嵯峨野文化通信 第27号

 伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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             〔嵯峨野文化通信〕 第27号
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        日々の暮らしに「和」の魅力をプラスしてみませんか?

   伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
         ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。

        京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
              毎月1日・15日(月2回)

                     ★VOL:27(2007/3/15)

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  ○(連載)『京都タイムトラベル』—————-京都御苑 かつてはどんな?(2)
  ○(連載)『いろはにほへと』——————–日本人の感性の歴史(2)
  ○(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』—第14話
  ○(コラム)やまとのくには言の葉のくに———-第三首
○京の伝統行事———————————-随心院・はねず踊り
  ○『京都文化警察』——————————"京都らしい"景観って、何?

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  こんにちは(^▽^)/ 〔嵯峨野文化通信〕です。

  暖冬暖冬と言われてますけど、ここ数日、あったかかったり、寒かったり。気候が
 コロコロ変わると、衣替えのタイミングが難しいですよね。でも、そろそろ春の装い
 で、お花見の計画を立ててもいい時季ですね。開花情報をチェックして、休日や春休
 みを過ごしてみませんか?

  それでは、〔嵯峨野文化通信〕のスタートです!

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             (連載)京都タイムトラベル ―京都・時空・逍遥・記―
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        京都御苑 かつてはどんな? (2)      太田 達

  信長の上洛(永禄11年)は、荒廃した京の町を一新させた。朝廷への寄進により、
 再び御所は天皇の住居として、また、儀礼の場としての威厳、内裏らしさを取り戻し
 た。内裏の東側、一条通から正親町(おおぎまち)通の間、烏丸通の近辺、現在のK
 BS京都から、アルティホールや宮内庁京都事務所(今の御苑は宮内庁"宮内庁京都
 事務所"と環境省"環境省京都御苑管理事務所"により管理されている)のあたりに町
 衆が集住し、自治的な町組を発展させた。これが、【禁裏六丁町】と呼ばれるもので、
 禁裏の御用を受け、その見返りに様々な特権を獲得していたわけである。ある意味、
 御用達の始まりか。現在の北山通、ノートルダム小学校の前の粽で有名な川端道喜も、
 この六丁町衆の仲間であった。吉田兼見の日記の、天正19年3月4日条に、秀吉に
 より禁裏一殿が残らず造替されたとある。また、前述の禁裏六丁町住民は、秀吉の京
 都改造政策の犠牲となり、屋敷替えを命じられ、瓦解を余儀なくされた。

  このあと、この場所は伏見城築城までのわずかの間、大名屋敷が立ち並んだ。福島
 町という地名に今はその栄を残す。また、バラバラにあった公家町は、計画的に配置
 され直し、禁裏、院御所を中心に、そのまわりを公家屋敷がとり囲み、西南部に先ほ
 どの町屋地帯。先ほどの禁裏六丁町に替わる、町屋地帯が生まれた。今の間(あい)
 之町より西、中長者町より南に新在家六丁町が生まれた。禁裏掃除役などの奉仕をし、
 前の六丁町よりも強い権益を持つに至った。その後、江戸時代には、幾度の大火と復
 興を繰り返し、宝永の大火では、この新在家六丁町も、鴨川の東の新地へ移された。
 ついに、御苑の中は宮家と公家の屋敷ばかりとなり、今の京都御苑の原形が出来上が
 った。現在の公園化された御苑ではなく、密集した公家屋敷、おおよそ500坪くら
 いの白塀瓦屋根の家が立ち並ぶ様子。私の実家にこの頃の地図が残っている。もしご
 希望の方があれば、コピーを[嵯峨野学藝倶楽部]の開講場所である「三壷庵」に置
 いておきますので、それをご覧になり、ビジュアルイメージをしてみてください。た
 ぶん、現在の妙心寺のちょこっとごちゃごちゃとした塔頭の並ぶ様子こそ、まさに2
 00年前の御所の姿に近いのではと思っております。一度ご覧ください。

  次回は、いよいよ、明治の大改築。私たちの知っている京都御苑の誕生秘話です。

                                   (つづく)

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                          (連載)『いろはにほへと』
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         ・・・いろはにほへと・・・・・・色は匂へど・・・

              〜日本人の感性の歴史(2)〜
                               はまさき かなこ

  京都工芸繊維大学に「伝統みらい研究センター」という研究所がある。ひょんなこ
 とから、ここの人材育成プログラムに関わることになった。工学的な視点から伝統文
 化の現場における「知」を再発見し、あるいは数値化し、あるいはそれを何か他の産
 業に役立てられないかと考え実現化しようとしている。先だって、このセンターで文
 科省の担当官との懇談会があった。自分が何をやろうとしているのかを説明すること
 になり、「香道の研究をしているのですが、従来の文化系の立場からだけでなく、生
 理学や認知科学などの研究者と交流し、共同研究を行いたい・・・」と答えかけて、
 ハタ、と気づいた。「香道―コウドウ―」という言葉は、一般的でなかったかもしれ
 ない、と。急いで、「香りを楽しむ芸能です」とあたりさわりのない解説を加えてみ
 た。すると、その場にいた某大学教授から、「私は、一度だけ香会を体験しました。
 香を何種類もかいで当てるんですよね?」と補足の声。他の教授が「ほおぅ」と興味
 深そうに目を見はる。香道と一口に言っても、貴重な名香の香りをただ楽しむだけの
 会もあれば、懐石を伴う会もあり、また、指摘のあったように、香りを聞きあてるゲ
 ームのようなものもあるのだが、そもそも、理科系の研究室の中で伝統芸能の話をす
 るのは、私が物理や化学の専門用語が宇宙語のごとく聞こえるのと同じで、何か異次
 元世界から来た興味深いイキモノのように思われているのかもしれなかった。とはい
 え、一般的に、「香道」の体験をしたことのある人など、あたりを見回してみてもあ
 まり見あたらないんじゃないだろうか。私とて、茶道と華道は知っていても香道は知
 らなかった期間が相当長かったように思う。茶道、花道、書道、剣道、合気道など、
 「道」と名の付く芸能がたくさんあるが、その中でも「香道」は、あまり知られてな
 い、マイナーな芸能だ。だが、「道」と名が付く限り、作法があり、型があって、何
 らかの伝承されてきたもの(香のレシピや身体動作、道具にかかわることなど)があ
 る。十分な歴史もある。根本は香りを聞く、ただ、それだけのことなのに、である。
 茶道でもそうだが、茶を飲むためだけの動作が芸能にまでなっているということは、
 考えてみれば特異なことといわなければならない。海外の方が興味深く感じるのもそ
 のためだろう。香道においては、なおさらである。何をどうしたら芸能になるのか、
 想像もつかないようだ。

  一般に、香と聞いて何を思い浮かべるかといえば、お線香が第一だろうか。先ほど
 の文科省の方も、続いて質問されたのは、「線香の香りが宗派や寺の特徴と何か関係
 があるのか」ということであった。面白い質問だったが、宗派あるいは寺によって伝
 承されてきたレシピもあり、香舗が守ってきたものがあるにはあるものの、大半はそ
 こまで考えられてないと思います、と答えるしかなかった。香りと宗教の関わりには、
 その教義につながるものをも含めて深いものがあるが、さりとて、香りそのものが、
 教義の内容をあらわしたり、はたまた他の宗派との差別化が図れるほどではない。

  こうして懇談会は終了し、部屋を出ようとしたところ、セラミックの研究をされて
 いる教授に呼び止められた。「あのオ、匂いを発する数珠を作ることができたら面白
 いと思わない? どうやったらできるんでしょうねえ。セラミックの表面に香を埋め
 込むとか…」

  日本人の感性の歴史をマジメに書こうと誓っていたのに、こんな話になってしまっ
 た。香道の現在における一般的な認識を確認したところで、次回から歴史をひもとい
 ていくことにしよう。
                                   (つづく)

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                 (連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』
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         極私的茶会記(3) 「打合せしませんか?」の段

                               イチカワ アキラ

  同日(平成18年8月16日)夕刻、再びH女史より茶会の概要案が届く。T氏作
 品に呼応する茶会を中心に、4つの<茶の場>を予定、とのこと。読みにくいかもし
 れないが、抜粋とともに、〔 〕内に私の<瞬間的な>雑感を書き加えておく。私の
 <瞬間的な雑感>である性質上、あるいは関係各位に失礼があるかもしれない。前も
 ってお詫びしておく。

  ●茶会1「タイトル未定」※公開 〔ん?公開する<茶会>って?〕
  【場所】三内丸山遺跡・復元住宅内〔えっ、いいの?〕
  【内容】縄文時代から現代まで連綿と続けられている<儀礼>のかたちをひとつの
      軸として、お茶を通して、縄文とつながることのできるような時間〔縄文
      と茶…??〕。茶会では、縄文をモティーフにした器物を使用〔火焔式土
      器でお茶を飲む…? 飲みにくそう…。あ、大きいか…〕。
  ●茶会2「タイトル未定」※非公開
  【場所】国際芸術センター青森・T野外作品「青森ー円」内〔あおもりいちえん…?〕
  【内容】T作品内での<森の儀礼>。作品と茶の出会いとして緊張感ある時間を演
      出。作品内では5人の客が濃茶をまわす〔アート作品が<茶室>になる…
      濃茶って飲んだことない…〕。
  ●茶会3「水と森に捧ぐーひとつながりの儀礼(仮)」※公開
  【場所】国際芸術センター青森内
  【内容】前夜の緊張感ある儀式的な茶会を<開放>する場としての茶会。T氏作品
      または青森という地に響き合い、尺八と能と茶のコラボレーションを試み
      る。〔これは茶会<劇>…? 何だか、くらくらしてきた…〕
  ●茶会4「タイトル未定」※非公開
  【場所】国際芸術センター青森・T野外作品「青森ー円」内〔あおもりハイフンえ
      ん…?〕
  【内容】茶会2とほぼ同じ設定。異なる趣向で。一連の茶会を納める感覚。〔もう、
      ダメ…思考停止…送り火、見に行かなきゃ…〕

  送り火、五山ぜんぶ見られたなあ、と至極満足な翌日。H女史より再びメールが入
 る。何でも趣旨説明を兼ねた打合会が開かれるそうだ。メンバーを拝見すると、存じ
 上げているのは7名中2名のみ。私にとって、この状況はハードルが高い。話せない
 ほど人見知り、というわけではなく、緊張すると当たり障りのないことを喋って<お
 茶>を濁してしまう悪癖があるからだ。そんな他愛もない理由でちょっとの間ぐずぐ
 ずしたが、打合会への参加は、私にしては思いの外、すんなり決定する。

  これは私の知っている<茶会>ではない…という想いが血管内をめぐりはじめてい
 たからだ。それは、例えば芸術制作の場を<かいま見る>、あるいは作品ができあが
 る瞬間を<目撃する>直前のドキドキ感に似ていた。また、その感覚が奇しくも、
 <茶>を知らない私が<目撃者>として<茶の場>に存在して良い、という<自身へ
 の福音>となった。そう、私は<茶の場>にいても良いのだ。何と言っても<目撃者>
 なのだから。相当の論理の飛躍はあるにせよ、である。いま振り返ると、あの瞬間に
 私が<茶会記>を書くことが決まった、という気がする。何せ<目撃者>は<証言>
 してはじめて<目撃者>たる資格を有するのだから。
                                   (つづく)
  次回は「作ってみてくれませんか?」の段

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 (コラム)やまとのくには言の葉のくに
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                   ―第三首―
                                  田口 稔恵

  春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空   藤原定家
                (『新古今和歌集』 巻1 春上)

  「春の夜の、短くてはかない夢がとぎれて、見ると、今しも、横雲が峰から別れて
 ゆく曙の空であることよ」という内容だが、訳すると却って味気なくなってしまう。
 絵画的で、受け手の想像力に大きく依拠して世界を構築する歌であるためだろう。

  詞書に「守覚法親王、五十首歌よませはべりけるに」とあり、歌会において、テー
 マや題に沿って詠作されることが主流となった当時の背景をよく反映している。この
 時代は必然的に、抽象的・視覚的な歌が多くなった。「浮橋」は筏や舟を浮かべてそ
 の上に板を渡しただけの不安定な橋であり、破れやすい春の夢の美しい比喩となって
 いる。また、『源氏物語』の最後の巻名を二重イメージとしてしのばせており、『古
 今和歌集』や『源氏物語』を規範とした平安末期の美意識をよく映し出していると言
 えよう。
                       (参考文献:『日本古典文学全集』)
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 京の伝統行事 〜祭に出かけてみませんか?〜
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 ○随心院・はねず踊り

  小野小町ゆかりの寺、京都山科の「随心院」では、3月の第4土曜・日曜に薄紅色
 の梅の一種「はねず」が咲く中、花笠を被りはねず色(白色を帯びた紅色の古名)の
 段絞りの小袖を着た少女達が小町の伝説を舞う「はねず踊り」が披露されます。

  平安時代に創建された随心院は、小野小町が晩年を過ごしたことで知られています。
 伝説によると、絶世の美女だった小町を慕い、深草少将が100日通いの願をかけて
 通い続けましたが、99日目の夜、大雪に阻まれ、病で世を去ったといわれています。
 この悲恋物語は、わらべ歌となり、毎年「はねず」の咲くころ、里の子ども達により、
 家々の庭先で歌い踊られるようになりました。戦後、途絶えていましたが、昭和48
 年に、地元住民らが「はねず踊り」として復活させました。しかし、この「はねず踊
 り」の歌は、『深草少将百代通(ももかよい)』の話をモチーフに、少しアレンジが
 入ったもののようです。少将は99日目、雪がひどいのを理由に代人をたてます。と
 ころが小町の気が変わり、99夜で招き入れることになったため、代人を立てたこと
 がバレてしまい振られてしまいます。その後、小町は少将のことも忘れ、里の子ども
 達と遊んで晩年まで楽しい日々を過ごしたというものです。振られてしまった少将は、
 かわいそうですが、雪で凍え死ぬこともなく小町も老後まで幸せに暮らしたといいま
 すから、『深草少将百代通』よりも、ユーモラスで明るい結末ですね。

  当日は、小学校の高学年の女の子達が、ピンクや赤の着物に梅の花をあしらった笠
 をかぶり、小町と少将に扮し優雅な舞を披露します。復活当時、少将役は男の子でし
 たが、白塗りの化粧と女物の着物が恥ずかしがられ、いつしか女の子が演ずるように
 なったといわれています。また、境内の小野梅園には、「はねずの梅」と呼ばれる遅
 咲きの紅梅など約200本の梅が植えられています。「はねず」というのは、薄紅色
 のことです。中国から伝わった色のようで、漢字で書くと「唐棣」です。「はねず踊
 り」の衣装にも、「唐棣」の色が反映されています。

 [日時]3月25日 午前11時〜・午後1時〜・午後3時〜
 [料金]1000円(はねず踊り・梅園・寺宝拝観料込み)
 [アクセス]地下鉄東西線小野駅下車 徒歩5分

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 『京都文化警察』
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            "京都らしい"景観って、何? 〜証言篇2〜

  『京都文化警察』では、お出ししたテーマに沿って、皆さまからの意見を募集して
 おります。現在、議論白熱中(?)のテーマは「"京都らしい"景観って、何?」です。

 [証言5]

  私は、京都のまちが持つ特徴のなかで、通りに面して並ぶ建物の間に、ふとあらわ
 れる路地が好きです。あの、よその人は入れてくれない感じと、奥にはどんな場所が
 広がってるんだろう、と思わせるところがとても魅力的です。京都は道が作ってきた
 町並みで、通りを歩きながら見る町並みは美しいものが多い。でも本当はその奥に詰
 まっている生活の場も京都なのではないでしょうか。整然とはしていないし、町家の
 ような様式美もないかもしれない。でも、そういうスキマがないと、京都は景観だけ
 の住めない町になってしまいそうに思います。             (Tawawa)

 [証言6]

  前回、京都タワーが話題にあがりましたが、京都タワーが建ったときのことをご存
 知の方、いらっしゃいませんか? たしか、東京オリンピック前後だったと思うので
 すが。私は、小学校をあがったか上がらないかぐらいで、当時の大人が最悪と言って
 た記憶だけが残ってます。私には蝋燭に見えました。物心ついたときにすでにあった
 ものと、突然あらわれたものとでは、印象が違ってると思うのです。
  当時のことを覚えている方、どう思われたか、ご意見など聞かせていただけたら嬉
 しいです。よろしくお願いします。                   (太田)

  [証言]をいただいた皆さま、ありがとうございます。『京都文化警察』では、ひ
 きつづき、「"京都らしい"景観って、何?」というテーマで、ご意見を募集いたしま
 す。新たな[証言]でも、「私は、こう思う」「いや違う!」など、お気軽にご意見・
 ご感想をお寄せください。談論風発。お待ちしています!

 [Eメール]sagano@ren-produce.com

   ※お送りいただいたご意見は、メルマガに掲載させていただくことがあります。

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          ◆[嵯峨野学藝倶楽部]3月開講講座のお知らせ ◆
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          詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/から

  ★「今様・白拍子教室」
    日時:3月17日(土)午後1時〜2時(60分)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。http://www.ren-produce.com/sagano/imayou/

  ★「茶道教室(土曜日コース)」
    日程:3月17日(土)
    時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間に、お越しください)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/

  ★「京都歴史講座」
    日時:3月18日(日)午前11時〜12時(60分)
    タイトル:「秀吉の妻って、どんな人?―史料からみた北政所
          (豊臣秀吉の京都・その8)」
    参加費:1回1,000円(茶菓子付)
    ▽詳細は、コチラから。http://www.ren-produce.com/sagano/rekisi/

  ★「茶道教室(水曜日コース)」
    日程:3月28日(水)
    時間:午後1時〜5時(ご都合の良い時間に、お越しください)
    <ご要望に応じて、午前中や夜などの時間帯も検討いたします>
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/

        お問合せ・お申込みはコチラまで→sagano@ren-produce.com

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  春になって、気分も浮き足立ちますねo(^▽^)o
 日本では、旧暦3月を弥生(やよい)と呼び、現在は新暦3月の別名としても用いら
 れています。弥生の由来は、草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月(きくさい
 やおひづき)」が詰まって「やよひ」となったそうですよ。

  次回の配信は4月。4月と言えば、新しい生活を始める方も多いですよね。充実し
 た日々を過ごせるように、準備は整えておきましょうね。新しい生活を始める方も、
 そうではない方も、気持ちを新たにがんばりましょうー!

   [次回は、4月1日(日)に配信予定です! 次回もお楽しみに(^▽°)]
       ☆治☆
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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
記事が面白かったら是非、シェアいただけると幸いです。