづらい場所になっていた。そこで、吾妻にいた腹違いのおばさんのもとへ、トラ
ンクを下げて行くことに。子供がいないおばさんは、おばあをかわいがり、製糸所(*1)
で繭の選別を担当するバイトの紹介もしてもらう。仕事はすぐに疲れるため休んだりさぼ
ったりすることが多かったが、お花を習ったり、ちょっと丸めただけの髪型の頭の後ろに
京都の知り合いから送られたかんざしをさして、日々の生活をゆったりとすごしていた。
京都での刺激的で楽しくありつつも、少々疲れた生活からしばし離れ、おばさんとの居心
地の良い生活を楽しんでいた。その時、おじいが帰ってくる報せが来る。沼田から兄とお
じいを迎えに行き、おじいの親戚回りをしたひと月を経て、昭和16年、おじいとおばあ
は京都に戻った。
それから、おじいは東山や京都以外での焼き物仕事と出兵を繰り返し、おばあは子供を
連れながらそれについて行くバタバタとした生活を送ることになるが、今回はこの辺で。
(つづく)
(*1)第84代内閣総理大臣である小渕恵三氏の父である小渕光平が設立した群馬県随
一の製糸会社。1933年に社名を小渕製糸所から光山社へと改名した。
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(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』
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極私的茶会記(6) 「ここは、どこ…?〜三内円山遺跡の縄文茶会〜」の段
イチカワ アキラ
国際芸術センター青森は、内外のアーティストが滞在し、作品を作り、展示するという
形態をとる<ミュージアム>。青々しい森の中で、安藤建築による展示棟と宿泊棟は、力
強く景観を切り取る。
さて、先入りしていたH女史と陶芸家K氏のお二人に出迎えられ、遅い昼食。その後、
市街へ買い出し。<茶の場>で使用する青竹を買い(何に使うのかは分からなかった…)、
次いで大きなスーパーへ。目に付くままにカートに食材を投げ入れる。ふと鱈のアラが目
に入る。そう、青森には<じゃっぱ汁>なる郷土料理があった…。近くにいた妙齢のご婦
人(もちろん店員さんである。念のため…)に作り方を教わり、カートにほうり込む…。
センターに戻り、T氏の作品「青森ー円」と短時間の対面。再びいろいろとお手伝いを
しているうちに、知らぬ間に時間は過ぎる。その間にも続々とメンバーが青森入りする…。
少しく不思議な感覚に陥った。<茶の場>を作り上げるために、京都から、東京から、人
が集まってくる。青森の<神>が呼んでいる…。集った面子で青森の屋台村で夕食をすま
せる。心地よい疲れ。この日も深い眠りに誘われた…。
明朝、三内丸山遺跡へ向かう。広い草原の中に竪穴式住居が点在し、巨大な櫓が立つ三
内丸山遺跡。青森の夏日はじりじりと肌を焼く。縄文人はなんて辛抱強かったのだろう…。
いや、これは復元の仕方がおかしい…? いろいろと夢想している間にも、遺跡の中に
<茶の場>のセッティングはどんどん進む…。
告白するならば、私はその時の<道具組>をあまり記憶していない。読者の方々の中に
は、茶会記らしい<道具組>の記述を期待している方がおられるか…。申し訳ない限りで
あるが、私の記憶に残っているのは、ごくわずか、である。縄文式とも弥生式ともとれる
土の水指、遮光器型土偶が模様となった素焼き? の茶碗…。ともに陶芸家K氏の手にな
るもの…。もう一つ、アーティストM氏の釜が記憶にあるが、それは次回…。ともかくも、
自らを<目撃者>と位置づけながらも、その責務をまったくもって果たせずにいる。いま
になって大いに反省…。なんと<惚けた目撃者>か!
さて、客(いや、<儀式>の参列者というべきか…)は莚にすわる。主宰のお一人であ
るK先生の発声の後、点前が始まった。点前を行うのは陶芸家K氏。遺跡の展示館から借
りたという貫頭衣(だったか…?)をまとい、蔓草を腰に巻いただけの姿であぐらを組む。
長髪を無造作に後ろに束ねたK氏、相当の役者…。陶芸家にしておくにはもったいない…?
菓子が供され、濃茶が練られていく。そうそう、菓子は黒糖がまぶされた胡桃だった…。
突如、異様な感覚に襲われる。素直に言うならば<ここは、どこ…?>、である。あえ
て説明的な言葉にするのなら、ゆがんだ時空間に迷い込んだ、あるいはぽっかりと穿たれ
た時空間の穴に陥った、感覚であったろうか…。<青森と京都>、<縄文と現在>等々、
記憶の中にある景色とすり込まれた知識が、定着することなく脳裏を滑っていく…。
だが、私が感じた<時空間のゆがみ>の最大の原因は、そこに設けられた<茶の場>で
はなかったか? <茶は鎌倉時代、栄西によってもたらされた…><茶道は千利休によっ
て大成された…>のではなかったか? 受験時、日本史で習った薄っぺらな知識が次から
次へと掘り起こされ、現実に重ね合わされる。が、どれも整合しない…。<私の目の前で
起こっているこれは、いったい何なんだ…?>
これは、<危険な果実>なのだ…。そう思い至った瞬間、私の前に濃茶の碗が回ってき
た。そして、私は、迂闊にも、その碗に入っていた<どろりとした苦い果汁>を口に含み、
ごくりと飲み込んでしまった…。
(つづく)
次回は「着物、着ませんか?〜青森国際芸術センター1〜」の段
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(連載)『ニッポン城郭物語』
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第十五幕 〜古写真の話〜
梅原 和久
まずは時事ネタから。4月15日、三重県中部を襲った地震により、亀山城の石垣が崩
れた、というニュースがあったのは記憶に新しいところだろう。しかし実は、崩れたのは
昭和47年(1972)に修復した箇所だけであり、すぐ傍にある高さ14.5メートル
の高石垣などは、400年前のものでありながらビクともしなかったことはあまり取り上
げられなかったので、ご存じない方も多いのではないか。領主権力が威信をかけて行った
400年前の建築工事と、公共事業の一つとして行われた35年前とでは力の入れ方が違
うのも当然と言えば当然だが、それでも石垣を築く技術の退化は否めないところである。
それはそれとして、崩れた石垣の写真を見ていただきたい(※1)。石垣の表面に見え
ていた大きな石がゴロゴロ転がっているのに目を奪われがちだが、土盛りの間に大量の小
石が見えている。この小石は「裏込め石」といい、石垣の排水のために大きな役割を果た
している・・・、と書き始めるとまた長くなるので今回はこの辺で止めておくことにする。
石垣だけに連載を4回も使うのも、さすがにどうかと思ったので。
そう、今回は古写真について書こうと思っていたのだった。既に2段落も費やしている
ので手短に。現在残されている城跡は、江戸時代の完成期からすればごく一部に過ぎない。
全国一の残存状況にある姫路城でさえ、残っているのは往時の3分の1以下である。世界
遺産姫路城がそんな状況なのだから、他の城の改変ぶりは言うまでもない。建物や石垣が
撤去され、堀は埋められ、別の建物が建ち並んだ現在の城跡から、江戸時代の人が仰ぎ見
た、城の現役時代の姿を想像することは難しい。
しかし、いくらかでもその姿を偲ぶことができるものとして、江戸末期から明治始めに
かけて撮影された古写真がある。幕末に渡来した写真の技術は、城の現役時代にかろうじ
て間に合った。おかげで、それまでの絵画等では不可能なほどの精密さを持った記録が残
されることになったのである。
私が古写真と出会ったのは、『日本城郭古写真集成』(昭和58年刊、西ヶ谷恭弘編、
小学館)の発刊を予告するチラシであった。ここに掲載されたいくつかの古写真は、当時
中学一年生だった私にはたまらなく魅力的で、1万5千円という値段も全く高いと思わな
かったほどだ。(それまで貯めていたお年玉や小遣いは一瞬にして消えることとなったが)
この本の発刊の契機となったのが、その年に宮内庁書陵部で発見された大阪城の写真で
ある。これが凄い。他城の写真はそのほとんどが明治以降、破却前の記念として撮影され
たものであるのに対し、大阪城の写真は慶応元年(1865)、15代将軍慶喜が在城し
た頃の、整備の行き届いた現役の城の姿を鮮明にとらえたものだからである。(※2)他
城の天守級の大型三重櫓が林立する光景は、壮観としか言いようがない。
他にも明治初年に撮影された、荒廃が進む江戸城や、建物が所狭しと立ち並ぶ西南戦争
前の熊本城、戊辰戦争の砲弾によって傷ついた会津若松城など、貴重な写真が満載である。
この本以後、古写真を集めた本はお手軽な価格のものが何冊も出版され、最近ではネット
上でも手軽に見ることができるようになっている。(※3)
(つづく)
(※1)地震のニュース記事。
http://www.chunichi.co.jp/article/national/news/CK2007041602009005.html
(※2)大坂城の代表的な古写真。
http://www.geocities.jp/sukigara_toshio/class/tokushu/kitaguchi/higashi.htm
(※3)ネットで拾った写真。他にもたくさんある。
津山城(現在は壮大な石垣が見所の城。かつてはこんな姿だった。)
http://www.city.tsuyama.okayama.jp/chikujo400/history/oldphoto/index.html
高松城(第三幕で触れた、昨年発見された鮮明な古写真も見ることができる。)
http://www.geocities.jp/yasutoshi_r/castle/takamatsu/3.htm
萩城(この美しい天守が残っていれば…)
http://www.h5.dion.ne.jp/~ztiba/LOVELOG_IMG/948B8FE98CC38ECA905E.jpg
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やまとのくには言の葉のくに
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第六首
田口 稔恵
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとゞかざりけり
(正岡子規『竹の里歌』明治34年)
正岡子規に関する書籍には、子規の横顔の肖像が載っていることが多い。不思議に思わ
れた人もいるかもしれないが、当時、子規は脊髄カリエスの悪化の為、起きることも儘な
らず、その体勢でしか写真を撮れなかったのである。喀血する自分を、鳴くと血を吐いて
いるように見えるホトトギスになぞらえて「子規」と号した。「卯の花の散るまで鳴くか
ほととぎす」という句も遺している。
明治維新という大きな時代のうねりの中で、俳句革新から、短歌革新へ前進した子規は
「貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候」と記し、伝統的修辞技法の上に
安住して歌そのものの生命を省みなくなった和歌の世界を批判し、写生の重視を提唱した。
病床の限られた視界の中で、対象を写実的に表現したこの歌は、藤十連作(※1)の冒
頭に置かれている。「藤の花房が短いので畳に届かない」というあるがままの簡潔な描写
ゆえに、却ってあとわずかで畳にとどきそうな豊な藤の花房のイメージが喚起される。
(参考文献『日本の詩歌』中央公論社)
(※1)藤十連作・・・「藤」の歌を十首、連続して作ったもの。
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京の伝統行事 〜祭に出かけてみませんか?〜
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○葵祭(京都三大祭)
賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の例祭で、5月15日に行わ
れます。古くは賀茂祭、または北の祭りとも称し、平安中期の貴族の間では、単に「祭り」
と言えば葵祭のことをさすほど有名でした。賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、
江戸時代の1694年(元禄7)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、
牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようにな
って、この名があるとされています。
祭の起源と沿革は、今から約1400年前の欽明天皇の567年、国内は風雨がはげし
く、五穀が実らなかったので、当時賀茂の大神の崇敬者であった、伊吉の若日子に占わせ
たところ、賀茂の神々の祟りであるというので、若日子は勅命をおおせつかって、4月の
吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくら
べ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったといわれて
います。また、819年(弘仁10)には、朝廷の律令制度として、最も重要な恒例祭祀
(中紀)に準じて行うという、国家的行事になりました。なお、応仁の乱(1467−7
7)ののち、1693年(元禄6)まで約200年の間、1871年(明治4)から18
83年(明治16)まで、1943年(昭和18)から1952年(昭和27)まで、中
断や行列の中止がありました。しかし、王朝の伝統は忠実に守られてきた祭儀は、宮中の
儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなるが、現在宮中の儀は省かれ、路頭の儀と社頭の儀
だけがおこなわれています。
この祭の見どころは路頭の儀(行列)で、勅使をはじめ検非違使、内蔵使、山城使、牛
車、風流傘、斎王代など、平安貴族そのままの姿で列をつくり、京都御所を出発します。
総勢500余名、馬36頭、牛4頭、牛車2台、輿1台の風雅な王朝行列が、遠く東山や
北山の峰々を眺望しながら下鴨神社へ、さらに上賀茂神社へ向かう。その道のりは約8キ
ロにもおよびます。社頭の儀は、行列が上、下両社に到着した際、それぞれの社頭で行わ
れる儀式で、勅使が御祭文を奏上し御幣物を奉納する。さらに平安調を偲ばせるみやびな
雰囲気のなかで、神馬の引き回し、舞人による「あずまあそび」の舞が奉納されます。
[日程]5月15日(火)
[場所]御所〜下鴨神社〜上賀茂神社
●下鴨神社のホームページ
http://www.shimogamo-jinja.or.jp/
●上賀茂神社のホームページ
http://www.kamigamojinja.jp/
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◆[嵯峨野学藝倶楽部]5月開講講座のお知らせ ◆
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詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/から
★「茶道教室(水曜日コース)」
日時:5月9日(水)
時間:午後1時〜5時(ご都合の良い時間に、お越しください)
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/suiyoubi/suiyoubi.html
★「サロン文化史〜食の立場から〜」
日時:5月12日(土) 午前11時〜12時30分
タイトル:「徹底解析<ちまき>」
参加費:1回2,000円(3回5,000円)
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/salon/naiyo/shoku.html
★「茶道教室(土曜日コース)」
日時:5月12日(土)
時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間に、お越しください)
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/doyoubi/doyoubi.html
お問合せ・お申込みはコチラまで→sagano@ren-produce.com
(※いずれの講座も、事前にお申込みください!)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆【連】のホームページ新着情報◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
♪「日本今様謌舞楽会」・・・「今後の予定」と「活動の記録」のページを更新しました!
▽詳細は、コチラから
http://www.ren-produce.com/imayou/
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│ひ││と││こ││と│
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五月の名称を「皐月(さつき)」と言いますね。皐月の「皐」という漢字は、白い光を
放出する様子を表したものといわれています。また「さつき」の「さ」は、接頭語で、神
にささげる稲に関することを表すという説が有力なんだそうです。
旧暦の五月は、梅雨に入り田植えの季節を迎えようとする頃ですが、現代では新緑が溢
れる季節ですね。【連】では、新緑の季節にピッタリの「山野草の展示即売会」のイベン
トが。[嵯峨野学芸倶楽部]でも、季節のテーマが盛り込まれた「茶道教室」や「サロン
文化史〜食の立場から〜」も開講していますので、皆さまのご参加、お待ちしております。
[次回は、5月15日(火)に配信予定です! 次回もお楽しみに(^▽°)]
☆治☆
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