嵯峨野文化通信 第115号

 伝統文化プロデュース【連】メールマガジン

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  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)     [嵯峨野文化通信] 第115号
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 伝統文化プロデュース【連】は
 日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識について
 遊びながら学び、広めていく活動をしている団体です

         
          嵯峨野文化通信は、伝統文化を「遊ぶ」ためのヒントを発信します

                毎月1日・15日(月2回)
 
                    ■VOL:115(2010/11/15)

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                ■□■もくじ■□■

  ■【連】からのお知らせ —————————— 「開炉」茶会
                             「討入」茶会
  ■(連載)『餅と饅頭ー和漢の境まぎらわす事ー』——- 第二十六回
  ■(連載)『源氏が食べるー平安文学に描かれる食ー』— 第十六回
  ■(連載)『ちょっとここらで 一休み』————— 第十二回
  ■(連載)『北野の芸能と茶屋』———————– 第十九回
  ■(連載)『やまとのくには言の葉のくに』————- 第七十八首
  ■[嵯峨野学藝倶楽部]11・12月開講講座のお知らせ

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             □■【連】からのお知らせ■□

 □「開炉」茶会

  いよいよ寒さも本格的になってまいりました。霜月のお茶会は「開炉」、炉開きのお
 茶会です。寒さをしのぎに、ふらっと立ち寄ってみてはいかがでしょう?
  ぜひ、ご参加ください。

  日程:11月21日(日)
  時間:11時~15時
  場所:有斐斎 弘道館(京都市上京区上長者町通新町東入ル元土御門町524-1)
  費用:1,000円(申込み不要)

  ※お詫びと訂正
  前号、嵯峨野文化通信114号の中で、「開炉」茶会の日程を「11月23日(火)」
 とご案内していましたが、正しくは「11月21日(土)」でした。
  申し訳ありませんでした。なにとぞ、お間違いのないよう、よろしくお願いいたします。

 □「討入」茶会

  元禄15年12月14日、大石蔵之助率いる赤穂浪士が吉良屋敷に討ち入りました。
  12月のお茶会は「討入」にちなんだ趣向で行います。
  12月12日、ともすると、討入前の赤穂浪士たちも炉を囲み、仲間とともにお茶に
 興じていたかもしれませんね。
  
  日程:12月12日(日)
  時間:11時~15時
  場所:有斐斎 弘道館
  費用:1,000円(申込み不要)

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            ■『餅と饅頭ー和漢の境まぎらわす事ー』■

                    第二十六回

                                    太田 達

  □閑話休題 その二□

  目的地となる吉野の「桜木神社」は、車で下見にきた時は近く感じたのだが、結構距
 離がある。象(きさ)川の渓流の上には、屋根のある立派な橋が架かり、渡ると、前庭
 である、谷川の飛沫がオゾンの空間を演出し、まさに斎庭の趣。そして、北面する山裾
 に本殿が坐す。その前方に、明日の今様の舞台となる舞殿がある。

  私は、参加者の皆さんが明日のイメージを描かれている間、谷川の上流にある集落「
 象谷」に向かった。「桜木神社」の宮司さんの家を訪ね「今様」について説明し、奉納
 の時間を決めるというミッション。
  鬱蒼とした谷沿いの道をハアハアいいながら進むと、突然視覚がひらけた。象谷の集
 落である。柱に桜紋のあるお宅、宮司様の家だ。今回の企みについて、実は一週間前に
 電話でお願いしただけである。よく考えると、突然電話がかかってきて「いきなり今様
 させてくれ」である。よく承諾いただけたものだと思う。今様の冊子をお見せして「明
 日午前10時にお願いします」と、ちょっと簡単すぎるかなと反省しつつ、桜木神社で
 待っている参加者の皆さんをピックアップし、川上村村営の温泉「杉の湯」で一息つく。

  伝説をもとにボーリングしたら湯が出たという温泉である。このエリアは、役場、銀
 行、交番、消防署、道の駅など、新しく立派な建築が建ち並んでいる。地滑りや湖底の
 亀裂などの不測の事態?が起こり、4000億ちかくの資金を投入してもまだ完成でき
 ていない悪名高き「大滝ダム」(計画のまずさと激烈な反対運動の結果、東の八ン場、
 西の大滝といわれている)のおかげで、設備の整ったこの温泉に入れるわけで、複雑で
 ある。

  この温泉のソフトクリームはおいしい。皆、ほっこり落ち着いてしまった。しかし、
 山深い郷の秋の日は短い。今日の野外研修の最後のプログラム、国栖神社に急がねば…。
 谷崎潤一郎の小説『国栖』で有名な国栖の里は、宮滝から進むもう一方の道、伊勢街道
 を進む。すると、古風な街道集落があらわれる。「紙漉の里」としても古来その名が知
 られる。その中心から南へ逸れる川上村への街道に入り、小さな遁道をぬけた所にある
 製材所に車をおかしてもらい、数軒の在所を抜ける小径を行く。数分で大きな崖に出る。
 ここから川沿いの崖の中腹を進むと、国栖神社である。祭神は、明日の今様奉納の桜木
 神社と同じ、大海人皇子=天武天皇。ゆえに「浄御原社」とも呼ばれる。壬申の乱のと
 きに天武帝をささえた国栖の民は、その後の歴史において、大嘗祭における「国栖奏」
 の奏上という栄誉をえる。崖の上の小祠がとても大きく見えた。

          ■『源氏が食べるー平安文学に描かれる食ー』■         

                   第十六回       

                                  荻田 みどり

  (前回メルマガ114号のつづき)源氏は亥の子餅を献じる翌夕に、数を減らして紫
 の上に餅をさしあげるよう、惟光に命じた。亥の子餅を献じる10月初亥の日の翌日が、
 源氏と紫の上が新枕を交わして三日目であり、三日夜の餅のことをごまかしつつ暗に伝
 えたのだ。惟光は要領を心得ており、源氏の恥ずかしげに思う気持ちも汲みとって、応
 じる。

   「げに、愛敬のはじめは日選りして聞こしめすべきことにこそ。さても子の子(ね
   のこ)はいくつか仕うまつらすべうはべらむ」(愛敬のはじめは日を選んで召しあ
   がるのがよろしいです。子の子はいくつお作りしたらよろしいでしょうか)

  「愛敬のはじめ」は新婚を意味する。夫婦和合の印である亥の子餅の別名でもある。
 そして、亥の日の次の日である子の日に供することになる餅ということで、惟光は調子
 を合わせて「子の子(ねのこ)」と言ったのである。そして、惟光はすっかり事態を把
 握し、餅は自分の家で作り、人目を避け、紫の上が恥ずかしいとお思いになるかもしれ
 ないと、乳母である少納言の娘の弁を呼び出し、あれこれと指図して餅の入った香壺(
 かうご)の箱をさし上げさせた。
  翌朝下げられた箱を見つけた親しくお仕えする者たちだけが、三日夜の餅の儀式を終
 えたことを知るところとなる。

  こうして、源氏と紫の上は三日夜の餅を迎えた。子宝に恵まれることを願う亥の子餅
 に事寄せてさし上げられ、惟光の行き届いた配慮に乳母の少納言は涙さえ流したほどの
 三日夜の餅であった。しかし、

   人の思ふべき瑕(きず)なきことは、このわたりに出でおはせで、と口惜しく思さ
   る。(人にとやかくあらさがしされないためには、〈明石の君でなく〉紫の上の方
   に御子が生まれればよいのだが、と残念に思われる。)

 と後の薄雲巻で源氏が思うように、残念ながら紫の上に子ができることはない。亥の子
 餅でなく子の子(ねのこ)餅となったためか、多産を願う亥の子餅に事寄せた皮肉だっ
 たのかは何とも言えない。が、葵の上の喪中に紫の上との三日夜を迎え、趣向をこらせ
 ばこらすほど、ハレの食べ物である餅が影を帯びて見えるのは、結末を知っている読者
 のうがった見方であろうか。

 参考文献:菅原嘉孝「十月亥子餅について」(「風俗史学」21号 2002年10月)

             ■『ちょっとここらで 一休み』■            

                   第十二回

                                   戸谷 太一

  前回は、一休さんが悟りを開き、「一休」の道号を得た話をした。今回は、それから
 一年後に起こったとされている事件の顛末について話をしようと思う。一休さんは、悟
 りを開いて後はどこかにフラフラと出かけたり、極端な行動が増え出すのだが、この時
 期はまだ華叟宗曇の元に留まっていた様で、その時に起こった事件のようだ。あまり、
 大事な話ではないような気もするが、これより後の兄弟子養叟宗頤との関係の悪化を示
 唆する様な事件であり、後々に効いてくるひと悶着である。

  ある日、一休さんは師の華叟宗曇が養叟宗頤に激怒している所にでくわした。
  事情はというと、養叟宗頤が華叟宗曇の頂相(お坊さんの自画像。師匠から弟子に、
 修行を達成した証としてプレゼントされる事が多かった。これも、華叟から養叟に贈ら
 れた物である。)に華叟の賛を求めたところ、その文章に書かれていた「頤来的々付児
 孫」という文字を印可の語と養叟は誤解し、吹聴してまわった所、華叟が激怒した、と
 いう事である。簡単に言うと、贈られた絵にあわせてコメントを師匠に求めたところ、
 自分の事を認める様な語が書かれてあり、それに天狗になった養叟に対して華叟が憤怒
 した、という所だろうか。弟子の増上慢にあきれ、怒りをおぼえたのだ。
  華叟は、絵を燃やしてやる!とまで言い切り、養叟を責めた。そこで、一休さんが飛
 び出した。「このままでは、養叟の兄弟子としての面目がまるつぶれです!もし、養叟
 がこれ以後、この絵を印可の証だなんて言ったら僕が焼き捨てますので、ここは僕の顔
 に免じてお赦し下さい。」といった感じで、両者をとりもったので、養叟はことなきを
 得たとされている。
  一休さんは兄弟子の面目を守るため、などと言っているが、兄弟子の面目は更にまる
 つぶれである。この一休さんの行動を養叟宗頤はどう捉えただろうか。恐らく、あまり
 良い様には思わなかったであろう。

  そういえば、これ以後、一休さんはフラフラと放浪を始める様になると書いた。もし
 かしたら、養叟宗頤と仲が悪くなり、居づらくなったのではないだろうか、などと想像
 しているが、大きく的外れな想像でもないだろう。(たぶん)
  最後に、後年一休さんがこの事件を振り返った時に作った漢詩を紹介して終わりにし
 ようと思う。一休さんも養叟の行動を批判的に見ていたことが分かる詩である。

   頤卦題名貧食来 会中膾炙寵如梅 攫金手段機輪転 君子果然多愛財

  (「頤」の字を使って飯の種にしている。奴らはみんな、あれは印可の証だ、と言い、
   まるで梅を愛でる様に大層大事な扱い様だ。金を得る方法には頭がまわり、君子と
   いうのはやっぱり財を愛する物なのだな。)

               ■『北野の芸能と茶屋』■             

                   第十九回                 

                                   井上 年和

  応永十二年(1405)8月22日

   「自今夕北山殿御参籠聖廟云々、珎重ゝゝ」
                 『教言卿記』

  足利義満は度々北野社で参籠しており、この時は28日に帰っているので、一週間北
 野社に滞在したことになる。その後の歴代将軍も北野社で参籠している。

  義満は当時既に出家していたが、明からは「日本国王」に冊封され、応永十一年(1
 404)には勘合貿易を開始しており、まさに義満は誰も刃向かうことのできない日本
 の最高権力者であったわけだ。時の最高権力者が一週間も滞在するわけだから、迎える
 北野社側は寝所に食事、饗応の段取り等さぞかし大変であったろう。

  建武三年(1336)の多々良浜の合戦では、松梅院禅陽が九州まで足利尊氏に付き
 従い祈祷したとされている。それ以来足利家の北野社への尊崇の念は厚く、義持誕生の
 際には、御産奉行を置き、産殿を建て安産祈祷を行い、安産の神でもない北野社の報賽
 のため神輿の造替や回廊の修理を行ったり、また、明徳二年(1391)明徳の乱にお
 いて、内野合戦で敗死した山名氏清(うじきよ)の菩提を弔うために、足利義満は内野
 の地で万部経会を修し、応永八年(1401)には北野経王堂願成就寺を建立している。

  北野社は室町幕府の庇護を受けながら社殿を造替し、境内を整備していったのだ。内
 野へ続き、後に京都の一大芸能広場と発展していく下之森を社領として獲得していった
 のもこの頃かもしれない。

  下之森は明治政府に没収されるまで、境内外の社領であった。神社の境内以外に広い
 社地を獲得していた神社は伏見稲荷や石清水八幡宮の様に山を社地に含む神社は別とし
 て他にないようで、北野社の芸能の発展は室町幕府との密実な繋がりがあったのだ。

            ■『やまとのくには言の葉のくに』■          

                  第七十八首                 

                                   田口 稔恵

  君が植ゑし一群(ひとむら)すすき虫の音の しげき野辺ともなりにけるかな
  (御春有助〈みはるのありすけ〉 『古今和歌集』巻第16 哀傷)

  あなたがお植えになった一群のすすきは、虫の音の絶えない荒れ野になってしまった
 ことですよ)

  一見、女性が久しく訪ねてこない男を恨んで詠んだ歌にも見える。しかし、哀傷の部
 に入っており、亡き人を偲ぶ歌なのだとわかる。
  詞書は「藤原利基朝臣の、右近中将にて住みはべりける曹司の、身まかりて後、人も
 住まずなりにけるを、秋の夜更けて、ものよりまうで来けるついでに見入れければ、元
 ありし前栽も、いと繁く荒れたりけるを見て、早くそこに侍りければ、昔を思ひ遣りて、
 よみける」とある。作者が藤原冬嗣の孫であった利基の死を悼んだ歌である。

  作者の御春有助は藤原敏行の家人で、河内の人だったと言われる。古今和歌集にも、
 恋の部にもう一首入集しているだけの、つまびらかなことはほとんどわからない歌人。
 しかし、この歌ゆえに、すすきは亡き人を偲ぶモチーフとして愛されてきた。

  秋のしみじみともの悲しい夜、亡き人を偲ぶように鳴く虫の侘びしげな声。一面の薄
 野原の寂び寂びとした情趣が、露を含んだ秋の夜寒の風の肌触りまでも呼び起こす。

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       □■[嵯峨野学藝倶楽部] 11・12月開講講座のお知らせ■□

 詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/club/をご覧ください。

 ■「京都歴史講座」
  日程:11月21日(日)
  時間:11時~12時30分(90分)
  講師:中村 武生
  テーマ:「伏見城大名屋敷の復元」
  参加費:1回 1,000円 (茶菓子付)
  ※1回のみの参加も、随時受付けています。

 ■「茶道教室(水曜日コース)」
  日程:11月24日、12月8日、22日(いずれも、水)
  時間:13時~18時(ご都合の良い時間にお越しください)
  講師:西村 宗靖・太田 宗達
  ※見学/体験も、随時受付けています。

 ■「今様・白拍子教室」
  日程:11月27日、12月11日、25日(いずれも、土)
  時間:13時~14時(60分)
  講師:石原 さつき
  ※見学/体験も、随時受付けています。
   性別・年齢・経験は問いません。

  *都合により、10月23日の通常稽古は、以下の日程に振り替えさせていただことに
   なりました。通常稽古日程を変動してしまい、申し訳ありません。
   振替日:11月27日(土)12時~13時

 ■「うたことば研究会」
  日程:11月27日(土)
  時間:15時~16時(60分)
  監修:田口 稔恵
  ※資料代等が必要です。詳細はお問合せください。

 ■「茶道教室(土曜日コース)」
  日時:12月4日、18日、25日(いずれも、土)
  時間:15時~20時(ご都合の良い時間にお越しください)
  講師:西村 宗靖・太田 宗達
  ※見学/体験も、随時受付けています。
  ※11月20日のお稽古は、ございません。
  ※12月11日のお稽古は、12月25日に振り替させていただくことになりました。

 ■「京文化を語ろう~遷都1300年記念・京都のなかの奈良」
  日程:12月11日(土)
  時間:11時~12時30分(90分)
  講師:太田 達
  テーマ:「長谷寺・観音詣」
  参加費:1回1,000円(茶菓子付)
  ※1回のみの参加も、随時受付けています。

 ●URL
  http://www.ren-produce.com/sagano/club/

 お問合せ・お申込みはコチラまで→ sagano@ren-produce.com

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               ■□■ひとこと■□■

  山の木々が紅葉し始め、景色が色鮮やかになってきました。
 
  外を歩くのは寒いですが、綺麗に色づいた山を眺めていると気持ちが高揚し、
 少し寒さを忘れられるように思います。

  11月も半ばになり、一層冷え込みますが、皆さん、お体にお気をつけください。

                                (きしもと)

     [次回は、12月1日(水)に配信予定です!次回もお楽しみに。]

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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
記事が面白かったら是非、シェアいただけると幸いです。