嵯峨野文化通信  第29号

 伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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             〔嵯峨野文化通信〕 第29号
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   伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
         ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。

        京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
              毎月1日・15日(月2回)

                     ★VOL:29(2007/4/15)

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  ○(連載)『京都タイムトラベル』———–京都御苑 かつてはどんな?(3)
  ○(連載)『いろはにほへと』————————日本人の感性の歴史(3)
  ○(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』—第15話
  ○(コラム)やまとのくには言の葉のくに————-第五首
  ○京の伝統行事—————————————松尾大社・神幸祭

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  こんにちは(^▽^)/ 〔嵯峨野文化通信〕です。

  山笑う季節になりましたね♪ 新しいスターを切った人も慣れてきた頃でしょうか?
 春はイベントが盛りだくさんの季節。お花見の次はゴールデンウィーク。その次は・・
 ・。予定を立てるのが楽しみですね。

  今回も〔嵯峨野文化通信〕は、盛りだくさんの内容で皆さんにお届けします。 
  それでは、〔嵯峨野文化通信〕のスタートです!

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             (連載)京都タイムトラベル ―京都・時空・逍遥・記―
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        京都御苑 かつてはどんな? (3)      太田 達

  天明7年(1787)全国的な凶作により、津々浦々を大規模な一揆や打ちこわし
 の嵐が襲った。京都では、暴力行動はおこらなかった。京都人は何をしたか? 禁裏
 御所築地をめぐるデモ行進「お千度廻り」を発案し実行に移した。幕府の手の出せな
 い場所を利用し、暗黙の了解のある朝廷に米価の引下げを強行させた。御所の権威を
 充分に利用する京都人のこの動きは、京都人意識の萌芽であろうか。

  翌、天明11年(1788)正月晦日の「天明大火」市中のほとんどが灰燼に帰し
 た。御所も例外でなく、光格天皇は下鴨神社へのがれ、2月1日仮御所として、聖護
 院に行在した。同年5月、老中・松平定信は、将軍家斉の命をうけ、入京。定信にと
 って、京都の復興、焼け落ちた御所の「造営の儀」は何かにつけ、反幕感情をみせる
 京都人の人心を収攬するための「関東の御威光」をみせる大チャンスであった。その
 ことが、逼迫した幕府財政の中での、公家たちのわがままな復古主義をかなえること
 になってしまう。

  ちなみに、定信は考証学的趣味があったと伝えられる。在京中、寸暇をおしんで旧
 跡をみたり、御所の古図を考証したりした。このためもあってか、紫宸殿、清涼殿、
 日華門、月華門、廻廊などが旧制に基づき立派に再興された。しかし、この寛政の内
 裏は、嘉永7年4月6日に炎上。翌、安政2年に再建される。これが現在、私たちが
 春秋の一般公開で目にする、京都御所である。

突然だが、昨日、フランスからの友人
 をつれ、二条城のライトアップに行った。城のことを、おぼつかない英語で説明。こ
 の城は"Not For War"であって、"For One Party"のための城。そして、その先200
 年の太政奉還でつかわれただけだと言うと、フランス人は、"For Power"なのかと。
 その通りだ。二条城と御所、つまり、京都のランドマーク的な二つの場所は、二条城
 はこの時すでに関東の権力のシンボル、禁裏御所は権威のシンボルとなっていた。

  この章で述べた寛政の造営は、寛政2年(1790)年、奠都一千年前夜であった。

                                   (つづく)
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                          (連載)『いろはにほへと』
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         ・・・いろはにほへと・・・・・・色は匂へど・・・

              〜日本人の感性の歴史(3)〜
                               はまさき かなこ

  推古天皇3年(595)、記録によれば、日本に初めて「香料」が伝来したことに
 なっている。場所は、淡路島。海より流れ着いたのである。両手を広げて囲めるくら
 いの、「沈水(じんすい)」と呼ばれる香木であった。島の住民は、もとよりこの木
 が香木であることを知る由もなく、薪にして焼いた。すると、何ともいい香りがした
 ので、驚いて朝廷に献上した。

  この記録は、その後、さまざまに修飾され、奇端話や起源話として載ることになる
 が、とりわけ、大きな枝葉をつけて語られることになるのは、聖徳太子にまつわる伝
 記物語においてである。聖徳太子といえば、日本人にもっとも馴染みの深い人物の1
 人だが、その実像はあまり知られていない。私の自宅の近くに広隆寺という寺があり、
 国宝第1号の弥勒菩薩観音像がおられることで有名だが、多くの仏像にまじって太子
 像もあり、人々は何の不思議もなく手を合わせるのである。太子は、平安時代から観
 音菩薩の化身としてあがめられてきた。千年も以前からである。ところが、そこに大
 きな仕掛けがあったことは見過ごされている。

  10世紀初め、つまり、聖徳太子が亡くなって半世紀あまり経った頃、『聖徳太子
 伝暦』という太子の一代記が生まれる。この書がのちの時代の太子のイメージを作っ
 たといっても過言ではないのだが、そこに、香木伝来の記事もある。

  推古天皇3年、土佐の南海に夜雷を伴う「光」があり、1ヶ月後に淡路島に着いた。
 島人が薪にして焼いたところ、強い薫香を発したというので、太子はその木を献上さ
 せた、と。ここまではいいとして、その後、太子は香木についてのうんちくを我々に
 お教えくださるのである。「これは沈水香(じんすいこう)というもので、またの名
 を栴壇香木(せんだんこうぼく)ともいうのだ。南天竺の南海岸に生ずるもので、夏
 には蛇がこの木の周りを廻る。それは、木の性質が冷たいからなのだ・・・」と云々。
 さらに太子は、百済から匠工を呼び、この木で観音菩薩像を作らせ、吉野の比蘇寺に
 安置したところ、仏像は時々光を放つという。

  『聖徳太子伝暦』は、こうして世にまれな太子の博識、英明さを伝えるのだが、香
 木の由来や、香木に関する伝承を同時に伝えてくれるのが面白い。香は仏教と関わり
 の深い実際的効用のある道具であり、太子は日本の仏教を受け容れた人物である。か
 くして、後の世に、香木の第一は「太子」であると言われるようになる。すなわち、
 「太子」という名の名香が誕生したのである。もちろんそれは、日本に最初に伝来し
 た例の香木である、と言われるのである。
                                  (つづく)
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                 (連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』
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           私的茶会記(5) 「青森は、夏…?」の段

                               イチカワ アキラ

  8月29日と9月2日の両日、嵯峨野の「三壷庵」をお借りして製作。
 角材で900四方の枠を作り、コンパネを打ち付ける。側面にはアルミテープを貼り
 付け。その上に強力両面テープでステンレス板を接着…。これを2枚…。ほどなく作
 業終了。列べる。京間の一畳を一回り小さくした銀色の板が、電球の光を受けてきら
 めき、のぞき込む私の顔を少しゆがめて映し出す。水平もでている。我ながら良い出
 来…。名はすでに決めてあった。<鏡の点前座>である。一体、何を作っているのか
 …と、私自身が半分いぶかしく思っていた。そう、私が作ったのは<点前座>だった
 のだ。

  想像の翼は拡げられる。水面に浮かぶ<鏡の点前座>、H女史によると、その上に
 はアクリル製の透明な台子が置かれ、O氏が点前をされるとのこと…。点前の手順や
 道具組みなどはまったく知らない私の想像の中、波紋はゆるやかに同心円を描き、O
 氏は青森の夏の日射しの中、水面と同化した点前座の上で静かに佇んでいた…。失礼
 はもとより承知だが、「作品A;私によって展示されたO氏」とでも題せようか。ふ
 と<ひょっとして、私にはアーティストの才能が…>という妄想すら生まれ、私は満
 足げな微笑と自嘲の苦笑を同時に浮かべていた、と思う。<小道具係>のミッション
 は完了、私は再び<目撃者>に戻る…。そんな安堵感とともに庵を後にする。後は、
 青森に行って、<目撃>するだけ…。
 
  9月7日、夕刻。仕事を早々に切り上げた私は、京都駅の1番ホームにいた。<蒸
 し暑い盆地・京都>から<涼しい北の地・青森>へ…。寝台特急<日本海>に乗り込
 む。B寝台は思ったより狭い。が、列車の揺れが妙に心地よく、早々に睡魔に襲われ
 る。日常からの開放感も拍車をかけた。こんなに早く床につくのはいつ以来か…。そ
 う思ったのも束の間、深い眠りに落ちる。翌朝、眼が醒めると、山々は涼しげな朝日
 に照らされていた。りんご園が車窓に映る。あれは八甲田山?…。もう、青森駅であ
 る。改札を抜ける。あ、暑い…。思わず、<青森は、夏…?>とつぶやく。避暑旅行
 を決め込んでジャケットを羽織り、鞄の中には薄手のセーターまで用意されているの
 に、<青森は、夏>であった。駅前で車を借り、まず青森県立美術館の「シャガール
 展」へ。美術館の外観はそれほど印象に残らなかったが、数十億かけて青森県が購入
 したという展示品の目玉「アレコ」の<大きさ>と、吹き抜けの展示空間は圧巻。常
 設展では、縄文土器、棟方志功、寺山修司、奈良美智らに出会い、しばし対話を楽し
 む。それにしても、イニシャル・ランニングともに莫大なコストがかかっている施設。
 出来るだけ、長く続きますように…。そんな想いを胸に、国際芸術センター青森へと
 向かう。

  その道すがら、私の脳裡には、数日前にH女史より届いたメールの内容が浮かんで
 いた。どうやら女史は、否、私が赴かんとしている<茶の場>は、単に<目撃者>で
 いる私を許してくれなさそうなのだ。困った…。<目撃者>あるいは<小道具係>に
 安住の地を見出し、<主体の末席を汚す>ことなど予定にはなかった。再び堂々めぐ
 りの自問自答。<茶の場>で私は何をするのか…。私は<茶>を知らない…。間もな
 く国際芸術センター青森に到着、安藤建築がおもむろに視界に入ってくる。ここが
 <茶の場>になる…。そして、私はここにいる…。青森の夏日はやけにまぶしい。じ
 っとりと汗ばんでいたのは、暑さのせいばかりではなかった、はずである。
                                   (つづく)
  次回は「ここはどこ…?〜三内円山遺跡の縄文茶会〜」の段

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 (コラム)やまとのくには言の葉のくに
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                   ―第五首―
                                  田口 稔恵
  4月下
  五十首歌奉りし中に、湖上ノ花を宮内卿

  花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟の跡見ゆるまで
 (『新古今和歌集』)巻2春歌下)

  (桜の花を誘って散らす比良の山風が吹いたことだ。湖上一面に花びらが浮かんで、
 漕いでゆく舟の跡がはっきりと見えるくらいまでに。)「世の中を何にたとへむ朝ぼ
 らけ漕ぎゆく船の跡のしら波」(沙弥満誓『拾遺和歌集』哀傷)を本歌とする。その
 ため「花さそふ」という表現と相俟って、湖面に散り敷いた花びらを船が漕ぎ分ける
 という美しさの中にも無常感を響かせる内容となっている。この頃には、「花」とい
 えば「桜」を指し、世の中の無常によそえる材料として定着しているようである。

  作者の宮内卿は、後鳥羽院に仕えた女房で、後鳥羽天皇の和歌所寄人の一人・源具
 親の妹。当時、俊成卿女(むすめ)とともに、女流歌人の双璧と並び称されたが、二
 十歳前に亡くなったと考えられる。『無名抄』は、歌に身を入れるあまり、病を得て
 早世したと伝えており、その五年あまりの歌人としての命を想う時、この歌は、ある
 感慨をもって読み手に迫ってくる。
               (参考文献:『日本古典文学全集、平安時代史辞典』)
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 京の伝統行事 〜祭に出かけてみませんか?〜
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 ○松尾大社・神幸祭

  4月25日は松尾大社(旧官幣大社)のお祭で、通称「おいで」と呼ばれる神幸祭
 が行われます。西の葵祭とも呼ばれるほどのビッグイベントで、1000年余りの歴
 史を持つ、雄大なもので、京都では珍しいタイプのお祭です。

  神事を終えた神輿6基が拝殿回しの後露払いをする榊御面との面合わせを行い、上
 桂一帯の氏子地域を巡行。やがて、桂大橋西岸上流で1基ずつ神輿船に乗せられ、ゆ
 っくりと川を下ります。

 [日程]4月22日(日)
 [場所]松尾大社(西京区嵐山宮町3)

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          ◆[嵯峨野学藝倶楽部]4月開講講座のお知らせ ◆
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         詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/から

  ★「今様・白拍子教室」
    日時:4月21日(土)午後1時〜2時(60分)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。http://www.ren-produce.com/sagano/imayou/

  ★「茶道教室(水曜日コース)」
    日程:4月18日(水)
    時間:午後1時〜5時(ご都合の良い時間に、お越しください)
    <ご要望に応じて、午前中や夜などの時間帯も検討いたします>
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/

  ★「茶道教室(土曜日コース)」
    日程:4月21日(水)
    時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間に、お越しください)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/

        お問合せ・お申込みはコチラまで→sagano@ren-produce.com

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  もうすぐゴールデンウィーク! 人によっては一週間の連休になるみたいですね。
 国内・海外、行き先を考えるだけでも楽しくなってきますね。遠方に出かけられな
 い方も、近くで今まで行ったことの無い場所に足を向けて見ると、新たな発見があ
 るかも!?

   [次回は、5月1日(火)に配信予定です! 次回もお楽しみに(^▽°)]
       ☆治☆
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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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