嵯峨野文化通信 第15号

☆★☆————伝統文化プロデュース【連】メールマガジン—————-
      〔嵯峨野文化通信〕 第15号 2006年9月15日
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 伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
 ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。

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 ○●○ もくじ ○●○

  1.【連】からのお知らせ
  2.京都をめぐる歳時記 〜秋分の章〜
  3.(連載)『新・都鄙の連関』 第7話
  4.(連載)『京都文化警察』 第7章
  5.メンバー紹介

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§――1.【連】からのお知らせ―――――――――――――――――――――§

○「宴会」のご案内

 7月より開講させていただいております〔嵯峨野学藝倶楽部〕の「サロン文化」
講座の実践編として、京都でももっとも古い花街「上七軒(かみひちけん)」にて、
<宴会>をさせていただく運びとなりました。
 秋の宵を、舞妓さん芸妓さんと三味線の音で、ゆったりと過ごしませんか。
 どうぞ、お誘いあわせの上、お気軽にご参加ください。

 日 時:平成18年10月3日(火)
     午後6時より(午後9時くらいまでを予定しています)
 場 所:上七軒「中里」
 会 費:3万円(食事付き)
 人 数:20名程度(先着順)

 申込み:メール(sagano@ren-produce.com)にて、住所・氏名・電話番号・人数
をお知らせください。

●〔嵯峨野学藝倶楽部〕のホームページ
http://www.ren-produce.com/sagano/

§――2.京都をめぐる歳時記 〜秋分の章〜 ――――――――――――――§

 二十四節気は、1年を24等分にし、その区切りに名前をつけたもので、現在で
も季節の節目節目に、これを示す言葉として使われています。

 9月23日〜10月7日は、二十四節季の一つ「秋分(しゅうぶん)」です。春
分と同様に、秋分では昼夜の長さがほぼ同じになります。『暦便覧』では「陰陽の
中分なれば也」と記されています。暑い日は減り、代わりに冷気を感ずる日が増え
るという意味です。

 この日は、国民の祝日「秋分の日」です。秋分の日は、国立天文台の算出する天
文学的秋分日を元にして閣議決定され、前年2月に官報で告示されます。天文学に
基づいて年ごとに決定される国家の祝日は世界的にみても珍しいそうです。また、
彼岸の中日でもあるんですよ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「秋分」の時季を楽しむために〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

○櫛祭(くしまつり)

 この行事は、女性の髪を美しく飾る櫛に感謝し、痛んでしまった櫛を供養するお
祭です。毎年9月の第四月曜日に行われます。午後1時からは櫛供養が、午後2時
からは舞妓さんをはじめとする女性達による時代風俗行列が祇園界隈を練り歩きま
す。古代から現代に至る各時代の髪型・衣装をまとった様子は華やかです。
(雨天の場合、巡行は中止)

 場 所:安井金比羅宮(東山区東大路通松原上ル)

§――3.(連載)『新・都鄙の連関』 第7話―――――――――――――――§

         ―青森・最果の天皇陵篇―    太田 達

 それがそこにあるー。青森県三戸戸来村にキリストの墓なるものが存在すると知
ったときと同様の衝撃であった。

 それがそこにある、とは、長慶天皇陵が津軽に存在する、ということであった。
このことは、大倭法主・矢追日聖氏の著述で知った。長慶天皇というのは、後醍醐
天皇の孫だっただろうか。とにかく、後村上天皇の次、南朝三代目の天皇である。
驚いたのには理由がある。私が長年暮らした嵐山に、現在その長慶天皇陵はあり、
毎日のようにその前を通っていたからだ。普段から身近にあったものが、そして、
二つとあってはならないものが、千二百キロも彼方の津軽にあるとは。しかも、大
抵は眉唾ものとされる先述のキリストの墓のごとく、『東日流外三郡誌』に代表さ
れるような正史の側からは到底容認しがたい伝説が、この地方には多く存在するの
だ。

 とはいえ、この偽書と烙印の押された『東日流外三郡誌』にある長髄彦(ながす
ねひこ)の墓なるものが津軽に存在するという記述は、単にゲテもの扱いできない
ような数々の根拠がある。松本清張の『砂の器』の出雲弁と津軽弁のトリック、古
代の鉄産地など、紀記を裏読みすると、類似点が多くあるのがわかる。また、古代
から中世にかけて、東奥の謎の港湾都市十三湊の盟主、安東氏の系図に注目してみ
ると、その始祖に安日彦という人物がいるが、彼は、神武東征に際し最大の抵抗を
し、敗れ、一族もろとも津軽・外ケ浜へと流された長髄彦の兄なのである。そして、
その子孫の高丸なる人物は、悪路王(アテルイ)と位置づけられ、『諏訪大明神絵
詞』においては、安倍氏とされている。この系図意識は、明治時代の華族秋田氏に
引き継がれたが、まったくもって特殊なものと言わざるをえない。大和朝廷に対立
する者としての意識である。

 前置きが長くなってしまったが、津軽とは何かが、少しわかっていただけただろ
うか。本題に戻ろう。
 津軽にあるという長慶天皇陵にたどり着くのは容易ではなかった。それは、津軽
富士・岩木山の南麓、相馬村にあるという。村の教育委員会に電話で問い合せ、レ
ンタカーのカーナビゲーションに登録してたどり着いたのは、小高い丘の上、りん
ご畑の真ん中であった。
 以下、次号感動の発見篇。
                                 (つづく)

§――4.(連載)『京都文化警察』 第7章――――――――――――――――§

 今回の京都文化警察では、京都の文化からは離れて、テーマになっている「伝統」
について。ちょっと人によっては意地の悪いと思われるかもしれない見方を紹介して
みます。

 欧米では「ジューン・ブライド」という言葉があります。6月に結婚したカップル
は幸せになれるという言い伝えです。日本では雨の多い6月でなく、秋が結婚に適し
た季節とされています。京都で結婚式に人気のスポットといえば、ホテルではなく神
社があります。たとえば下鴨神社は人気があって予約をとるのも大変だとか。

 さて、ホテルやチャペルでの結婚なんかより、神社で結婚の方が伝統的ですばらし
いと思っている人もいるかもしれません。神社でする結婚式を神道にのっとった日本
古来の伝統的な結婚だと見えますので。ところが、これは勘違い。知っている人にと
っては当たり前の話ですが、じつは神前結婚式というのは伝統というには新しいので
す。
 いま私たちが目にする神前結婚式の手本となるものができたのは明治になってから。
1900年の大正天皇の結婚式が最初です。そして、この大正天皇の結婚式も日本古
来の神道というわけではない。じつはキリスト教式の結婚式をまねたものです。

 こういう「伝統」に見えるものが、調べてみるとぜんぜん違ったということはよく
あることです。明治維新による急激な西洋化のせいだと思いきや、その欧米でもこう
いったことはよくあるのです。たとえば、スコットランドの男性の民族衣装はキルト
(スカートみたいなやつです)だと思っている人もいるかもしれません。でも、じつ
はあれも産業革命の後になってできた新商品だったりします。

 このように「伝統」と言われていたり、本人が信じているわりには、歴史を冷静に
見るとそれほどでも……という現象をアカデミックな領域では「創られた伝統(The
Invention of Tradition)」などと言います。悪く言えば、たいていの伝統は”捏造
”と言えなくもないわけです。つまり、伝統というもののほとんどは、人為的に作っ
てきたものです。でも、人為的だから悪いわけではないはず。なぜなら伝統がそうな
っている由来を知れば、状況に応じて変えていくことも、または変えないでおくこと
もできるからです。変えることがまったくできないのならば、残すことができなかっ
た変化に適応することができるかもしれない。じつはそうやって伝統というのは「伝
」わってきたとも言えます。(ちなみに英語で伝統は「tradition」と言います。もと
もとのラテン語の意味は「他人に託する」という意味です。)
                                 (魚上氷)

     ※京都文化警察では、みなさまからの告発を募集しています!
      ☆目撃情報は、こちらまで。→sagano@ren-produce.com☆

§――5.メンバー紹介―――――――――――――――――――――――――§

 【連】のメンバーによる、自己紹介のコーナー。
14人目に登場するのは、『ニッポン城郭物語』でお馴染みの梅原和久さんです。

 代表の濱崎氏と一緒にフィリピンへ行ったのが10数年前の学生時代。彼女が京
都に戻ってきて始めたイベントに参加してみたのが4年前。以来濱崎・太田両氏の
活動に自ら巻き込まれていき、【連】の設立以降は、職場関連・学生時代の友人な
どなど、ツテを総動員してスタッフをかき集める「【連】の採用担当」として活動
中。
 様々な分野・世代の人々が集う【連】は、私にとって格好の遊び場。日常生活で
はなかなか味わえない知的刺激もいっぱい。まだ参加したことのない方、一緒に「
巻き込まれ」てみませんか?

○O+編集後記+O○*****************************************************

 秋の代表花と言えば「秋桜(コスモス)」ですね。原産地はメキシコで、日本に
は、1876年頃にイタリアの芸術家が日本に持ち込んだのが最初と言われていま
す。渡来当時は「あきざくら」と呼ばれていました。「秋桜」の字は、主に秋に咲
き、花弁の形が桜に似ているところからの和名です。

 コスモスの語源は、ギリシャ語の「秩序」「飾り」「美しい」という意味の「Ko
smos, Cosmos」の言葉に由来します。このことから、星がきれいにそろう宇宙のこ
とを「cosmos」と呼び、また、花びらが整然と並ぶこの花も「cosmos」と呼ぶよう
になりました。

 これからも、【連】では様々なイベントの開催予定や、日本の文化・歳時記など
について皆さんに、どんどんお伝えしていきます。

   [次の発行は、10月1日(日)の予定です。次回も、お楽しみに!]
                                  (治)
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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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