嵯峨野文化通信 第40号

 伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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             〔嵯峨野文化通信〕 第40号
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   伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
         ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。

        京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
              毎月1日・15日(月2回)

                      ★VOL:40(2007/10/1)

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  ○【連】からのお知らせ——————————–お茶会のご案内
  ○(連載)『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』———-第三章 〜説四話〜
  ○(連載)『ニッポン城郭物語』————————第二一幕
  ○やまとのくには言の葉のくに————————–第十五首
○京の伝統行事—————————————-春日祭

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 【連】からのお知らせ
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  【連】が主催している、[嵯峨野学藝倶楽部]の教室の一つ「茶道教室」の受講者に
 よる「お茶会」を催します。今回で2回目となるお茶会は、三壷庵から飛び出し北野天
 満宮内にある「松向軒」にて催させていただくことになりました。深まりゆく秋の一日
 を、北野の地でゆっくりと過ごしてみませんか?
 ※人数の都合上、下記のアドレスまでお申込みください。

  日程:11月17日(土)
  時間:午前10時〜午後3時
  内容:薄茶席
  会費:700円
  場所:北野天満宮内・松向軒(上京区馬喰町)
  申込み:sagano@ren-produce.com

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                (連載)『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』第三章
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                    説四話             太田 達

  ばあさまの思い出の中で、腑に落ちないことがある。一般的に考えても、どうしても
 解せない。晩年の彼女は、いつも仏間のこたつで俳句や和歌を考えていた。また、よく
 「少年非行」に関する論文を書いていた。ちなみに彼女は長く家裁の調停委員をしてい
 た。京都家裁は下鴨の糺の森にある。ゆえに彼女の句集や歌集には葵の文字が常にあっ
 た。謎とは、こんなことではない。彼女は原稿などが一段落つくと、仏壇の方を一瞥し
 た。なにやら心の中で祈っているようであった。仏壇には、いくつかの位牌があり、彼
 女の父母・じいさま・兄さまのそれと、彼女が一番大切にしていたようなのが細川三斎
 の霊という神式の位牌であった。昔の彼氏のものとかなら納得もいくが、400年前の、
 しかも我家となんら関係のない位牌…なんなんだ。歴史好きの私としては当然、その理
 由をたずねた。彼女はいつもたった一言「ご親戚」と答えるのみであった。細川三斎と
 は、永録6年(1563)幽斎(藤孝)の長男として京都に生まれた。明智光秀の娘玉
 (ガラシャ)と結婚した事は有名である。本能寺の変の時、父とともに秀吉につき、正
 保2年(1646)83才。当時としては大長命の人生の中で信長・秀吉・家康・秀忠・
 家光に仕え激動の時代を武将として生き抜いた。彼の長子・忠利は、肥後熊本藩の初代
 となる。又、茶人としても利休七哲の一人として数えられ、秀吉の逆鱗に触れ堺へ旅立
 つ利休を淀の船着場で織部とともに2人で世間体を恐れず見送った有名な話もある。又、
 北野大茶湯、天正15年(1587)の時に、今も天満宮一の鳥居の横に残る松向軒を
 作った。(今度、【連】が主催している[嵯峨野学芸倶楽部]の「茶道教室」で茶会を
 します)

  では、私なりの謎解きを。実は三斎の父・幽斎は、当家の先祖・吉田兼見と従兄であ
 る。兼見とは、信長上洛までの歴史考証資料として著名な『兼見卿記』の著者である。
 吉田兼見は、荻原、ト部の名の両方が見いだされる頃の人で、江戸時代になると明確に
 三家に分かれる。我家は、じいさんまで皆、兼か員の字が入っている。藤孝は、興福寺
 一乗院の覚慶(足利義輝の弟である)を救い出し、足利義昭にして、十五代将軍にと画
 策する。そこで藤孝は、兼見の父・兼右と懇意になる。吉田兼右は実は、大儒者・清原
 宣賢の次男である。宣賢は唯一神道の創始・吉田兼倶の三男で儒家・清原を継いだ。兼
 右は、吉田家に戻り、家を継いだ。藤孝は、宣賢の女を母に、父は十二代・足利義晴で
 あろうと云われている。又、信長上洛に奔走する立入宗継、山中村(近江への山道山中
 越)の豪族、磯谷新右衛門の二人とも、又、従兄弟の関係にある。そして、磯谷と兼右
 は、義理の兄弟でもあり、今まで全ての登場人物は皆京都における初期キリスト教庇護
 者である。少し整理してみると、うちのばあさまとの繋がり、彼女はクリスチャンであ
 る。浄土教であり、神道である。又、彼女の母は、山中村の近くの豪族・中邑家より嫁
 いできている。藤孝は、古今伝授を受けた武人である。彼女は和歌好きであった。何か
 わけがわからなくなってきたので、次号できっちり整理したい。
                                    (つづく)

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                          (連載)『ニッポン城郭物語』
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           ―第二十一幕― 〜売り出し中の城の話〜
                                   梅原 和久

  売り出し中と言っても、「イチ押しの城」という意味ではない。週刊誌等で取り上げ
 られたこともあって、珍しくも茶の間をにぎわせた、例の城のことである。福沢諭吉の
故郷、大分県中津市のシンボルである中津城。その天守等の建造物と周辺の土地約2千
3百平方メートルが、何と3億2千万円で売りに出された、という話。(※1)

  現在の中津城天守は、市民の寄付を受けながらも、昭和39年(1964)、旧藩主
 の奥平氏自らが再建した、という珍しい経緯をもつ。基本的な形状は萩城天守をモデル
 としながら、その白黒を反転させてオリジナリティを出したデザイン(※2)であるが、
 史実に基づいたものではない。何より、そもそも中津城には天守自体が存在しなかった。

  かといって、中津城に歴史的価値がない訳では決してない。かの黒田如水が築き、か
 の細川忠興が整備した城である。高松城、今治城とともに日本三大水城の一つと数えら
 れることもあるほどの名城なのだ。しかしながら現在は、国や市の管理下にある訳では
 なく、奥平氏の19代目が代表取締役を務める会社が建造物を、そして隣接する奥平神
 社(同氏が代表役員を務めている)が城址の土地をそれぞれ所有しているという状況に
 あった。つい2ヶ月前までは。

  それが、奥平氏が「現状では天守閣を維持管理していくのは厳しい」などとして売却
 を検討、福岡市内の不動産会社の広告に「3億2千万円」という売却額が掲載されてい
 たことが明らかになったのが7月の末。市民団体や研究者グループなどから、中津市に
 対して早急な買い取りを求める陳情運動が起こる騒ぎとなった。先日行われた市の9月
 定例議会でも、5人の議員から市の考え方を問う質問が出されている。

  城マニアの中には自宅を城郭風に改造したりする人もいるくらいなので、3億円程度
 なら本物の城を買いたい、という人はいそうな気はする。市としては、広く意見を求め
 て購入するかどうか判断するとのことだが、厳しい財政状況の中で医療や福祉などを優
 先すべき、という意見もあり、今後の市の判断の行方が注目されている。
 
 (※1)新聞記事
   http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/oita/20070911/20070911_004.shtml

 (※2)萩城天守古写真と中津城復興天守の写真
   http://www.h5.dion.ne.jp/~ztiba/LOVELOG_IMG/948B8FE98CC38ECA905E.jpg
   http://www.asahi-net.or.jp/~qb2t-nkns/nakatu.htm

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 やまとのくには言の葉のくに
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                   第十五首             田口稔恵

  あきの野に人松虫のゑすなり我かと行きていざ訪(とぶら)はむ
                (『古今和歌集』 巻四 秋歌上)

  秋の野に、人を「待つ」という名の、あの「松虫」の声がする。待っているのは私か、
 とさあ、訪れよう。

  松虫の名に「待つ」を掛けるのは古典の常套手段。源氏物語には、松虫について「名
 には違ひて、命のほどはかなき虫」と表現している。秋の野の寂び寂びとした趣に、
 「待つ」の名を持つ虫はいかにも相応しい。この歌は、謡曲「松虫」の原典とされたこ
 とで名高い。観念的で冷えた情緒の謡曲を得意とした金春禅竹らしい、あはれを感じさ
 せる作品である。心で深く繋がった友人同士が、阿倍野を通りかかった時、一人が虫の
 声に惹かれて追って行った。残された男が、待ちわびて探しにゆくと、友人が叢で死ん
 でいた。残された男は慟哭し、その遺骸を埋める。その男の霊が現れ、旅の僧に回向を
 頼むという内容で、随所にこの和歌の世界が織り込まれている。「訪ふ」という語には
 「訪れる」の他に「弔う」という意味があり、そこから禅竹は着想を得たのではないか
 と推測されよう。「待つ」のが女性ではなく、この世の人ならぬ心通わせる友人である
 とした点が、秋の野の持つ、凄絶で一種妖艶な雰囲気をいや増している。この歌は、
 『古今和歌集』中、「題知らず 詠み人しらず」の一群に含まれる。広く流布する伝説
 の中には、後世の読み手によって、和歌集の配列から贈答歌と勝手に位置づけられたこ
 とから物語化したものも少なからず存在する。小野小町と在原業平の恋愛関係も然りで
 ある。詠み人知らずの歌の世界が持つ可塑性は、後代の文学や芸能を、より豊かなもの
 としたと言えよう。

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 京の伝統行事 〜祭に出かけてみませんか?〜
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 ○春日祭

  明治維新の少年鼓笛隊列。江戸時代初期に政策された2基の神輿と5基の剣鉾の渡御
 です。春日神社の起こりは平安初期に遡ります。淳和天皇の西院離宮の鎮守社に、奈良
 春日大社を勧請したのが始まりです。13日の神幸祭、14日の例祭、宵宮祭と行われ
 ます。

 日程:10月13日(土)〜14日(日)
 場所:西院春日神社(西院春日町61)

 ●西院春日神社のURL
 http://kasuga.or.jp/

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         ◆[嵯峨野学藝倶楽部]10月開講講座のお知らせ ◆
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          詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/から

  ★「今様・白拍子教室」
    日程:10月6日(土)
    時間:午後1時〜2時(60分)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。
    http://www.ren-produce.com/sagano/imayou/

  ★「茶道教室(土曜日コース)」
    日程:10月6日(土)
    時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間に、お越しください)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。
    http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/doyoubi/doyoubi.html

  ★「茶道教室(水曜日コース)」
    日程:10月10日(水)
    時間:午後1時〜5時(ご都合の良い時間に、お越しください)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。
    http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/suiyoubi/suiyoubi.html

       お問合せ・お申込みはコチラまで→sagano@ren-produce.com
         (※いずれの講座も、事前にお申込みください!)

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  配信日が1日遅れてしまいました。。。ごめんなさい!!
 お彼岸も過ぎ、すっかり涼しくなってきましたね。「【連】からのお知らせ」でも紹介
 した「お茶会」の他に、10月14日(日)には、今年で22回目を迎える「今様歌合
 せ」を法住寺さんにて催します。ご興味のある方は、ぜひぜひお足お運びください!

   [次回は、10月15日(月)に配信予定です! 次回もお楽しみに(^▽°)]
         ☆治☆
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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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