☆★☆———-伝統文化プロデュース【連】メールマガジン—————
〔嵯峨野文化通信〕 第16号 2006年10月1日
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伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識
について、学び広めていくための活動をしている団体です。
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○●○ もくじ ○●○
1.【連】からのお知らせ
2.京都をめぐる歳時記 〜寒露の章〜
3.(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』 第8話
4.(連載)『ニッポン城郭物語』 第八幕
5.メンバー紹介
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§――1.【連】からのお知らせ――――――――――――――――――――§
○「今様歌合せの会」
平安時代後期、後白河院がことのほか愛した「今様(いまよう)」を、雅びな
平安風俗で再現します。
「今様」は平安時代中期に起こり、鎌倉時代にかけて流行した歌謡です。白拍
子・傀儡女・遊女などにより歌われたもので、貴族の間にも流行しました。
「今様歌合せの会」は、後白河院が好んだ今様の歌を復興する「日本今謌舞楽
会」が主催する行事で、阿弥陀堂で法要が営まれた後、歌人が即興で今様歌を披
露、白拍子が舞います。当日は、客席からの歌も募ります。【連】のメンバーも
参加しています。
しばし時を忘れて今様の楽しさを体験してみませんか?
日時:10月8日(日) 午後3時〜8時(雨天決行)
場所:法住寺(東山区・三十三間堂東前)
●「日本今様謌舞楽会」のURL
http://www.ren-produce.com/imayou/
§――2.京都をめぐる歳時記 〜寒露の章〜 ―――――――――――――§
10月8日〜22日は、1年の気の流れを分節した二十四節気の一つ「寒露
(かんろ)」です。
雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止む
頃です。天明8年(1788年)の『暦便覧』には、「陰寒の気に合つて露結び
凝らんとすれば也」と記されています。“露が冷気にあって凍りそうになる頃”
という意味で、晩秋から初冬の頃に降りる露のことを「寒露」と呼ぶこともあり
ます。
露が冷気によって凍りそうになると、秋もいよいよ本番。山の木々の葉は、紅
葉の準備に入り、稲刈りも、そろそろ終わる時季です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「寒露」の時季を楽しむために〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○ずいき祭
北野天満宮の「ずいき祭」は、数ある京都の秋祭りの先陣を切って10月1日
から4日間にわたって行われます。「ずいき祭」の名称は、祭礼期間中、御旅所
に奉安されている「ずいき御輿」に由来していますが、その歴史は古く、このず
いき御輿を中心とした、西ノ京を始めとする氏子の祭りは、室町時代には行われ
ていました。この祭りに、明治時代になって神幸祭(神様が氏子区域を巡行する
祭)が取り入れられ、現在の形に整います。しかし、この神幸祭は、一度絶えて
しまったものを氏子の人々の手によって復興されたものです。
「ずいき」とは里芋の茎のことで、「ずいき祭」は五穀豊穣を祈願するお祭り
です。1日の神幸祭で神霊を移された鳳輦(ほうれん)が北野天満宮を出発し、
氏子地域を巡行し、西ノ京の御旅所へと出向きます。その御旅所では「ずいき神
輿」が座しています。
「ずいき神輿」の屋根は、ずいき芋、四隅の瓔珞(ようらく)は乾燥した金盞花
(きんせんか)、瓔珞の笠は赤なすびで、神輿の四面には謡曲や昔話を題材にた
人物が飾り付けられています。このように、全ての祭器に、野菜、乾物、海苔、
湯葉、麩、果物など、ありとあらゆる五穀が使われています。唯一金属で出来て
いるのは賀茂ナスをかたどった鈴ぐらいです。以前は八基ほどのずいき御輿があ
ったそうですが、今は田畑の都市化などによって、西ノ京の二基のみとなってい
ます。
4日、御旅所から北野天満宮へ向かうずいき神輿の行列が上七軒の街を通りま
す。氏子である舞妓さんや芸妓さんが、総出で御神輿をお迎えします。
行列と、ずいき神輿のルートは違いますが、見どころとしては、上七軒に15
時30分頃に行くと、どちらも見られることでしょうか。
[巡行日程]10月1日(日)神幸祭(しんこうさい)
4日(木)還幸祭(かんこうさい)
[場所]北野天満宮(上京区馬喰町)
●北野天満宮のホームページ
http://www.kitanotenmangu.or.jp/
§――3.(連載)『Many Stories of the Tea Ceremony』―――――――――§
第8話 天心茶会―2― 太田 達
今では工業都市のイメージの強いミラノであるが、やはり御多分にもれずイタ
リアの都市である。世界史の教科書に出てくる、317年ミラノ勅令の発布され
た教会(サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会)が、当時の柱をそのまま
残している。ダヴィンチの「最後の晩餐」も多くの人を集めている。
旧市街の中心、ドゥオーモ広場の南東、歩いて10分ほどのプラダ夫人(プラ
ダ会長)の私邸に茶席をしつらえることになった。やはり、VIPの家ということで、
十分な下見もできないまま、当日を迎えた。多くの部屋を有するマンションの一
室。といっても、6畳くらいの狭い部屋だった。我々が用意したものは、畳一畳
と岡倉(天心筆)の軸。
The simple life is Asia need fear no shaming from that sherp contrast
with Europe in which steam and electricity have placed it today.
岡倉の『東洋の思想』の一節であるが、日本的なシンプルでシャープな美意識
をもってヨーロッパに接すること、岡倉がボストンで行ったと同様、茶箱とひと
つの手燭をもって我々はヨーロッパと向き合った。十数名のイタリアの名士たち
に東洋の神秘は伝わったようだ。そのとき、プラダ夫人の姿は、100年前、ボ
ストンにおけるガードナー夫人と重なった。
(つづく)
§――4.(連載)『ニッポン城郭物語』―――――――――――――――――§
―第八幕―
梅原 和久
血天井。このおどろおどろしい言葉も、京都に詳しい人なら耳なじみがあるか
もしれない。文字通り、血染めの天井である。何の血か? 勿論、人の、である。
オカルトめいた話だが、一応城つながり、ということで今回はこの話。
舞台は伏見城。太閤秀吉が聚楽第を甥の関白秀次に譲り、隠居するために築い
た城である。(※1)秀吉の死後、遺児秀頼は大坂城に移り、この城に入ったの
は家康。時は慶長5年(1600年)、石田三成との対立を深めていた家康は、
会津の上杉攻めのために伏見城を発した。留守を守るのは老将鳥居元忠。家康不
在の隙をついて、石田軍約4万が城を包囲する。元忠奮戦するも、僅か千八百余
りの城兵ではとても守りきれず、ついに残った約300人が城内の長廊下で自刃。
廊下の床板はおびただしい血や脂で染まったという。(書いてて気持ち悪くなっ
てきた…)秀吉の築いた華麗な城も、このとき灰燼に帰した。これが関ヶ原合戦
の前哨戦とも言われる伏見城攻防戦である。
関ヶ原で勝利した家康は、元忠らを悼み、廊下の床板を外して供養することに
したが、その際、足で踏む床板にはできない、ということで天井板にして、京都
の寺院に分散して祀った。(※2)これが血天井の由来である。元忠らの遺骸は
関ヶ原の合戦が終わるまで約2ヶ月もの間、城内に放置されていたらしく、その
間、大量の血や脂が床板に染みこみ、どれだけ洗っても拭いても取れなかったら
しい。現在残っているものを見ても、くっきりと手形や足形が残っており、中に
は顔や鎧の跡、爪によるひっかき傷まである。
鑑定の結果、本当に人間の血液であることが実証された寺もあるようだが、こ
れらの話の真偽のほどは定かではない。ただ、実際に見てみると、400年前の
ものとは思えないほど余りにも生々しく、すさまじく、決して気分の良いもので
はない。城にまつわることなら何でも喜ぶ私でさえも。場所によっては、「ここ
が顔、これが鎧、こういう感じで倒れておられて…」と、まるで見てきたかのよ
うに解説してくれる寺もある。興味のある人は是非に。
(つづく)
(※1)「安土・桃山時代」という時代区分の印象が強いからか、「伏見桃山城」
という表記をよく目にするが、これは某鉄道会社が作ったテーマパークの名前。
そんな城は、昭和39年のキャッスルランド開園まで歴史上に存在しない。
(※2)有名なのは、以下の5ヶ寺。
【宝泉院】京都市左京区大原勝林院町
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_housenin
【正伝寺】京都市北区西賀茂北鎮守庵町
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_syoudenji
【源光庵】京都市北区鷹峯北鷹峯町47
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_genkouan
【養源院】京都市東山区三十三間堂廻町656
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_8571D9AE6CB8E8F549256DA60001EB9E
【興聖寺】宇治市宇治山田27-1
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/spot/sp_kousyouji
他に、妙心寺の塔頭天球院、八幡の神応寺にもあるというが、未確認。
なお、血天井は伏見城だけの専売特許ではない。岐阜の崇福寺、徳島の丈六寺、大
阪の大広寺などにもある。「天井にして供養する」という発想は、それほど奇抜な
ものではないようだ。
§――5.メンバー紹介―――――――――――――――――――――――――§
【連】のメンバーによる、自己紹介のコーナー。
16人目に登場するのは、井上えり子さんです。
京都居住歴12年、まだまだ京都初心者の井上えり子です。ただし、そのうちの
9年は上七軒で暮らしており(現在も)、3年ほど前、上七軒通りを歩いていて、
たまたま出会った濱崎さんとのご縁が続き、【連】の花街文化研究会に関わるよう
になりました。
京都女子大学に勤めており、建築学を専門としています。そのため「花街の建築
文化」をテーマとして調査・研究をおこなっています。
○O+編集後記+O○*****************************************************
これからの時季の楽しみと言えば、「紅葉(もみじ)」ですね。紅葉(もみじ)
の語源は、秋に赤や黄に変わる様子を昔「紅葉づ(もみづ)」といったことにもと
づきます。
「紅葉」は、300種もの園芸品種が江戸時代から作り出されています。楓(か
えで)と紅葉(もみじ)は植物分類上は同じですが、楓のなかでも特に紅葉の美し
い種類を「もみじ」と呼ぶ説があり、切れ込みの深い楓を紅葉(もみじ)といいま
す。英語ではカエデ、モミジとも「メープル」と呼ばれています。「紅葉」は妻恋
草、色見草などのほか、秋を運んでくる女神を竜田姫というところから竜田草の別
名もあります。
これからも、【連】では様々なイベントの開催予定や、日本の文化・歳時記など
について皆さんに、どんどんお伝えしていきます。
[次の発行は、10月15日(日)の予定です。次回も、お楽しみに!]
(治)
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