☆★☆————伝統文化プロデュース【連】メールマガジン—————-
〔嵯峨野文化通信〕 第13号 2006年8月15日
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伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。
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○●○ もくじ ○●○
1.【連】からのお知らせ
2.京都をめぐる歳時記 〜処暑の章〜
3.(連載)『新・都鄙の連関』 第6話
4.(連載)『京都文化警察』 第6章
5.メンバー紹介
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§――1.【連】からのお知らせ―――――――――――――――――――――§
○4月に開講した〔嵯峨野学藝倶楽部〕では、現在、4講座が好評開講中です。各
講座の10月以降の日程については、〔嵯峨野学藝倶楽部〕のホームページをご覧
ください。
【連】が主催する〔嵯峨野学藝倶楽部〕は、日本の伝統文化を気軽に楽しく体験
すると同時に、より深く学ぶことができる場として様々な講座を開講しています。
●〔嵯峨野学藝倶楽部〕のホームページ
http://www.ren-produce.com/sagano/
○【連】コーディネイトによる茶会が青森で行われます。国際芸術センター青森で
開かれる染織アーティスト・辻けい氏の展覧会<あか から あか へ>のオープ
ニングレセプションの一環として、辻氏の作品が並ぶ中でお茶を点てます。満月の
夜を、アートとお茶で楽しみませんか。詳細は未定です。
興味のある方は[info@ren-produce.com 担当:濱崎]まで、お問い合わせくだ
さい。
[日 程]2006年9月9日(土)夜
[場 所]国際芸術センター青森(青森市合子沢字山崎152-6)
TEL:017−764−5200
[URL]http://www.acac-aomori.jp
§――2.京都をめぐる歳時記 〜処暑の章〜 ――――――――――――――§
8月23日〜9月7日は、太陰暦を使用していた時代に、季節を現すための工夫
として考え出された二十四節季のひとつ「処暑(しょしょ)」です。
「処暑」は暑さが止むと言う意味です。「処暑」の「処」の字には「とまる」や
「とどまる」という意味があるそうです。実際にも、そろそろ涼風が吹き始める気
配がおとずれ、暑さもなんとなくおさまる頃です。綿の花が咲き、稲が実りはじめ
収穫も間近といった時季で、江戸時代の『暦便覧』には「陽気とどまりて、初めて
退きやまんとすればなり」と記されています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜「処暑」の時季を楽しむために〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
○化野念仏寺千灯供養
境内にまつる八千体を数える石仏・石塔は、往古あだし野一帯に葬られた人々の
お墓です。何百年という歳月を経て無縁仏と化し、あだし野の山野に散乱埋没して
いた石仏を明治中期、地元の人々の協力を得て集め、釈尊宝塔説法を聴く人々にな
ぞらえ配列案祀されています。この無縁仏の霊にローソクをお供えする千灯供養は、
地蔵盆の夕刻よりおこなわれ、光と闇と石仏が織りなす光景は浄土具現の感があり、
多くの参詣があります。
石仏や石塔が肩をよせ合う姿は、空也上人の地蔵和讃に「これはこの世の事なら
ず死出の山路のすそのなるさいの河原の物語・・・みどり児が河原の石をとりあつ
めこれにて廻向の塔をつむ一重つんでは父の為二重つんでは母の為・・・」とある
ように、嬰児が一つ二つと石を積み上げた河原の有様を想わせる事から「さいの河
原」といい、あだし野は「化野」と記します。「あだし」とは、はかない、むなし
いの意味です。また「化」の字は「生」が化して「死」となり、この世に再び生ま
れ変わる事や、極楽浄土に往生する願いなどを意図しています。この地は古来より
葬送の地で、初めは風葬でしたが、後生土葬となり人々が石仏を奉り、永遠の別離
を悲しんだ所です。
竹林と多聞塀を背景に、芦屋根の小さなお堂は、この世の光はもとより母親の顔
すら見る事もなく露と消えた「水子」の霊を供養する、水子地蔵尊で、毎月お地蔵
様の縁日には、本堂に水子地蔵尊画像をおまつりしています。子供の無事生長、安
産を祈り、また心ならずも水子を葬った人々のお参りがあります。
[日 時]8月23日(水)・24日(木)
午後5時30分〜8時30分(受付終了)
[入山料](行事協力費)1,000円
[場 所]化野念仏寺(右京区嵯峨鳥居本化野町17)
TEL:075(861)2221
§――3.(連載)『新・都鄙の連関』 第6話―――――――――――――――§
―下関篇2― 太田 達
長門一宮住吉社の摂社の一つに、中山社がある。普通、摂社は、境内にある場合
が多いのであるが、中山社は本社から離れた日本海側の砂浜の松原の中に靖国風の
鳥居と立派な社殿があり、独自の社務所などももつ。明治7年の創始であるから靖
国風もしかりである。中山忠光をその祭神としている。
中山忠光といってもピンとこないかもしないが、明治天皇の外祖父・中山忠能の
七男である。後に、長兄・忠愛の養子となっているので、忠能が特にかわいがって
いたのかもしれない忠光は、生来奔放な性格であったようだ。文久3年(1863
)19歳で官位を返上し、長州藩下関の外国船砲撃に尊攘派の旗頭として参加、ま
た、天誅組の挙兵に際しても、真木和泉、吉村寅太郎らとともにその先鋒を務めた。
十津川で敗れた後、再度長州入りし、翌元治元年11月、下関の中山社近くで20
歳の若さで暗殺された。彼が初めて下関入りした文久3年3月から刺殺される元治
元年11月15日まで、およそ20ヶ月ほどだが、その間、京都、大和、大阪など
動きまわっていたので、実質下関に居たと考えられるのは2ヶ月ほどであろうか。
後の、明治の長州藩閥政治、また、後の岸信介、佐藤栄作など、日本国の権力の頂
点に長州人が立つ道筋に、忠光は大きな影響を与えたのではないか。また、現在で
も、安倍晋三が宰相候補としてその名が確固となりつつある時、まさに中山忠光の
奔放な行動が、未来を決定づける因子として、京都からこの下関に委嘱されたよう
に思えてならない。忠光という、明治帝につながる高位の公家がこの地でたおれた
ことは、その後の長州人の中央指向を決定づけたともいえようか。
今回は、この中山忠光という若者をして京の都と下関を結ぶ都鄙の連関因子とし
たが、実は、もっと大きなものがこの地にはある。中山社本殿の左手に、小さな祠
が祀られている。愛新覚羅社である。ラストエンペラー清朝の宣統帝・溥儀および
その弟・溥傑(彼の妻・嵯峨浩は中山家の子女)とその一族が神として祀られてい
る。清朝太祖ヌルハチの頃につくられた伝説と言われるが、アイシン(Aisin)は金、
カクラ(Gioro)は姓という意味で、満州族の始祖で天女の子と言われるブクリヨンシ
ョンが、アイシンギョロと名乗ったらしい。アイシン=金は、中国の金王朝に連な
っている。下関は、中山忠光を通して、大中華帝国の中心たる紫禁城へとつながっ
てしまった。
(了)
§――4.(連載)『京都文化警察』 第6章――――――――――――――――§
水谷 俊博
『京都文化警察』というお題を頂いた。「文化警察」というからには京都の文化
について何か探さねばということを思い巡らせてみる。しかし、「文化警察」とい
う単語を聞いて連想したのがトリュフォーの『華氏451』の消防警察(だったか
な? 正確な名称は覚えてないのだけど)。徹底した思想管理体制のもと、本を読
むことを禁止された近未来が時代設定で、主人公の男は消防警察に勤務している。
従来は火を消すことが仕事であるべき消防士がその時代では本に火をつけて処理す
ることが仕事というブラックで面白いシナリオなんだけど。。。。。って、このま
まだとはなしが全然ずれていってしまう〜。と、まあそんな近未来消防警察のよう
な堅苦しい文化に対する見解とは全く正反対の視点で京都の文化の一旦をおはなし
させてもらえればと思う。
京都は実は(みなさんのほうがよく知ってるかもしれないが)数多くのロックバ
ンドをうみだしている土地でもある。あまり古くまでは遡らないが、もはや伝説と
なってしまった、「どんと」が率いていたボ・ガンボスを初めとして、メジャーな
ところでは「くるり」やその他「FPM(ファンタスティック・プラスティック・
マシーン)」「MONDO GROSSO」「キセル」やヴォーカリストの「BIRD」など挙げて
いくときりがないか(もちろんもっとたくさんの素晴らしいバンドが入ると思いま
すが独断と偏見で以上を挙げさせていただいた)。京都がロックバンドをうみだし
た背景には音楽をやる地盤というか場所というものがたくさんあり、それらの場所
や空間が支えているものが多いのではないかと思う。京都大学西部講堂、クラブメ
トロ、磔磔(読めますか? たくたくといいます)、拾得(これも読めますか?
じっとくといいます)、等など。京都市内には大小様々な歴史のある小劇場やライ
ブハウスが点在しているというところが面白い。
先日、このうちのひとつ拾得へ行ってきた。僕の敬愛する上田現というアーチス
トのライブがあったからだ。拾得。もう10年ぶりになるだろう。懐かしい気持ち
とともにその場に足を踏み入れた。僕は学生時代、音楽のサークルに入っていてこ
の拾得にも何度か来た。残念ながら僕達のバンドはそれほど上手じゃなかったので
拾得で演奏させて頂くチャンスは巡ってこなかったのだが、先輩達のバンドの応援
なんかに行ったものだ。
拾得は、その外観からみて取れるように、昔の蔵をそのまま使ったライブハウス
になっている。内部空間も蔵の姿をそのまま保存したかたちで運営されている。蔵
なので音響的には遮音性が高くて機能的にいいのだろう。入口を入るとちゃぶ台の
ようなもぎり空間があって、蔵の中の客席空間へとつながる。客席には座敷もあり、
のんびりとというか、少し怪しげな感じもしながら蔵の中で夜毎行われるライブを
楽しめることができる。
それにしてもこのライブハウス、「何で「拾得」なんだろう?」。オーナーに直
接おはなしを聞いた訳ではないが、やはり『寒山拾得』からなのだろうか。実際、
ライブハウスの客席の壁には拾得と思われる絵がかけてあったりする。
寒山拾得。森鴎外の『寒山拾得』が有名なところかもしれないが、水墨画のモチ
ーフとして用いられており、そっちの方で見た人も多いだろう。榊莫山氏も『寒山
拾得』の水墨画を描いている。寒山拾得とはいうが、寒山と拾得という二人のこと
であり、寒山と拾得は中国・唐時代の伝説的な僧だった。生歿年不詳。はなしをふ
っておいて何なんだが僕も詳しいことは知らない。数々の逸話が残されているが、
いわゆる一般常識という世界からはまったく正反対の世界にいた人たちであったと
いわれている。いつもボロボロの衣をまとい、一日中、楽器を奏で唄を唄って過ご
していたといわれている。この一日中というところがしびれる。
唐の時代であれなんであれ、大の大人がず〜っと、唄いながら生き続けるという
ことは壮絶な凄さを感じる。今の芸術家やアーチスト達も作品や曲をつくりながら
も、営業もせねばならぬし、その他諸々の雑用もせねばなるまい。どちらかといえ
ば、そっちのほうに時間が割かれてしまうというのが世の常だ。
上田現氏は言う。「何をするにでも"属性"という概念にぶつかる。いわゆるアー
スウインドファイヤーのどれかに人は属するという考え方だ。自分が何に属する人
間であるかなんて、現実世界では本当はそう簡単にわからない。そう、そんな簡単
に人は出来ていない。でも人間が作る作品は在る種の方向性を持っている、それは
何となくわかる。火のような作品、風のような作品、陰と陽を巡る作品。。。etc.」
この「属性」という概念なども無関係に突っ走っていたのが、寒山拾得先生達な
のだろう。上田氏は「そんな大人を目指す」と言っていたが、僕はどうかなと考え
る。『華氏451』の主人公はラストシーンで本の人の森にたどり着き、エドガー
・ランポーの伝承者(人間図書館)となる。ある属性から逃れた結果、ある属性に
属したのだ。
拾得は大宮下立売に位置する。この場所、市内の真ん中に位置しながら、なんと
もいえないほど何もない不思議な場所だ。交通の便もよくなく、車もそんなに通っ
ていない。いわば京都の中で「不属性」な場所なのかもしれない。
この「不属性」の場所で自分の「属性」について考えてみる。そんな場所が京都
にはたくさんあるかもしれない。僕はアースウインドファイヤーのどれかに属して
いるのだろうか。そんな思いを馳せながら京都のライブハウスを巡ってみるのも悪
くない。
※京都文化警察では、みなさまからの告発を募集しています!
☆目撃情報は、こちらまで。→sagano@ren-produce.com☆
§――5.メンバー紹介―――――――――――――――――――――――――§
【連】のメンバーによる、自己紹介のコーナー。
13人目に登場するのは、村上園江さんです。
ちょっとした御縁で今様にかかわって十年余になります。
【連】の始めが、無職になった時と重なったので「面白そう」と手伝わせていただ
きました。もともと歌舞伎・狂言などを観るのが大好き。それに加えて「なに!
それ?」という好奇心の強さ。
これから、どんな展開になっていくのだろうと興味しんしんです。
○O+編集後記+O○*****************************************************
「雷(かみなり)」は、「神鳴り」が語源だそうです。つまり天の神が鳴らす音
が語源で、神の怒りの声だという説もあります。「雷」と呼ばれるのは、中世以降
に広く使われるようになった語で、それ以前は「なるかみ」や「いかづち」のこと
ばが一般的でした。
皆様御身ご自愛の程、素敵な夏をお過ごし下さいね。
これからも、【連】では様々なイベントの開催予定や、日本の文化・歳時記など
について皆さんに、どんどんお伝えしていきます。
[次の発行は、9月1日(金)の予定です。次回も、お楽しみに!]
(治)
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