伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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〔嵯峨野文化通信〕 第102号
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伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。
京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
毎月1日・15日(月2回)
★VOL:102(2010/5/1)
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┃も┃┃く┃┃じ┃
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○(連載)『餅と饅頭ー和漢の境まぎらわす事ー』————– 第十六回
○(連載)『ニッポン城郭物語』—————————– 第五十一幕
○(連載)『源氏が食べる─平安文学に描かれる食─』———– 第三回
○(連載)『北野の芸能と茶屋』—————————— 第六回
○(連載)『ちょっとここらで 一休み』———————- 第二回
○(連載)『やまとのくには言の葉のくに』——————– 第六十六首
○[嵯峨野学藝倶楽部]5月開講講座のお知らせ
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5月1日発行予定でしたが、発行日に遅れてしまったことをお詫びいたします。
今後も、編集者一同協力してやってまいりますので、「嵯峨野文化通信」をよろしく
お願いいたします。
101号より通常連載は通常号に、「お知らせ」と座談会は、臨時号にて発行するこ
とになりました。臨時号もお楽しみに♪
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(連載)『餅と饅頭ー和漢の境まぎらわす事ー』
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第十六回
太田 達
奇しくも今まさに上海において、万博が開会されようとしている。五輪が終わり万博
へ。かつて、同じ道のりを歩んだ国が、日本と韓国である。
1964年の東京五輪は、私の世代にはあまりにも衝撃的な出来事であった。はじめ
てカラーテレビで観た十月十日の入場行進。整然と行進する日本選手団の真赤なブレザ
ーが目に浮かぶ。耳をすませば、入場行進のメロディーが聞こえてくる。「チャーチャ
チャ♪チャチャ♪チャチャラチャチャー♪チャチャラチャ♪」原爆投下地広島で194
5年に生まれた、早稲田大学陸上部の聖火最終ランナー坂井義則君が今まさに聖火台に
点火しようとする瞬間、そしてあの「ファンファーレ」が紺碧の空に響きわたった瞬間、
すべての日本人の心に熱き思いがほとばしったことであろう。そういう感激であった。
三波春夫の『東京五輪音頭』「♪オリンピックの顔と顔、ソレトトントとトトント、
顔と顔」同じく三波春夫の『こんにちは』「♪こんにちは、こんにちは♪世界の国から
〜」1970年までの6年間、日本における風俗史、民族史がそれまでにない、明治維
新よりも大きな転換を迎えている事を、それぞれ国民が、まさにその歴史の転換期の中
にいた私自身も、その大革命をあまり認識する事もなく、立ち止まる間もなかった。知
らないうちにという感覚であろうか。長ければ数千年を土台とし、この列島に培われて
きた多くのモノ、社会制度、習慣、智慧、こころが一気に失われている事を認識するこ
とができなかった。
1970年、『人類の進歩と調和』をテーマに、大阪吹田の千里山を切り開いた世紀
の大祭典は、紛れもなく大半の日本国民の耳目を集めたことに間違いない。私は、70
回以上足を運んだ。ダイザラザウルス、アメリカ館の月の石、三菱未来館、ソ連館のソ
ユーズどれもが、40年たった今でも目をつむればリアルに浮かぶ。しかし、数時間並
んで入場した人気館より、万博をきっかけに、初めてその名を知ったアフリカの小国や、
単独パビリオンを建設できないラオス、カンボジアなどに感動した。ただその国の習俗
がパネル展示されているだけだが、民俗衣裳を身にまとったコンパニオンさんと話せる
だけで幸せであった。あっというまに、私の公式ガイドブックは、サインとスタンプで
いっぱいになった。スカンジナビア館のバイキング料理に感動し、タイのカレーが辛い
こともはじめて知った。
ガイドブックの朱印がすべて押し終えた後は、「待つ」ということの苦手なわたしは、
できるだけ、行列のないパビリオンに通うことになった。
一番人気がなかったのが、日本の民俗をみせるだだっ広いパビリオン。わたしは、展
示されている日本各地の祭の写真に驚愕した。そこに、アフリカやアジアの奇習、不思
議を発見したのである。
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(連載)『ニッポン城郭物語』
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─第五十一幕─ 〜山科本願寺の話〜
梅原 和久
前回の100号は急遽予定を変更したが、今回こそは山科本願寺の話を。私は山科区の
出身なのだが、山科本願寺の存在を知ったのは、歴史に関心を持ち始めた小学生のとき。
山科なんてただの新興住宅地で、東山(※1)で隔てられた京都とは違って大した歴史な
どない、と思い込んでいただけに、室町中期当時の最大勢力である一向宗の総本山が自分
の家の近所にかつてあった、というのは何か誇らしいような気持ちになったのを覚えてい
る。
ただ、まさか当時の遺構が残っているとは思ってもいなかった。しかも、しょっちゅう
遊びに行っていた山科中央公園にある小山がそれだとは。その小山こそ、中世最大、いや
平地に築かれたものとしては史上最大規模と言ってもいい、山科本願寺の土塁だったので
ある。しかも、その隣には深く穿たれた堀まであるのだ(※2)。
簡単に山科本願寺の歴史をたどってみる。文明七年(1475)に越前吉崎を去った蓮
如は、一旦河内へ退き、新たな拠点の構想を練り始めた。そんな蓮如に、土地の提供を申
し出たのが、山科野村郷の海老名五郎左衛門という土豪。文明十年(1478)、蓮如は
山科へ転居し、伽藍の建設に着手した。寝殿、御影堂に続き、阿弥陀堂が完成したのは文
明十三年(1481)。寺の周りには全国各地から集まった門徒や商工業者が住まい、「
寺中は広大無辺、荘厳ただ仏の国の如しと云々」(『二水記』)と評された。蓮如の死後、
跡を継いだ実如や証如も引き続き整備を続け、山科は本願寺の周囲に二重、三重の土塁や
堀をめぐらせた、寺内町と呼ばれる一大宗教都市となったのである。
しかし、山科本願寺の歴史は、わずか50年ほどで潰える。天文元年(1532)、一
向宗の更なる勢力拡大を恐れる細川晴元が、洛中の法華一揆を煽動し、近江の六角定頼の
支援も得て、三万とも四万とも言われる大軍で山科に攻め込んだのである。
当時としては屈指の規模と構造を持つ山科本願寺も、この大軍の前にはわずか一日で攻
め落とされ、栄華を誇った山科本願寺寺内町は、全て灰燼に帰したのだった。
戦火を逃れた証如は、蓮如が築いた大坂の本願寺(いわゆる石山本願寺)に移り、その
後、山科に本願寺が戻ることはなかった。
と、歴史をなぞっただけで随分な分量になったので今回はここまで。あまり城と関係の
ない話だったが、次回こそは。
(つづく)
(※1)出身中学の校歌に、「西に連なる東山」という一節があり、脱力したものだ。
本来山科側からの呼び名は「東山」ではなく「西野山」なのだが。
(※2)山科中央公園にある土塁は東西75m南北60m、高さ7mもある。
http://www.asahi-net.or.jp/%7Eqb2t-nkns/yamasinahonganji.htm
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(連載)『源氏が食べる─平安文学に描かれる食─』
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第三回
荻田 みどり
平安貴族は平安京内部で社会が完結していた。京の外は隔絶した別世界で、田舎人は
教養がなく下賤だと見下されていた。
『源氏物語』には、幼少期に京を離れ十数年経て上京してくる二人の姫君が出てくる。
一人は乳母に伴われ筑紫国(現在の福岡県)に下向していた夕顔の娘、玉鬘。もう一
人は、母の再婚相手の任官により、陸奥国(東北地方)や常陸国(茨城県)に渡ってい
た浮舟である。当時の日本の東西両端にいたことになるが、二人が見出される場面には
共通点が見られる。
<玉鬘>この中隔てなる三条を呼ばすれど、食物に心入れて、とみにも来ぬ、いと憎
し、(玉鬘巻)
<浮舟>栗などやうのものにや、ほろほろと食ふも、聞き知らぬ心地には、かたはら
いたくて退きたまへど、(宿木巻)
玉鬘巻では、右近が上京してきた玉鬘一行と長谷寺で偶然出会う。右近は夕顔の乳母
子で、夕顔亡き後源氏に仕えていた。彼女は一行の中に見覚えのある顏を見つけ、確か
めようとまず下女の三条を呼ぶ。しかし、食べ物に夢中になってすぐには来ない。源氏
に仕えるほどの都人である右近にはそれが憎らしい。
宿木巻は、薫が浮舟一行を垣間見る場面である。初瀬詣の帰りで、疲れて車から降り
るのも大儀そうにしている浮舟を尻目に、浮舟の女房たちは栗のようなものを「ほろほ
ろと」食べている。薫は初めて見る光景にきまり悪く感じる。
食べ物に執着することは「田舎人」の共通描写になっており、「都人」には信じられ
ない感覚なのだ。
ただし、食べているのは玉鬘や浮舟でなくその供人たちである。
浮舟は疲れてうつ伏せになり、女房が薬湯やくだものを勧めても起きようとしない。
玉鬘も筑紫からの長旅に疲れて物に寄りかかっている。用意された食膳をさし出されて
はいるが、食べたかどうかは描かれない。三条が「心入れて」いる食べ物は玉鬘のお下
がりなので、あまり手をつけられてはいないのだろう。
田舎に染まってしまった「食べる」供人たちと「食べない」姫君を対照的に描くこと
で、姫君だけは都人に見初められうる都人と同じ価値観を持ち続けていたことを表して
いる。
連載第一回で見た『伊勢物語』のように、もし浮舟が女房と一緒になって栗をほおば
っていたら、薫の気持ちはロックオンしなかったに違いない。
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(連載)『ちょっとここらで 一休み』
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第二回
戸谷 太一
吟 行 客 袖 幾 詩 情
開 花 百 花 天 地 清
枕 上 香 風 寐 耶 寤
一 場 春 夢 不 分 明
一休さんの詩集『狂雲集』に出てくるこの詩は、「春衣宿花 周建喝食甲子十五歳」
と題されるものだ。
「吟じ行く旅人は詩情にあふれ、咲いては乱れ散る花びらで天地は清らかである、枕
の上に漂うその香りは寝るともなく覚めるともなく、これはいったい春の夢なのだろう
か」。拙いながらも自分なりに訳させてもらった。これは一休さんがまだ15歳、一休
ではなく周建と名乗っていたころの作品だ。
この詩は、中国の古典をも踏まえてあり、当時、京で非常な評判になった、と一休さ
んの弟子が書き記した伝記の「一休和尚年譜」にある。
そこに反抗の色はなく、穏やかな春の情景とそれに酔う自分の姿を描いた、とても美
しい詩の世界が広がっている。
一休研究者の今泉淑夫先生は、この詩が年譜に記された理由を、昔の思い出を大事に
して折ふれてお弟子さんにこの詩のことを語っていたからだろう、と推測している。
そうだとしたら、なんとも微笑ましい。昔、自分の作った詩が京中で評判になったん
だぞ、と自慢をする一休さん。お弟子さんも、もしかしたら、師匠またその話ですか、
などと言って聞き流していたかもしれない。
今となっては事実は知る由もないが、そんな偉人の姿を想像することも歴史の楽しみ
じゃないかな、と思ったり。
桜すでに散り、葉桜が澄んだ青空に映える時期ですが、一休さんから預かった少し遅
れてのお花見の招待状でした。
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(連載)『北野の芸能と茶屋』
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第六回
井上 年和
明応九年(1500)9月10日「北野天満宮史料 目代日記」
一、はらの茶屋まこ三郎屋敷地子事百六十七文にて候、さりなから此屋敷内ニ松木あ
またあり、知行とハ申なからいかゝあるへきよし堅わひ事候間、卅七文免候、使
政所殿弥六、
前回の記事でも触れたように、中世には北野社領内の茶屋は坪数に応じた地子銭を北野
社に納めるようになりますが、原の茶屋孫三郎は屋敷の中に松の木がたくさん生えている
ということで、167文の地子を27文免じてもらったというものです。
松の木がたくさん生えているのが原の茶屋だけというのも不自然なような気がしますが、
松林を宅地化したのか、相当立派な屋敷であったことでしょう。
「北野巷所注文」をみても、地子を免じてもらった孫三郎の茶屋は、「口三丈七尺奥九
丈」と他に比べ広い屋敷地を有していました。
第1回でご紹介させたいただいた明応元年(1492)9月6日に松の木を引き寄せた
茶屋は原の茶屋孫三郎で、その目的は地子をまけてもらうためだったのかもしれません。
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(連載)『やまとのくには言の葉のくに』
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第六十六首
田口 稔恵
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしゃべり
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな
(山村暮鳥 「風景 純銀もざいく」)
いちめんのなのはな。
少年の背丈まで覆い尽くすほどの黄色と若い緑。
麦笛の音やひばりの鳴き声が遠くから聞こえ、抜けるような春の空には、病んだよう
な白い月。
風に揺れているのは、見渡す限りの菜の花と、ともすればこの世ならぬ世界に攫われ
そうな、少年の日の危うい魂。
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◆[嵯峨野学藝倶楽部] 5月開講講座のお知らせ ◆
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詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/club/をご覧下さい。
★「京文化を語ろう」
日程:5月8日(土)
時間:11時〜12時30分(90分)
講師:太田 達
テーマ:「宗教から京都を考える〜八幡〜」
参加費:1回1,000円(茶菓子付)
※1回のみの参加も、随時受付けています。
★「今様・白拍子教室」
日程:5月8、22日(土)
時間:13時〜14時(60分)
講師:石原 さつき
※見学/体験も、随時受付けています。
性別・年齢・経験は問いません。
★「茶道教室(水曜日コース)」
日程:5月12、26日(水)
時間:13時〜18時(ご都合の良い時間にお越し下さい)
講師:西村 宗靖・太田 宗達
※見学/体験も、随時受付けています。
★「茶道教室(土曜日コース)」
日時:5月15、22、29日(いずれも、土)
時間:15時〜20時(ご都合の良い時間にお越し下さい)
講師:西村 宗靖・太田 宗達
※見学/体験も、随時受付けています。
★「京都歴史講座」
日程:5月16日(日)
時間:11時〜12時30分(90分)
講師:中村 武生
テーマ:「ついに成った!平安宮内裏跡への顕彰-全京都建設協同組合の記念事業と
源氏物語千年紀」
参加費:1回 1,000円 (茶菓子付)
※1回のみの参加も、随時受付けています。
★「うたことば研究会」
日程:5月22日(土)
時間:15時〜16時(60分)
監修:田口 稔恵
※資料代等が必要です。詳細はお問合せ下さい。
お問合せ・お申込みはコチラまで→ sagano@ren-produce.com
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祝、GW突入!皆さんはどうお過ごしでしょうか?
私はどこかに小旅行したいと思い近畿圏の観光スポットを調べていたのですが、ちょ
っと調べただけでも面白いところってたくさんありますね〜。
今年は奈良が熱いし、3日には伏見稲荷神社の稲荷祭があるし、しこぶち神社の河童
伝説も気になるし・・・。行きたいところや見たいものは尽きませんね!
(きしもと)
[次回は、5月15日(土)に配信予定です!次回もお楽しみに。]
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