伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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〔嵯峨野文化通信〕 第37号
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日々の暮らしに「和」の魅力をプラスしてみませんか?
伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。
京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
毎月1日・15日(月2回)
★VOL:37(2007/8/15)
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○【連】からのお知らせ———————–ビアラベルコンテスト
○(連載)『京都タイムトラベル』————-北山界隈(3)
○(連載)『いろはにほへと』—————–〜日本人の感性の歴史(5)〜
○やまとの国は言の葉のくに——————-第十二幕
○京の伝統行事——————————-吉祥院六斎念仏
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【連】からのお知らせ
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第35号でお知らせしました「上七軒ビアラベルコンテスト’07」。3回目となる
今回は、<宴−うたげ>というテーマでご応募いただいたラベルを展示しています。
開催期間は9月8日(土)までですので、ビアガーデンにお越しの際は、ぜひぜひ
「上七軒ビアラベルコンテスト’07」にお足お運びください。気に入ったラベルがあ
ったら投票していただけると嬉しいですo(^▽^)o
日程:7月15日(日)〜9月8日(土)
時間:午後5時〜10時
場所:上七軒歌舞練場 舞台
●上七軒歌舞練場のホームページ
http://www.maiko3.com/
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(連載)『京都タイムトラベル』―京都・時空・逍遥・記―
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北山界隈(3) 太田 達
半木(なからぎ)神社をご存知であろうか。毎年四月、桜が満開のころ、植物園の西
側の堤防に「半木の道 鴨川茶会」なるイベントの広告が京都新聞に出ている。いつか
らあの堤防に「半木の道」という名がつけられたのか、不明である。ただ、植物園の中
にある小さな祠が半木神社という名前であり、「半木」という堤防の名称の起源となっ
たらしい。京都市発行の『京都の歴史』によると、この神社は秦氏ゆかりの錦部族の祖
神で、蚕の社と深いつながりがあるらしい。寛仁二年(1018)に、官祭した記録が
あり、天太玉を阿波より勧請し、賀茂社に属した。もともと、西賀茂にあった浮田の森
にあったものが、洪水によって現地に流れつき、流れ木(ながれぎ)が半木(なからぎ)
になったとか。北山橋あたりをふるさととする私にとって、この「洪水」の話は身近に
感じる。子供のころ、よく尺八池が切れたら、とか、柊野の志久呂橋、ようは鴨川の上
流部の堤防が切れて水浸しになった話を聞かされ続けてきたからである。防災工事が進
んで現代では伝説になってしまうのであろうか。
ところで、秦氏は松尾神社や稲荷社、また、桂川の罧原堤の防災工事、太秦広隆寺な
ど、京都の西エリアの古代の支配者である。その、彼らの氏宮である松尾大社の神紋が
葵であり、賀茂社のそれと同じである。平安京以前の京都の二大勢力がともに葵をシン
ボルとしている。古代にこの両者を結びつける、何かの事件があったのであろう。その
ヒントが、半木神社なのであろう。だが、この植物園にとりかこまれた小祠は、何も語
ろうとはしない。
(つづく)
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(連載)『いろはにほへと』
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・・・いろはにほへと・・・・・・色は匂へど・・・
〜日本人の感性の歴史(5)〜
はまさき かなこ
お盆の最中、午後の厳しい日差しを浴びながら、桂川畔、松尾大社を詣でた。閉門間
近。目ざすは、御神像。かの、三躯の俗形神像である。
「神像(しんぞう)」という言葉を耳にしたことがおありだろうか。仏像ではなく、
神像、である。ちょっとそのお顔をイメージしていただきたい。柔和な顔、怒りの表情・・・
あれ、それって、仏像じゃない? 神さまの顔を想像することが、なにやら、ありもし
ないのに無理矢理作りあげているような気にならないだろうか。
仏には、阿弥陀如来、観世音菩薩、不動明王・・・等々、固有の名前があり、それぞ
れ印相(手の形や組み方)や持物が定められている(※1)。一方、神はどうだろうか。
『古事記』をひもとけば、数々の神が登場するが、「紀伊国に坐す神」あるいは、「葛
野に坐す月読神」などとあるだけで、どうやら固有名ではなさそうだ。しかも、そのお
姿はいっこうにイメージできない。そう、神は目に見えないのだ。風が樹々を揺らすと
き、空に雷鳴がとどろくとき、私たちは神の存在を意識する。いや、意識した、といっ
た方がいいだろうか。今でこそ立派な社殿を構える神社だが、元来は仮のもの。いつで
も建替可能、時に移動もする社であった。神は、石に宿り、瀧に宿り、山に宿る。
神像が生まれたのは、九世紀初めの頃と言われている。仏教の影響下に作られたのだ
ろう。中でも有名なのが、薬師寺と東寺の八幡三神像(国宝)。そして、松尾社の男神
像二躯、女神像一躯(重文)なのである。
話を元に戻そう。蝉の声に洗われながら松尾社の大鳥居をくぐる。こちらの御神像と
は、かれこれ、5度目の対面になるであろうか。宝物館のチケットを求め、重森三玲
(※2)作の庭を通り抜けようとすると、白衣を着した初老のおじさんがあらわれた。
庭には目もくれない(というワケでもないのだが)私を不敬と思われたのだろうか。庭
から宝物殿に至るきざはしを五段ほど上ったところで、行く手を阻まれた。「ここから
庭をご覧なさい。離れた小さな植え込みが、亀の頭です」 振り返って見ると、見事、
亀の姿が。亀は、松尾社の神の使いである。「カメラをお持ちなら、撮ってあげましょ
う」と薦められるも、カメラがない。遠慮して、いよいよ宝物館へ。堂々、三神が立ち
並んでおられるのを拝し、おぉ、と小さく声をあげてしまう。何度拝んでも圧倒させら
れる。思わず中央の女神に近寄ってじっと見入ろうとしたその瞬間、さきほどのおじさ
んが背後から来て「解説が5分流れます。こちらの椅子に腰掛けてください」と言う。
その迫力に圧されて、思わず座す。ほどなく宝物館の扉が開いた。他の客が入ってきた
ようだ。家族連れの4人組。彼らは脇の長椅子を勧められ、同じく解説テープに耳を傾
ける。おじさんは、解説中も、各人手渡されたパンフレットや神像を指さしながら、テ
ープ解説のフォローに忙しい。ようやくテープが終わり、さて、じっくり見ようと立ち
上がったところ、またもやおじさんが言を発する。「時間がないので、一つだけ、面白
いお話をしましょう」 やけに神妙な顔つきだ。思わず引きこまれてしまう。「こちら
に寄って」という声に、一同、女神像の前に寄る。「いや、もっとこっちに」 全員が、
女神像の正面に縦列した。
「これからお話することは、どの本にも載っていません。神社の中でも、私だけが言
っていることです」と前置きがあって−。「この女神像は、安芸の宮島の市杵島姫命
(いちきしまひめのみこと)さまです。このお方だけが、正面を向いていらっしゃらな
い。右斜め前方を向いていらっしゃる。何故か? お客さまに尋ねられてわからなかっ
た。学者の先生に聞いてもわからない。そこで私は考えた。20年間、ずっと、わかる
まで、考えた。それで、ついにわかったんです。このご神像には、4つの顔があるので
す」 えぇッ!!! まるでホラーや。しかし、その場にいる者は−私も含めて−真剣
そのもの。おじさんの話にぐいぐい引きつけられていく。おじさんも、さすがにひと息
ついて、続きを始める。「まず、正面から見てください。何ともお優しいお顔立ちです。
次に、右側面から。鼻筋が通っていて、日本人ではありませんね。そして、左側面から。
怒りの表情が立ちあらわれます。斜め向きに作られているからこそ、このような像容が
可能になるのです。最後に、正面に来て、ぐっと屈んで下方から見てください。男の顔
ですね。そうして、ゆっくりと、立ち上がってください。ある一点で、女に変わります
ね」 これにはビックリ。ほんとうに、男から女に変容するように見える!! 「今度
はゆっくりいらしてください。カメラも忘れずに。庭で撮ってあげますから」20年間、
じっと松尾のご神像を守り眺めて来られた社職のおじさん。日本の神社も、すてたもの
じゃないなあと思うお盆の一日であった。
(※1)仏教においても、当初は偶像崇拝は否定されていた。仏像が出現したのは釈迦入
滅後500年以上経ってから。紀元後1世紀頃のことである。
(※2)昭和を代表する作庭家。明治29年(1896)−昭和50年(1975)。松
尾大社の庭は、昭和50年の絶作。「上古の庭」「曲水の庭」、即興的に作られた庭、
「蓬莱の庭」の四庭から成る。
(つづく)
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やまとのくには言の葉のくに
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第十二首 田口稔恵
海底に夜ごとしづかに溶けゐつつあらむ。航空母艦も火夫も
塚本邦雄(『水葬物語』より)
(海底では、毎夜毎夜、静かに絶え間なく溶け続けながら、存在していることだろう。
あの航空母艦も、火をたく係の乗組員も。)
第三句と第四句に跨る「句跨り」という手法は、塚本邦雄の短歌の文体的特徴である。
また、歴史的仮名遣いの表記にこだわり続けた。塚本邦雄の第一歌集『水葬物語』は、
時の歌壇からは黙殺されたが、三島由紀夫らによって絶賛された。自然主義や写生論で
事実性にとらわれていた短歌界の常識を大きく覆し、寺山修司らと共に、前衛短歌運動
をリードし、近代歌壇史上における位置を確立した。暗示に富んだ表現、韻律を志向す
る歌風は「象徴主義」とも「反写実的作風」とも評される。平安時代の国風文化全盛期
より連綿と受け継がれてきた『古今和歌集』をテクストとする価値観や美意識への拘泥
を「つまらぬもの」と一蹴し、「写生」を謳って行き詰まった近代歌壇に風穴を開けた
のは正岡子規であったが、その「写生」にとらわれた歌壇に革命をもたらしたのが塚本
邦雄であった。短歌を「幻視する詩型」と言い切り、現実が幻視によって変質し、新世
界が生まれ出る予兆を捉える、と主張した。ある意味において、伝統的な、和歌が持つ
「虚構性」への回帰とも捉えられよう。
その博覧強記ぶりは有名で、「自らの内と外とを射通すような激しい表現が、現代社
会への痛烈な批判となった」と言われる。この作品においても、多くの乗組員を抱いた
まま、海底の漆黒の静寂に身を横たえる航空母艦が、潮流に洗われ、少しずつ姿を失う
さまを幻視して「溶けゐつつ」と表現している。そして「あらむ」と、それがまだ厳然
と存在しているのだ、という事実を歌いあげ、戦争の記憶が時とともに風化し、忘れ去
られようとしていることを風刺的に批判し、現代の日本に警鐘を鳴らしている。
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京の伝統行事 〜祭に出かけてみませんか?〜
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○吉祥院六斎念仏
毎年8月25日には、吉祥天満宮にて吉祥院六斎念仏が奉納されます。平安時代、空
也上人が六斎日(毎月8・14・15・23・29・30の六日)に辻々で鉦や太鼓を
叩き,念仏を唱えたり,それに合わせて踊ったりして仏教の教えを広めたことが起源と
いわれています。現在京都には保存団体が十数グループあり、昭和58年「京都の六斎
念仏」として重要無形民俗文化財の指定を受けました.
六斎念仏は念仏踊りを主とする「念仏六斎」と,能や歌舞伎の演技を取り入れた「芸
能六斎」に分かれています。吉祥院六斎念仏は「芸能六斎」系で,毎年吉祥院天満宮で
4月25日と8月25日に奉納されます。曲は発願・つつて・お月さん・朝野・四つ太
鼓・あづさ・蟻ねずみ・安達ヶ原・鉄輪・玉川・晒・盛衰記・大文字・祇園囃子・羽衣・
岩見重太郎・獅子太鼓・獅子舞・獅子と土蜘蛛・和唐内・回向唄・焼香太鼓があり、こ
の中から何曲かが奉納されます.
場所:吉祥院天満宮(南区吉祥院政所町3)
時間:(夏季大祭)午前10時(及び11時30分頃)
(吉祥院六斎念仏)午後20時〜21時30分頃
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◆[嵯峨野学藝倶楽部]8月開講講座のお知らせ ◆
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詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/から
★「茶道教室(土曜日コース)」
日程:8月18日(土)
時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間に、お越しください)
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/doyoubi/doyoubi.html
★「茶道教室(水曜日コース)」
日程:8月22日(水)
時間:午後1時〜5時(ご都合の良い時間に、お越しください)
<ご要望に応じて、午前中や夜などの時間帯も検討いたします>
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/suiyoubi/suiyoubi.html
★「今様・白拍子教室」
日時:8月26日(土)午後1時〜2時(60分)
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。http://www.ren-produce.com/sagano/imayou/
お問合せ・お申込みはコチラまで→sagano@ren-produce.com
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8月16日の夜、京都の山々にぼんやりと大の文字が浮かび上がりますね。「大文字
焼き」という名前で知られていますが、正確には「大文字焼き」ではなく「五山の送り
火」と呼びます。五山の送り火とは、お盆に行われる京都の伝統行事で、京都を囲む5
つの山に「大文字」・「左大文字」・「船形」・「鳥居形」・「妙法」の順で火をとも
します。五つの山に5種類の送り火を焚くところから「五山の送り火」と呼ばれるよう
になりました。
起源は、平安時代とも室町時代ともいわれ、長い間、京の町の人々に親しまれていま
す。この五山の送り火はお盆の先祖供養の一般信仰と結びついたもので、お盆に帰って
きた先祖の魂を再びあの世に送り出すという意味があります。また、厄除けのご利益も
あると信じられ、送り火の灯を映した杯を飲むと中風にかからないといわれています。
京都四大行事の一つです。
[次回は、9月1日(土)に配信予定です! 次回もお楽しみに(^▽°)]
☆治☆
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