秋の七夕
七夕って、7月の行事なんだから、夏なんじゃないの?と思われる方がいらっしゃるかも知れませんが、昔の暦で7月(文月といいます)は、秋になるんですね。暦の上での夏は4月から6月、秋は7月から9月になります。
七夕は、天の川に分断された、織り姫と彦星の二つの星が一年に一度だけ会える日なのですよね。この伝説は、中国大陸からもたらされたもので、飛鳥時代には日本の宮中に浸透していました。また、「棚機(たなばた)」という名称は、中国のものとは別の日本古来の伝承に基づくとされています。七夕は、中国伝来の文化と日本古来の伝承などがあいまった、典型的な伝統文化といってよいでしょう。
ちなみに、中国大陸からは同時に、技芸の上達を祈る行事も流入しました。乞巧奠(きっこうてん・きこうでん)というものです。これも、平安時代には七夕の行事として定着していました。現代の乞巧奠といえば、京にのこる和歌の家、冷泉家が毎年家の行事で行っているのが有名ですね。今年は、京都の府民ホールアルティで一般公開されました。一般公開は五年ぶりだそうです。実は今年、私も歌人として出演させてもらいました。
さて、『万葉集』巻十で注目されるのは、この七夕の歌です。秋雑歌冒頭には、なんと98首もの七夕の歌がずらーっと並べられています。これは、夏雑歌・夏相聞をあわせた数(58首)よりも多いのです。
ここの七夕歌は、いろいろなおもしろい問題をもっているのですが、今回は、七夕をどのように詠んだかという視点で見ていきましょう。
河を渡るのは女?男?
七夕は中国大陸から渡ってきたと述べたとおり、漢籍にも七夕の作品が多く見られます。漢籍の例として、『芸文類聚(げいもんるいじゅう)』という書物に引用された文章を掲げます。これは「類書(るいしょ)」というもので、ある事柄に関する漢籍の詩文を集めたとってもべんりな書物です。日本の知識人は、原典だけでなく、こういう本で効率的に漢文を覚えていたと言われています。この『芸文類聚』という本は、平安時代初期にすでに宮中にあったと記録されており、はやくに日本に流入していたとされます。
續齊諧記曰.桂陽城武丁.有仙道.謂其弟曰.七月七日.織女當渡河.諸仙悉還宮.弟問曰.織女何事渡河.
答曰.織女暫詣牽牛.世人至今云織女嫁牽牛也.
(下線は引用者。引用は「中央研究院(台湾)漢籍電子文獻 瀚典全文檢索系統 2.0 版」による。8月15日確認
(http://hanji.sinica.edu.tw/))
『續齊諧記(ぞくせいかいき)』とは、5世紀から6世紀にかけての人によって書かれたとされる中国の古小説で、不思議な話をまとめたものです。内容はつぎのようになります。
桂陽というところに城武丁という仙人がいた。弟に、「7月7日は、織女が川を渡るにあたって、仙人は宮にこもるから帰らないと。」といい、弟は「なんで織女が川を渡るの?」ときくと、「しばらく牽牛のところへいくのさ」という。世間では今では織女は牽牛に嫁いだのだという。
ここで注目したいのは、漢籍の世界で天の川を渡るのは織女。すなわち女性が男のところへ向かうという点です。
あれ?でも皆さんが知っている七夕伝説はどうですか?彦星が織姫のところに通ってくるものではありませんでしたか?そう、ここが日本文学と漢籍との大きな違いになります。では『万葉集』は?
天の川水さへに照る舟泊てて舟なる人は妹に見えきや(巻十・秋雑歌・1996)
(舟影のうつる)天の川の水面までも照り輝く(きらびやかな)舟を岸にとめて、舟に乗ってた人は妻とあえただろうか。
『万葉集』巻十秋雑歌巻頭の歌ですが、男が通うことになっていますね。『万葉集』では、このように、男が通う歌がたくさん見られます。日本の通い婚をベースとして、男が河を渡る歌になっているのでしょう。
この歌のおもしろいところは舟です。キンキラキンなの、わかりますか笑。「天の川水さへに照る舟」とは、水面にうつっている像が、舟のキンキラキンで、水面も輝いてるってことなんです。どれだけ豪華な舟だったのでしょうね。
待つ女の側からの歌もあります。これも日本バージョンですね。
我が背子にうら恋ひ居れば天の川夜船漕ぐなる梶の音聞こゆ(巻十・秋雑歌・2015)
あなたを恋しがっていると、天の川、夜舟を漕いでいるらしい梶の音がきこえてくる!
秋の河を渡る
では、通う彦星の歌から、私の好きな歌をご紹介します。
この夕降り来る雨は彦星のはや漕ぐ船の櫂の散りかも(巻十・秋雑歌・2052)
この夕べに降り来る雨は、彦星が急いで漕ぐ船の櫂(パドル)の水しぶきかなあ
せっかくの七夕の夕べなのに、あいにくの雨。そんな雨を、彦星が漕いでいるパドルの水しぶきなんだよ、と言いなすところが、なんとも心憎いですね。
また、七夕は秋の始まり。こんな美しい歌もあります。
天の川霧立ち上る織女(たなばた)の雲の衣の反る袖かも(巻十・秋雑歌・2063)
天の川に霧が立ち上る。これは織り姫の着ている雲の翻る袖なのかな
織姫の着る雲の衣は、次の歌にも見えます。
秋風の吹き漂はす白雲は織女の天つ領巾かも(巻十・秋雑歌・2041)
秋風が吹いて漂わせる白雲は織姫の着る領巾(乙姫さんや天女さん、天平美女が肩から掛けてはる薄い布)なのかなあ
織姫は雲の衣を着ているというのは、漢籍の表現といわれています。日本のシチュエーションといえど、やはり、漢文世界の表現をとりいれて美しい歌を作ってもいるのですね。
後世の七夕の和歌
ここでは、男が舟で河を渡る和歌を紹介してきました。巻十の七夕歌のほとんどは、舟で渡っていることがわかります。でも、七夕伝説を知っている方は、舟ではない手段もあるのでは?と思われたかも知れません。有名なのは鵲の橋ですね。鵲の橋は漢籍には見えるのですが、実は『万葉集』にはみえません。平安時代以降の和歌にあらわれます。
また、私は冷泉家で七夕(冷泉流ではしっせきといいます)の和歌の講義を受けたときには、彦星さんが天川を渡るときは、月の舟にのって来はります、と教わりました。これも実は平安後期からの表現で、『万葉集』にはありません。『万葉集』の歌に「月の舟」は出てくるのですが、彦星が乗っているという歌はありません。お菓子にするときは要注意です!
【参考文献】
吉川栄治「平安朝七夕考説」(和漢比較文学会『中古文学と漢文学Ⅰ』汲古書院1986年)
小島憲之ほか『新編日本古典文学全集 万葉集(3)』小学館1994年
伊藤博『萬葉集釋注 五』集英社1996年
久保田淳ほか編『歌ことば歌枕大辞典』角川書店1999年
先坊幸子「中国古小説訳注―『續齊諧記』」『中國中世文學研究 (59)』2011年
佐竹昭広ほか『万葉集(三)』岩波文庫2014年
小田勝『実例詳解古典文法総覧』和泉書院2015年
『和歌文学大事典』日本文学web図書館
※万葉集本文は原則訓み下し文とし、佐竹昭広ほか『万葉集(一)~(五)』岩波文庫2013年~2015年を用いました。
御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M2)