『手のひらの自然 京菓子展 2018』源氏物語から考える ③交錯する女達とそのイメージ―帚木三帖の恋―その弐、雨夜の品定め

源氏物語は、いくつものハードルがあり、ここ、「帚木」巻もその一つです。なぜかというと、急に理屈っぽい話が延々と続くからです・・・(笑)。私もここを読むのにとても苦労しました・・・。

 

その最たるものが、今回お話しする「雨夜の品定め」の場面です。ここをとりあげるかとても迷ったのですが、大事なことも書いてあるので、ご一緒に読んでみましょう。

 

季節は五月雨のころ、宮中の物忌みにより、宿直していた源氏のもとに、頭中将という方がやってきて仲良くお話されます。光源氏は「桐壺」巻で、元服と共に、葵の上という方と結婚されますが、頭中将は葵の上のお兄さん。源氏の義理の兄にあたります。『源氏物語』前半では光源氏の親友として登場します。頭中将はなにやら、御厨子にしまってある源氏の恋文が気になるようです。

 

近き御厨子(みづし)なるいろいろの紙なる文どもを引きいでて、中将わりなくゆかしがれば、「さりぬべき少しは見せむ、かたはなるべきもこそ」と、許したまはねば、「そのうちとけて、かたはらいたしとおぼされむこそゆかしけれ。おしなべたるおほかたのは、数ならねど、ほどほどにつけて、書きかはしつつも見はべりなむ。おのがじし恨めしきをりをり、待ち顔ならむ夕暮れなどのこそ、見どころはあらめ」と怨ずれば、やむごとなくせちに隠したまふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨(みづし)子などに、うちおき散らしたまふべくもあらず、深くとり置きたまふべかめれば、二の町の心やすきなるべし

 

頭中将はあながちにも手紙を見たがるので、源氏は「ちょっとまって、見られてもいいものをより分けるから」といいます。すると頭中将は「いやあ、その見られちゃならないものをみたいんだよねえ。普通の恋文なんて自分のをみりゃあいい。光源氏に本気にさせられた女の、本気の恋文がみたいんだよ」なんていいます。

 

前回も見たように、世間体についての用心深さは人一倍だった光源氏ですから、ホントにヤバい手紙なんてものはこんなところにいれているはずはなく、どこかに隠しているのです、と語り手もいいます。ここの手紙はなんやかんや言いながら、二流の相手からの手紙なんですね。だから見せちゃう。(笑)

 

ここでは様々な女とのやりとりを見せることで、光源氏のプレイボーイ像がふくらむようになっています。

 

ファーストフード店にいると、高校生男子たちが友達と気になる女の子とのラインを見せ合っており、うるさいということがたまにありますが(ないですか?)、まあ、このくらいの年頃の男の子はいつの時代もかわらないのかも知れません。

 

さて、それじゃあ、君の恋文も見せてよ、と源氏が言うと、頭中将は、いやいや、そんな源氏の君のごらんに入れるような手紙なんかあらしまへん、といなしつつ、まあそこそこ恋愛はしていますが、そろそろ女というものが見えてきました、と、女の話をし始めます。

 

「女の、これはしもと難つくまじきはかたくもあるかな、とやうやうなむ見たまへ知る。ただうはべばかりのなさけに手走り書き、をりふしのいらへ心得てうちしなどばかりは、随分(ずいぶん)によろしきも多かりと見たまふれど、そもまことにそのかたを取りいでむ選びに、かならず漏るまじきは、いとかたしや。(略)人の品高く生まれぬれば、人にもてかしづかれて隠るること多く、自然(じねん)にそのけはひこよなかるべし、中の品になむ、人の心々、おのがじしのたてたるおもむきも見えて、わかるべきことかたがた多かるべき。下のきざみと言ふきはになれば、ことに耳たたずかし」

 

だいぶ略しましたが、つまり、女は欠点を男側から見えなくすることがあり、本当の姿を知ることは難しい。高貴な生まれの人はとくに教育によってそのような部分が塗り込まれて隠される。むしろ中流くらいの女のほうがその人本来の姿が見えるのだ、といいます。

 

当時の男性は恋愛に発展するような女性と接する機会は、ほとんど無かったので、様々な女の噂を手がかりに恋をしていました。中には女の家やその女房が、家の姫君を売り込むためのものだったり、当時の恋愛はさまざまな思惑のしくまれたものであったことが想像できます。完璧な女性なんていないけれど、やっぱり期待してしまう。実際にあってみたらがっかり。なんてことが当時の公達には多かったのかも知れませんね。

 

さて、そこに、左馬頭という人と、藤式部丞と言う人がやって来ました。左馬頭は恋愛経験豊富な人です。役者がそろったところで雨夜の品定めがはじまります。それは王朝の貴族男性達による女論でした。

 

左馬頭の話は、長いのでここでは引用しませんが、おもしろい話をかいつまんでまとめてみます。(私はこう読んだのですが、皆さんはどうでしょうか)

 

・結婚するにふさわしい女とは?

①お姫様過ぎる人→とても惹かれるが、だまされるぞ

②実務にたけた女(当時も、妻の仕事はけっこう大変でした)→風情のある話をして、共感して欲しいときにも、話が通じないぞ

③可愛いだけの人→いざというときに困る

結論:まあ、日常的に好感を持てない女のほうが、惚れなおすことがあるよ

 

なんというか、現代でも言う人がいそうな言説ですね・・・(笑)

 

また、女の失敗エピソードもあります。

 

とても尽くしてくれ、自分のためには努力をおしまない女がいました。しかし彼女は嫉妬深いという欠点がとても目立ちました。左馬頭は、女が自分に従順なので、嫉妬深さを懲らしめてやろうと、「そこまで嫉妬深いなら別れよう」といいます。左馬頭はこれを期に女は反省するとおもいきや、女は「あなたが偉くなると思ってここまで支えてきましたけど、偉そうに言う割には出世しないし、ちょうどいいタイミングかもね」とせせら笑いながら言ってきました。左馬頭は激怒し、女も言い返し、ついには女に指をかまれてしまいました。(それでこの女を、源氏読者は指食い女といいました)

 

こういう男は、支配下にあると思い込んでいる女に、こんな本当のこと(笑)を言われるとめちゃくちゃ感情的になるんですよね・・・平成の時代にもこんな男はまだ生き残っているので気をつけてくださいね・・・。

 

さて、そんな女論ですが、男の妻になる女の極意というのも語られます。ここでは引用しませんが、内容だけまとめておきます。(ここらへん、人生経験豊富な読者の皆さんに解釈をお聞きしたいところです。)

 

・妻の極意

少々のこと(まあ、浮気は全部ひどいけど)でキレないこと。

→でも、男の隠し事は全部分かっているぞ、ということは分からせておくこと。甘すぎると夫は自分を軽んじはじめる。

 

若い男が何を偉そうに・・・と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、これを読むとき、作者紫式部という女性が、物語の男の口をつかって書いているということに、私は思い至らずにはいられません。女としてこの時代を生きるということは、どういうことだったのでしょうか。ここには、男に従順でいろとは書かれていません。抑圧された社会では自由にふるまうことはできない。しかし、本当はすべてお見通しであるという、強さと賢さをもって生きなさいという、千年前の知性にあふれた女性からのメッセージだと読み取りたくなります。

 

ここまでの話をふまえて、光源氏の恋の物語が遂に始動します。

 

※源氏物語本文は日本文学web図書館 平安文学ライブラリーの本文を用いました。

御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M1)

多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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