袖に降る・・・
夏、秋と来たので、そのまま冬の歌に参ります。『古今和歌集』をはじめとする平安以降の王朝和歌は、冬の歌は比較的少なく、『万葉集』巻十もそれは例外ではありません。冬の寒さから来る実感よりも、冬の景物を詠み込んだ歌が多いというのが、ここの特徴でしょうか。
我が袖に霰たばしる巻き隠し消たずてあらむ妹が見むため(巻十・冬雑歌・2312)
我が袖にあられがぱちぱち降ってくる。それを袖に巻きこんで溶かさないようにしよう。
妻にみせるために。
冬の歌の巻頭歌です。この歌を含む4首の歌が柿本人麻呂の歌集にある歌だと説明されます。人麻呂は、『万葉集』を代表する歌人ですね。ただ、歌集にあるとはいうものの、人麻呂の歌だとは書いていないのも、ちょっと注意したいところ。注釈書の中には、これは人麻呂っぽいとか、いやいや人麻呂っぽくないとか書かれているので、気になる人は調べてみてくださいね。
寒空の下、霰が降ってきたのですね。衣の袖にパチパチと降り注ぎます。霰を手のひらで受けずに、袖で受けているところが風流です。その理由を、「溶かさないようにしてるのさ。帰って妻に見せるためにね」といっています。なんと雅な人でしょう。
霰に降られたことのある人なら、「我が袖に霰たばしる」と聞くと、パチパチと袖にはねる霰の姿が目に浮かぶことでしょう。なんとも素直な表現ですが、それを「包んで消えないようにしよう」というみやびな取りなしで一首にしたてあげているのです。惹かれますねえ。
雪を詠みき
我が袖に降りつる雪も流れ行きて妹が手本にい行き触れぬか(巻十・冬雑歌・2320)
我が袖にちらついた雪が、ふぅーと流れていって妻の袂に触れてくれないかなあ。
次は少しむつかしいかも知れません。自分の袖にチラチラと降ってきた雪をみて、あっと思います。この雪は自分の元に降ってきたが、空を流れていって、愛する妻の袂へもいってくれないだろうか・・・。と思うのです。雪が袖にちらちらと降りかかる、この眼前の景を、愛する妻と共有したい。こういう思いが読み取れます。
雪や霰が袖にふりかかるという小さな視点の出来事をも、愛する人と共有したいという思い。これは先ほどの2312番にも通じるものですね。さらに、こっちの2320番歌では、「妹が手本(たもと)」とのつながりを希求します。雪を媒介として、妻の手元に行き着きたいというのは、共寝したいという気持ちを示しているのでしょう。人肌が恋しい寒さとは言いますが、降りかかる雪にそんな思いを託そうとする万葉人って、なかなか心憎くありませんか。
梅は、雪の白梅
『古今集』の雪の歌といえば、降る雪と梅が紛れるという趣向が代表的です。これは漢籍由来の表現であり、『古今集』の代表的な表現である「見立て」というものにもつながっていきます。雪を梅の花とみるのは平安のみやびとの発想と思いきや、実は『万葉集』にもあるのです。
花を詠みき
誰が園の梅の花そもひさかたの清き月夜にここだ散り来る(巻十・冬雑歌・2325)
どこの家の園の梅の花かねえ。(ひさかたの)月光の清らかな夜にこんなにたくさん降ってくる。
空から降り来る雪を梅とよそえて、どこの家から散ってきたのだろうかと言いなすのです。梅は舶来の木ですから、桜と違って、野山ではなく人の屋敷に植わっています。なので、どこの家の園からきたのだろう、というのですね。
月の光に照らされる雪の白さを、梅の花とみる。ここの梅は白梅であることが分かります。歌道をやっている身からすると、馥郁たる香りが袖につくものというイメージがあるのですが、梅の香りが和歌の世界に全面にあらわれるのは、実は『古今集』から。『万葉集』ではあくまでも視覚の美なのですね。
ちょうど、「令和」出典となった宴の歌も、梅花の宴でしたね。「令和」の話はいつすんねん、とお待ちかねの方がいらっしゃるかもしれませんので、すこしだけ。出典前後の序を書き下して引用しましょう。
天平二年正月十三日、帥老(そちろう)の宅(いへ)に萃(あつ)まり、宴会を申(の)ぶ。
時に、初春の令月、気淑(うるはし)く風和(やはら)ぐ。梅は鏡前の粉に披(ひら)き、
蘭は珮後(はいご)の香に薫る。(巻五・815~846の序)
天平二(730)年正月十三日、太宰帥であるわたくし(大伴旅人)の家に集まって、宴会を開く。
あたかも初春のよき月、気は麗らかにして風は穏やかだ。梅は鏡台の前の白粉(おしろい)の
ような色に開き蘭草(フジバカマ)は腰に付ける匂袋のあとにただよう香りに薫っている。
(※訓読、解釈は『岩波文庫』によった。下線は引用者。)
『万葉集』編纂にかかわった人物として知られる大伴家持のお父さん、旅人の屋敷で行われた梅花の宴です。やはり、ここの梅も、屋敷に植わっていますね。さらに、梅の様子を表現したのが「梅は鏡前の粉に披(ひら)き」という部分。解釈でも示したとおり、梅の花が、お化粧に使う白粉(おしろい)に例えられています。漢籍の匂いがプンプンする比喩です。まあ、漢文なのでそりゃそうなのですが・・・笑。ともかく、ここでも白梅なんですね。この歌群と「令和」については、関西大の村田右富美先生がわかりやすく、勉強になる本を出されているので、そちらをごらんください(いろんなスタンスのいろんな本が出ていますが、「令和」と『万葉集』では、私はこの本がおすすめです)。
以上、冬の歌をご紹介しました。雪も、梅も、目に見えるものを歌にするというのがここの特徴のようです。何かをカタチにするという点では、お菓子作りと似ているかもしれません。
【参考文献】
小島憲之ほか『新編日本古典文学全集 万葉集(3)』小学館1994年
伊藤博『萬葉集釋注 五』集英社1996年
久保田淳ほか編『歌ことば歌枕大辞典』角川書店1999年
中川正美「万葉集から古今集へ―梅花の表現―」藤岡忠美先生喜寿記念論文集刊行会編『古代中世和歌文学の研究』和泉書院2003年
佐竹昭広ほか『万葉集(二)』岩波文庫2013年
佐竹昭広ほか『万葉集(三)』岩波文庫2014年
小田勝『実例詳解古典文法総覧』和泉書院2015年
村田右富美『令和と万葉集』西日本出版社2019年
『和歌文学大事典』日本文学web図書館
※万葉集本文は原則訓み下し文とし、佐竹昭広ほか『万葉集(一)~(五)』岩波文庫2013年~2015年を用いました。
御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M2)