【百人一首】第一回 秋のおとずれ

【百人一首を読む・百人一首と読む】第一回 秋のおとずれ

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる  藤原敏行

秋雨がしっとりと草木を濡らす京都でございます。
朝晩は肌寒いこの頃ですが、いかがおすごしでしょうか。

さて、きたる10月21日からの「手のひらの自然 小倉百人一首京菓子展2017」にむけて盛り上げて行くべく、今回から百人一首の歌をさまざまに読んでいきたいと思います。

第一回は敏行の歌。「秋来ぬと…」です。残暑のみぎりとはいうものの、だいぶ涼しくなった最近ですが、皆さんは何に秋を感じますか?私は雲ひとつない空の青さに秋を感じました。

敏行は立秋という日に秋のきざしを読み取ります。立秋とは暦の上での秋。自然界ではまだまだ夏のよそおいです。暑中見舞いが残暑見舞いになるのが立秋の日。現代では八月の初旬となっています。あつい。そんな日に敏行がみつけたのは風の秋でした。

敏行の歌は、最初の勅撰集『古今和歌集』にも載っています。「秋歌」と題されたまとまりの、いちばん最初に置かれている歌です。秋のおとずれを象徴的にあらわした歌として、平安の昔からずっとよまれてきた歌であることがわかります。残暑きびしい日々の中にも、いち早く暦にそった生活と実感を歌にする。これは、旬の食べ物や、季節を先取りしたファッションをもとめる現代人にもつうじる季節のこころとも言えましょう。

王朝和歌の世界の人びとは春が大好きです。たくさんの喜びの歌を詠みます。それに対して、実りの季節であるはずの秋はあまり喜びの歌が見られません。敏行の歌を読んでみても、「秋が来た!ってあんまり実感わかないけど、風の音を聞くとなんだかはっと季節の移り変わりに気づかされるよねー」ということで、あまり「待ってました!」という感じではないのですよね。王朝和歌世界に生きる彼らにとって、秋とは、気づいたらやってきているものなのでした。実をいうと、王朝和歌世界の秋は、実りの秋というよりも、もっと心情にかかわるものになっています。つまり、秋は切なく悲しい季節なのです。

「秋は切ない」というイメージは平安時代の和歌世界からあらわれます。次回は歌をいくつか取り上げて、秋の切なさを見ていきましょう。
 
参考文献 片桐洋一編『王朝和歌の世界―自然感情と美意識』世界思想社1984年10月

(文責:同志社大学4回生 御手洗靖大)

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