嵯峨野文化通信 第28号

 伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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             〔嵯峨野文化通信〕 第28号
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        日々の暮らしに「和」の魅力をプラスしてみませんか?

   伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
         ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。

        京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
              毎月1日・15日(月2回)

                      ★VOL:28(2007/4/1)

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  こんにちは(@^ー^@) 〔嵯峨野文化通信〕です☆

  今日から4月ですね。新しい環境で生活を始めるフレッシャーズの方や学生の方を
 見かけると、初心に戻って気持ちを新たにがんばろう♪と思います。

  新社会人や新入生の皆さん、慣れない環境で、最初はとまどうことも多々あると思
 いますが、がんばりましょう! バタバタと忙しい日々を送っていても、歓送会やお
 花見など、春にはたくさんのイベントがあるので、楽しみですね。

それでは、〔嵯峨野文化通信〕第28号のスタートです!

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 ┃も┃┃く┃┃じ┃
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  ○【連】からのお知らせ—————————[嵯峨野学藝倶楽部]
                           三壷庵カフェ
  ○(連載)『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』—–二ノ巻
  ○(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』—第15話
  ○(連載)『ニッポン城郭物語』——————-第十四幕
  ○やまとのくには言の葉のくに———————第四首
○京の伝統行事———————————–平野神社・桜花祭
  ○『京都文化警察』——————————-"京都らしい景観"って、何?
                            〜証言篇3〜

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 【連】からのお知らせ
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 ○[嵯峨野学藝倶楽部]「<徹底解析>京菓子」のご案内

  【連】が主催している[嵯峨野学藝倶楽部]の講座の1つ「サロン文化史〜食の立
 場から〜」。これまで、万葉から現代まで、<食>という視点からさまざまな<サロ
 ン>を取り上げてきました。

  4月からは、3回にわたって「<徹底解析>京菓子」を開講いたします。
 第1回目は「まんじゅう」です。もちろん、美味しいまんじゅう付きです! ぜひご
 参加ください。

 [日時]4月14日(土) 午前11時〜12時30分(90分)
 [場所]嵯峨野「三壷庵」

 ●[嵯峨野学藝倶楽部]のURL
 http://www.ren-produce.com/sagano/

 ★[嵯峨野学藝倶楽部]へのお申込み&お問合せ
 sagano@ren-produce.com

 ○ 三壷庵カフェの仮オープンのお知らせ

  [嵯峨野学藝倶楽部]の会場である嵯峨野「三壷庵」の「和」空間を活かしたカフ
 ェを実験的にオープンします。今後は、このカフェを【連】の情報発信ステーション
 として機能させていくことも検討しています。

  とにかくまずはやってみよう、ということで4月6日から7日の2日間にわたって
 オープンすることにしました。是非のぞきに来てみてください。

  また、このカフェをやってみたい!というボランティアスタッフも大募集中です!

 [日時]4月6日(金)・7日(土) 午前11時〜16時
 [場所]嵯峨野「三壷庵」

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                  (連載)『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』
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        いにしえに「四鏡」という歴史書ありけり。
             『大鏡』『今鏡』『水鏡』『増鏡』これなり。

        今の世に『爺婆鏡(ジジババカガミ)』あり。
              昔を今に映す鏡とて、語り始むるなりーーー。

 前回から始まった『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』は、古老が語る昔の話を今に
 伝えていく試みです。
                   二ノ巻
                                  鈴木 岳海

  おばあは伊香保のお盆専門店で、お盆作りの手伝いをしていた。7歳の時に母親を、
 19歳の時には父を亡くし、兄が結婚し、自分の居場所を求めていた。一方、近衛兵
 として出兵した2年の兵役が終わり、伊香保から京都に出てきていた長兄の元にいた
 おじいは、嫁さんとしてある女性を頭に浮かべていた。

  昭和14年、おじいは、伊香保で知っていたおばあに手紙を送る。「京都に来ない
 か、結婚してくれないか」。居場所を探していたおばあは、ほとんど話したこともな
 かったおじいの元へ行くことを決めた。昭和14年5月6日、自分のいるべき場所で
 あればどこでも良いと、他に考えることもなく京都に来た日を、おばあは今もよく覚
 えている。

  新婚生活は、東山でも腕の立つ彫り物師だったという長兄の住む東林町で始まる。
 ここは清水焼の陶工たちが集住していた。おじいは、兄と同じように清水焼の陶工た
 ちと仕事をし、蛇ヶ谷(*1)に湯飲みを作りに行っていた。おばあは、仕事を探し
 始めた。すると、京都市美術館がバイトの求人をしていることを知り、京都大丸の裏
 にあった紹介所に行った。そこは、給料も良いこともあり、300人もの京都の良い
 とこの娘さんたちであふれ、きれいな着物で花が咲いたようであったという。そんな
 中、おばあは、怖いと噂されていた女史にびくびくしながらも、履歴書を提出して面
 接を受けた。その後、一週間たって、合格通知が届く。おばあは、それから2年間、
 このバイトを続けることになった。バイト代は1日1円50銭。長兄の友達からは、
 「いいなぁ1円50銭」とよく言われていた。たくさんの人々が美術館を訪れ、袴を
 着て、咳もあまりしないように作品を見ていた。50人いたバイトは2組に分けられ
 て、各フロアの真中で監視員をしていた。フロアは非常に寒く、火鉢がおいてあった。
 買い上げられた作品には、買い上げた方の名前が札に書かれていたが、満州の溥儀の
 弟(愛新覚羅溥傑)が特典の作品を良く買っていたという。おばあの担当は工芸のフ
 ロアで、銀の彫金細工を毎日見ては、欲しいなぁ、欲しいなぁと思っていた。

  こうして、京都に来て1ヶ月、落ち着いた新婚生活の準備ができたころ、おじいは
 出兵することになるが、今回はここまで。
 (*1)
  清水焼と蛇ヶ谷の説明。
   http://www.joho-kyoto.or.jp/%7Ekyoyaki/kamamoto/4-1-7.htm
  蛇ヶ谷の由来などはこちら。
   http://hiyoshikumiai.com/
                                 (つづく)

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                 (連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』
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        極私的茶会記(4) 「作ってみてくれませんか?」の段

                               イチカワ アキラ

  8月21日、夕刻。御幸町錦下ルの料理店で例の打合せ会。前夜、なかなか寝付か
 れず、頭が少し重たい。暑さか、<遠足前夜>の高揚か…。告白するならば、こうい
 うときの私は少し危険である。通常、私という個人を支配している<中庸>の観念が
 徐々に薄れ、何をするにしても<度>を過ごしてしまう可能性を大いにはらむ。食べ
 出したら止まらず、呑みだしたら止まらない、しゃべり出したら…。そして、翌日は、
 確実に後悔する羽目に陥る。胃痛、ひどい宿酔、そして底知れない自己嫌悪…。そん
 な危機感に苛まれつつ、打合せ場所に向かう。

  さて、打合せ、である。7名が三々五々に集まり、雑談と自己紹介、そしてメニュ
 ーの注文からはじまった。迂闊にも麦酒を注文…。危機感はいや増す。続いて、H女
 史と主宰の一人・O氏から、趣旨説明と場など諸々のレクチャーがあった。大変申し
 訳ないことに、その詳細についてはあまり記憶が定かではない。ただ、お二人の表情
 が生き生きとしていて、<何だか楽しげなことが起こる…>といった幸福な予兆で満
 たされていった感覚だけが鮮明に残っている。私も<投げかけられるままに><思い
 つくままに><とりとめなく>ほろ酔いの言葉をだらだらと発しはじめていた。テン
 ションが高い。抱いていた予感は現実のものとなりつつ…。

  そんな中、O氏から<何とかして水の上に浮かびたい>といった内容の言葉を発せ
 られた、と記憶している。瞬間、危惧は<多分に予定調和的に>現実のものとなった。
 私の頭の中がめまぐるしく組み替えられ、もう一人の私が<私の記憶というデータバ
 ンク>にアクセスをはじめる。検索、そしてヒット。その時には、O氏のおっしゃっ
 ていたイメージをつかみきれてはいなかった。だが、私という中古品の電子計算機は、
 <鏡面仕上げのステンレス板>というデータをはじき出す。<こんな材があり、これ
 をこうしたら水の上に浮かんでいる感じになるかもしれない…>といった内容の言葉
 を発するやいなや、O氏の口から発せられたのは、はたして、「作ってみてくれませ
 んか?」という言葉であった…。

  再び、私の脳は音を立てて組み直される。<傍若無人な夢から覚めた…>といった
 気分であったか。はて…?つい数日前、私は私を<目撃者>として自己規定したはず
 ではなかったか?<目撃者>は、ごく一部分にせよ<主体>として存在しうるのか…?
 はたまた、<共犯者>になり得るのか…?こんな口に出せない疑問が頭の中をぐるぐ
 るとめぐる。しかし、である。外に表明すらしていない自己規定は、その場では何ら
 効力をもたなかった。大きな流れに飲み込まれるかのように、<ええ、はい…>とよ
 うやく小さく返事をし、打合せ会場を後にする。

  翌日、私の工作の師に<こういうの、作りたいんです…>と相談。<何に使うの?
 >と首を傾げながらも、師は必要部材を書き出してくれる。鏡面仕上げステンレス板
 900×900を2枚、枠材50×50×900を12本、コンパネ900×900
 を2枚、強力粘着テープを1巻、台所用アルミテープは1巻、養生テープ(透明・厚
 め)、脚は?6本あったほうが…。ステンレス板は建築材料屋に発注、あとはホーム
 センターでまかなえる…。幼少の頃から大工への強いあこがれをもっていた私は、往
 時の淡い夢を思い返し、知らず知らず楽しい気分を味わうようになっていた。<目撃
 者>から<小道具係>へ…。ここで、<茶の場>における私の位置は少しくシフトし
 たのである。
                                  (つづく)
 次回は「青森は、夏…?」の段

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                         (連載)『ニッポン城郭物語』
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              第十四幕 〜転用石の話〜
                                 梅原 和久

  先日、新聞で福知山城で転用石の展示を始めたという記事を見つけた。これだけ石
 垣の話を続けるのもどうか、とは思いつつ、これも城を見るときの楽しみの一つ、と
 いうことで強引に話を進めていく。

  転用石とは、文字通り、もともとは別の用途で使われていたものを、石垣に転用し
 た石のことである。使われたのは寺や墓から徴集された石仏・墓石・五輪塔・灯篭の
 ほか、石臼のような生活用具、更には古墳の石棺や古代寺院の礎石などの歴史遺産ま
 でと、幅広い。

  現代の感覚からすれば、石垣に墓石や石棺、石仏などを使うのは縁起が悪いように
 も思えるが、そこは時代の違い。逆に、旧領主や寺院といった既存権力の交替を示す
 ためか、結構目立つ位置に、敢えて据えた観もある。

  昭和50年(1975)、地下鉄烏丸線建設工事において、地下から織田信長が築
 いた二条城(※1)の石垣と堀の一部が検出されたのだが、その際に大量の石仏や供
 養碑などが発見され、大きな話題となった。(※2)当時日本で活動していた宣教師
 ルイス・フロイスが「信長は多数の石像を倒し、 頚(くび)に縄をつけて工事場に
 引かしめた。都の住民は、これらの偶像を畏敬していたので、それは彼らに驚嘆と恐
 怖を生ぜしめた」 (『完訳フロイス 日本史』松岡毅一・川崎桃太訳)の記載を裏
 付けるものとなったからである。

  もちろん、転用石の使用は信長の二条城に限った話ではなく、石材不足解消と築城
 期間短縮のための常套手段であった。信長の安土城や秀吉の大坂城のほか、姫路城や
 熊本城といった有名な城でも数多く見ることができる。

  中でも転用石で有名なのは大和郡山城と福知山城である。大和郡山城では近くの平
 城京羅城門の礎石と言われる巨石が使われているほか、有名な「逆さ地蔵」をはじめ
 とした沢山の地蔵が組み込まれた石垣を見ることができる。福知山城は墓石や五輪塔
 のオンパレード。探そうとしなくても目に付くほどである。(※3)少々異様にも見
 えるこれらの石垣、是非とも現地を訪れて堪能していただきたいところである。

                                   (つづく)
 (※1)永禄12年(1569)、信長が室町幕府第15代将軍足利義昭のために築
   いた城。現在地上には何の痕跡もない。京都府庁近くの平安女学院の脇に、「旧
   二條城跡」と刻んだ石碑だけがひっそりと建っている。

 (※2)信長による二条城の転用石仏は、現在数箇所に分けて保存・展示されている。
    洛西ニュータウンの竹林公園、京都文化博物館、現在の二条城内など。

 (※3)ネットで見つけた福知山城の転用石垣の写真。
    http://www.shirofan.com/shiro/kinki/fukuchiyama/pages/53BS4288_psd.html

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 やまとのくには言の葉のくに
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                   第四首
                                  田口 稔恵

  敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花 (本居宣長 六十一歳自賛画)

 (「大和心」とはどのようなものかと人が訊ねるなら、こう答えよう。「朝日に照り
 映える山桜の花だ」と。)歴史の中で不当な扱いを受けざるを得ない運命にあった歌
 である。「大和心」とは、「漢才」に対する概念を持つ語で、日本人が本来持ってい
 る思慮分別や、才覚・知恵を指す。『源氏物語』にもすでに見られる語である。

  本居宣長(1730〜1800)は、『古事記』や『源氏物語』を代表として、多
 くの古典文学の文献研究の成果を遺した。当時盛んだった国学の流れの中で、「大和
 心」は「日本人固有の精神性」と位置づけられてゆく。第二次大戦中、圧倒的な国力
 の差から、最後には精神性を拠所に戦わざるをえなかった日本は、敗戦と共に、古来
 の文化をもうち捨てねばならなくなった。この歌もまた、神風(しんぷう)特攻隊第
 一陣の「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」命名の典拠となったことから、し
 ばらくは人目をはばかるように扱われてきたが、本来は、大和民族の優美で柔和な心
 情を、日本古来の品種である山桜に託して大らかに詠んだ歌である。

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 京の伝統行事 〜祭に出かけてみませんか?〜
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 ○平野神社・桜花祭

  桜は「平野」と言われるほど、桜で有名な平野神社で行われるお祭です。

  平野神社は平安遷都の際、奈良から現在の地に移されました。寛和元年(985)
 4月10日に、花山天皇の勅命により勅祭を執り行ったことにあやかり、毎年4月
 10日に桜花祭が行われるようになったと言われています。

  午前中は神事(神前にて祈願、花山天皇陵参詣など)が、午後からは区内巡行が
 行われます。区内巡行には露払いの青鬼神・赤鬼神を先頭に、鳳輦(ほうれん)・
 騎馬・花山車・織姫・武者と4kmほど続きます。

[場所]平野神社(北区平野宮本町)
[期間]4月10日(火)
   (夜のライトアップ)3月末頃〜4月中旬頃(予定)

 ●平野神社のホームページ
 http://www.geocities.jp/daa01397/

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 『京都文化警察』
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            "京都らしい"景観って何? 〜証言篇3〜

  『京都文化警察』では、テーマを一つ出して、皆さまからの意見を募ることにいた
 しました。現在のテーマは、「"京都らしい"景観って、何?」です。

 [証言7]

  前々回より、京都タワーが話題にあがっていますね。新幹線で東京方面から京都に
 戻る際は、トンネルを抜けて京都タワーが見えたら「帰ってきたなあ」とホッとしま
 す。東京に住んでいた折は、「京都に来たなあ」と体を京都モード(?)に切り替え
 たものです。いや、自然に切り替わっていました。当たり前のことですが、風景を見
 て人は「ここは○○だ」と判断します。その中でも建物は「ここは何処」を規定する
 重要な要素なんだということを、みなさんの意見を読んで改めて認識しました。それ
 にしても、京都タワーがなかった頃のことを想像するのは楽しいですね。言われてみ
 て初めて「あれはあそこにあるものだ」と思いこんでいる自分に気づきました。(H)

 『京都文化警察』では、ひきつづき、「"京都らしい"景観って、何?」というテーマ
 でご意見を募集しています。つい先日制定されて大きな話題となった京都市の「新た
 な景観施策に関する条例」についてのご意見でもOK。お気軽にご意見・ご感想をお寄
 せください!

 [Eメール]sagano@ren-produce.com
   ※お送りいただいたご意見は、メルマガに掲載させていただくことがあります。

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         ◆[嵯峨野学藝倶楽部]4月開講講座のお知らせ ◆
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         詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/から

 ★「茶道教室(水曜日コース)」
   日時:4月4日(水)
    時間:午後1時〜5時(ご都合の良い時間に、お越しください)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。
     http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/suiyoubi/suiyoubi.html

 ★「今様・白拍子教室」
    日時:4月7日(土) 午後1時〜2時
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。
     http://www.ren-produce.com/sagano/imayou/

 ★「京都歴史講座」
    日時:4月8日(日) 午前11時〜12時(60分)
    タイトル:「平安時代の京都その1―長岡京遷都」
    参加費:1回1,000円(茶菓子付)
    ▽詳細は、コチラから。
     http://www.ren-produce.com/sagano/rekisi/index.html

 ★「サロン文化史〜食の立場から〜」
    日時:4月14日(土) 午前11時〜12時30分
    タイトル:「徹底解析 京菓子<まんじゅう>」
    参加費:1回2,000円(3回5,000円)

 ★「茶道教室(土曜日コース)」
    日時:4月14日(土)
    時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間に、お越しください)
    ※見学/体験も、随時、受付けています。
    ▽詳細は、コチラから。
     http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/doyoubi/doyoubi.html

        お問合せ・お申込みはコチラまで→sagano@ren-produce.com
          (※いずれの講座も、事前にお申込みください!)

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  いつもの編集者 治さんが宿替え中ということで、今回は途中から私が担当しま
 した。今回も長めの連載が3本もあり、読み応えのある(ありすぎ?)ものになっ
 ています。

  「この話についてもう少し知りたい」「城の連載は最高(!)」といったご意見
 ご感想を是非お寄せください。よろしくお願いします。

  今回お知らせした三壷庵カフェのように、【連】はどんどん新しい試みをはじめ
 ています。力を貸していただけるボランティアスタッフを随時募集中です。なかな
 か京都まで来れない、という方でもお手伝いいただきたいことは沢山あります。是
 非ご協力ください。よろしくお願いします。
                                 (梅)

  [次号は、4月15日(日)に配信予定です! お楽しみに(^▽°)]
    
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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
記事が面白かったら是非、シェアいただけると幸いです。