嵯峨野文化通信 第170号

伝統文化プロデュース【連】メールマガジン   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)________

  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)   [嵯峨野文化通信] 第170号
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 伝統文化プロデュース【連】は
 日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識について
 遊びながら学び、広めていく活動をしている団体です

       嵯峨野文化通信は、伝統文化を「遊ぶ」ためのヒントを発信します

               毎月1日・15日(月2回)

                     ■VOL:170(2013/3/1)

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                  ■□■もくじ■□■

  ■【連】からのお知らせ —–弘道館文化講座のお知らせ                                                  「KRPデザインフォーラム」講演会のお知らせ
                人間国宝・一巴太夫の常磐津講座が開催されます
                北野天満宮「梅苑」が開催されています!
  ■(連載)リレー連載『伝統文化、古典文学と私』———— 第五回
  ■(連載)『ニッポン城郭物語』————————– 第八十一幕
  ■(連載)『源氏が食べるー平安文学に描かれる食ー』——— 第六十五回
  ■(連載)『北野の芸能と茶屋』————————– 第七十四回
  ■[嵯峨野学藝倶楽部]3月開講講座のお知らせ

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               □■【連】からのお知らせ■□

 ■弘道館文化講座のご案内
 
  平安時代から時代を追ってみてきたこちらの講座も、ついに室町時代に突入しま
 した!
  さまざまな天皇を通してみることで、毎回新たな発見があります。弘道館講座の
 中でも根強い人気を持つ「天皇からみる京都」。ご参加お待ちしております!

 京文化教養講座1「天皇からみる京都」

 日 時:3月9日(土)
 テーマ:「後柏原天皇」
 時 間:11時〜12時30分(90分)
 場 所:有斐斎 弘道館
 講 師:太田 達(京都女子大学非常勤講師)
 参加費:2,000円(生菓子、抹茶付)

 ■「KRPデザインフォーラム」講演会のお知らせ

  京都リサーチパークで開催される、「KRPデザインフォーラム」にて【連】の太
 田達が講演いたします!
  「作り手」「買い手」「使い手」それぞれの距離をもっと近づけて、思いを共有
 しようという考えのもと、テキスタイル・ファッション分野を中心に多くの人が集
 まり、語り合うイベントです。こちらに「作り手」としての太田達が登場いたしま
 す!
  期間中には、さまざまなワークショップやテキスタイル・マルシェも行われる予
 定です。
 お誘いあわせのうえ、ぜひご参加ください!

 日 時:3月10日(日)
 テーマ:「人と人とをつなぐ京菓子」
 時 間:16時~
 場 所:京都リサーチパーク KISTIC2階イノベーションルーム
     (京都市下京区中堂寺南町134番地)
 参加費:無料 ※要申込
 
 詳細、申込はコチラ(京都リサーチパークHP)
 http://www.krp.co.jp/sangaku/design/index.html
 
 PDFデータはコチラ
 http://www.krp.co.jp/sangaku/design/pdf/design-forum2013.pdf

 
 ■人間国宝・一巴太夫の常磐津講座が開催されます

  明治時代につくられた大江能楽堂にて、常磐津一巴太夫の常磐津講座が開催され
 ます!
  何も知らない方にも分かりやすく解説していただけるトークショー形式となって
 おります。そして、進行役を【連】代表の濱崎加奈子が努めます!
  常磐津がお好きな方はもちろん、何も知らないけれど興味はある・・という方も
 、この機会に人間国宝・一巴太夫の圧倒的美声と響きをお楽しみください。
  しめくくりは京都ゆかりの名曲「将門」です!

 日 時:4月21日(日)
 時 間:14時30分〜16時(開場14時)
 入場料:(会員)3,150円 ※NHK文化センター会員
     (一般)3,465円
     (学生)1,575円
 場 所:大江能楽堂
     (京都市中京区押小路通柳馬場東入る南側)

 申込み、問い合わせはコチラ(NHK文化センターHP)
 http://www.nhk-cul.co.jp/school/kyoto/

 
 ■ 北野天満宮「梅苑」が開催されています!

  「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」
  梅を愛した菅原道真公をまつる北野天満宮の梅苑が始まりました。
  ここ数日で一気に春らしくなり、3月中旬が見頃のようですよ。ぜひお花見に足
 をお運びください!

 日 時:開苑中〜3月下旬(予定)
 時 間:10時〜16時
 入場料:大人 600円(中学生以上)
     小人 300円
     ※茶菓子付

 アクセス、詳細はコチラ(北野天満宮HP)
 http://kitanotenmangu.or.jp/
 
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             ■□■ 新連載 リレー企画 ■□■

  伝統文化プロデュース【連】では、メンバーが伝統文化に対しそれぞれの想いを
 持って活動を行っています。そこで、毎回ひとりずつ、メンバーにその想いを語っ
 てもらうべく連載を企画いたしました!皆の本音や理想、どんな話が飛び出すこと
 でしょう?
  今回は、高校で古典教育に尽力されている竹中泉美さんです!

          ー 第五回 『伝統文化、古典文学と私』 ー

                                竹中 泉美
                        (三壷庵茶道教室、高校教員)
                      
  「伝統文化」というと、何をイメージしますか? 茶道や、日本庭園、華道や、
 着物、和食、お祭り……。伝統芸能や伝統美術なども含めて広い意味で考えるとた
 くさんのものがあります。私が「伝統文化」と聞いて頭に浮かんだのは、古典文学
 でした。古典文学といっても大学で研究されるようなものだけではなく、中学や高
 校で「古典」という教科で学ぶものも含んだものです。これは私が普段から教えて
 いる立場だからということもありますが、学校に行く以外に特別な教室に通ったり
 せずに触れられる、身近にある伝統文化の一つだと思うからです。
  授業で古典を教えていると、時々こんな質問をされることがあります。「現代文
 は今も使ってるし分かるけど、なんで古典なんてやるん?使ってへんし分からんや
 ん」。私も高校生のある時までは、定期テストのために真面目に授業を聞くことし
 か考えていませんでした。ところが、授業を受けているうちに「人間って千年経っ
 ても結構変わらないんだな」と感じ、それから古典の授業が面白くなりました。そ
 の後、大学の文学部に進学し、さらに古典にのめり込みました。研究する立場にな
 ってみると、もっと面白いことに気がつきました。自分が生まれる以前、明治や大
 正時代の研究論文があったり、作品によっては江戸時代や室町時代から研究されて
 いたり言及されていたり。自分が書いた論文も将来同じことを研究する誰かに読ま
 れるかもしれない。「全く知らない人なのに作品でつながっているんだ」というこ 
 とでした。
  古典文学に限らず、文章には必ず書いた人がいます。古典文学が今も残っている
 のは、書いた人以外にもその文章に関わってきた人が、時代を経てもいたというこ
 とです。印刷技術などなかった時代、作品は原作を筆写することで広まりました。
 一部の限られた人たちの間ではありましたが、手元に置いてまた読みたいと思うか
 らこそ書き写して本を作って、それを友人知人に貸して……。中には、その途中で
 散逸してしまった作品もあるでしょうが、そうやって多くの作品が現代に伝わって
 きたのです。ではその伝わってきたものを読もうとしても、古典文学は現代の言葉
 では書かれていません。しかし、現代語訳されたものを読んだり注釈書を読んだり
 して内容が分かると、共感するところがあったり、面白いと感じるところがあった
 り。その文章を書いた人がとうの昔に亡くなっていても、百年でも千年でも昔でも
 、文章が残っていれば、それを書いた人が感じたことや考えたことに接することが
 できるのです。
  「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかた
 は、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人とすみか
 とまたかくのごとし」と鴨長明が約八百年前に書いたように、今も絶えることなく
 時代は移ろい、人も家も建物も変化していきます。八百年後の世界には、今生きて
 いる人はたぶん一人も生きていないでしょう。しかし、文章や作品は価値を見いだ
 す人がいる限り残り続けます。伝統文化も同じです。「ゆく河の流れ」が絶えない
 ように残そうとすること、その思いや行動が次につながっていくこと。私ができる
 ことは少ないかもしれませんが、そうやって関わり合ってつなげていけたらいいな
 と思います。

               ■『ニッポン城郭物語』■
                  
                  ー第八十一幕ー

                                梅原 和久

  京都府庁時代の二条城に設置された望火櫓について述べる前に、当時の京都にお
 ける望火櫓について少し触れておこう。江戸時代、京の町並みは厨子二階(つしに
 かい)と呼ばれる丈の低い二階を備えた屋根の低い町家がほとんどで、高層建築は
 東寺の五重の塔など数えるほどしかなかった。その数少ない例外の一つが、望火櫓
 (いわゆる火の見櫓)である。万治元年(1658)、江戸の火消屋敷に設置され
 た高さ5丈(約15m)のものが日本最初と言われており、幕末の京都にも、京都
 所司代千本屋敷をはじめ、いくつか存在していた。

  明治維新直後の明治2年(1869)、国による学制の創設(明治5年)に先立
 つこと3年、京都に全国で初めて小学校が設置される。しかも、当時の住民自治組
 織であった「番組(町組)」単位に、この年のうちに一気に64校も、である。主
 に町衆自身の手で作られたことも含め、この番組小学校の建設を始めとした明治の
 京都の革新的な取り組みについては、様々な著作もあるのでここでは触れない。
  ともかく、当時の小学校は、ただの教育機関ではなく、役所の出張所兼保健所兼
 派出所兼消防署兼町の集会所といった、あらゆる機能を持つ総合庁舎だった。
  この消防署機能の一環として、小学校の一角には望火櫓が作られ、半鐘と太鼓が
 常備されていた(※)。時計がないこの時代、太鼓は毎日二時間ごとに鳴らされ、
 区内の人に時を知らせていたし、火事の際には半鐘が叩かれ、その叩き方によって
 火事の場所の遠近や、鎮火状況を知らせたという。(『京の火事物語』京を語る会
 編より)

  少し回り道をしたが、明治初期の京都には、それまでになかった高層建築物が、
 小学校区単位で林立し始めていた、という状況に触れたところで次回、二条城に設
 置された望火櫓の詳細に進みたい。

(※)番組小学校に設置された望火櫓などの古写真を集めてみた。
  http://umeshiro.web.fc2.com/81.html

          ■『源氏が食べるー平安文学に描かれる食ー』■

                  第六十五回

                               荻野 みどり

  (前回のつづき)源氏は、実の子ではない薫が筍にしゃぶりつく姿に、まがまが
 しい理解しがたい感覚を覚える。そして、ねじけた「色ごのみ」と評して、赤ん坊
 の薫の運命を述懐し、歌を詠む。

   うきふしも忘れずながらくれ竹のこは棄てがたきものにぞありける

  「ふし(節)」は「竹」から連想される言葉(縁語)だが、「うきふし」=「浮
 き伏し」、または「憂き節」であり、柏木と女三の宮の密通事件を思わせる(「ふ
 し(節)」は「よ」ともいうので、「浮(憂)き世」にも通じる)。「くれ竹のこ
 」は勿論「筍」が響いているが、「こ(此)」に「子」も掛かっている。つらい出
 来事も忘れられないながらも、筍に夢中になっているこの「子」は捨てがたいもの
 だ、という。
  筍に執着する薫に、出生の経緯を重ねるものの、まだかわいらしい盛りの1歳の
 子供なのだ。もちろん世間体もあるのだが、そのかわいらしさから、自分の子でな
 いと捨ててしまえるものでもない。
  出生の真実を知る源氏の目と、人間的に赤ん坊を見る親心を知る源氏の目が、複
 雑な気持ちを生み、薫を眺めている。薫は、何もわからずにただ笑顔で、忙しなく
 動き回っている。

               ■ 『北野の芸能と茶屋』■                              
              
                    七十四回
                       
          井上 年和

  享保十七年(1732)7月
  「墨屋半七(馬喰町) 斧屋平八 (馬喰町) 竹屋しゆん(馬喰町) 嶋屋かね(馬
喰町) 万屋嘉兵衛(馬喰町) 海老屋つう(馬喰町) 玉水屋喜兵衛(馬喰町) 茶
 碗屋吉兵衛(馬喰町) 大黒屋十兵衛(馬喰町) 舛屋利兵衛(馬喰町) 冨士屋庄右
 衛門(馬喰町) 玉屋たか(馬喰町) 俵屋ゆか(馬喰町) 薩摩屋小ふし(馬喰町) 
 桔梗屋市三郎(馬喰町) 和泉屋つし(馬喰町) 鯉屋伊兵衛(真盛図子) 松野屋八
 十八(黒門通丸太町上ル町)」  
                        『北野天満宮史料 目代記録』

  右近馬場東西水茶屋の名寄帳である。全18軒の内馬喰町が最も多く16軒、真
 盛町1軒、黒門通丸太町上ル町が1軒となっている。
  正徳四年(1714)の荻野家文書『洛外町続町数小名并家数改帳』では、馬喰町
 の家数は30軒、また、この内茶屋の件数は、馬喰町10軒で、右近馬場6軒の茶
 屋があったことが『京都御役所向大概覚書』に記されている。
  20年ほど時を経ているので、馬喰町の家数や茶屋数にどれくらい変動があった
 か判らないが、馬喰町の茶屋はみな中之森へ水茶屋を出店していたと考えて良さそ
 うだ。あるいは、茶屋以外の商売をされている方々も中之森へ出店を出していたの
 かもしれない。

  第61回(平成24年8月15日 第157号)では、北野社東門内の上之森に
 七軒茶屋の和泉屋半兵衛さんが出店を出していることを紹介したが、中之森ではす
 ぐ横の馬喰町の住人が、また、下之森では四条や大阪の方面からの出店が並び、上
 之森、中之森、下之森は単に南北の位置関係だけではなく、北野社に対するヒエラ
 ルキーをも示していることがわかる。
  この頃には馬喰町に茶屋や商店が多数あったことが伺えるが、江戸時代の地図を
 見ると馬喰町はほとんどが北野社宮仕の居宅となっている。よって北野社の宮仕が
 茶屋を経営していたか、または、通り沿いの表を徳勝院長屋と同様に、茶屋や商店
 に貸していた可能性が高いのだ。

  更に、現在も残る北野社の灯籠を見ると、北野社の宮仕は宿坊を経営していた所
 も多く、馬喰町、鳥居前町、真盛町は茶屋と宿坊が混在した街であったことが判る。

  しかし、明治になり神仏分離・廃仏毀釈により松梅院以外の宮仕はすべて廃院、
 廃坊、廃寺に追い込まれ、それとともに馬喰町の茶屋は消滅したと考えられるのだ。

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          □■[嵯峨野学藝倶楽部] 3月開講講座のお知らせ■□

  詳しくは、 http://www.ren-produce.com/sagano/club/ をご覧ください。

 ■「茶道教室(水曜日コース)」

  日程:3月6、13日(水)
  場所:嵯峨野三壷庵
  時間:10時~19時(ご都合の良い時間にお越しください)
  講師:西村 宗靖・太田 宗達
  ※見学/体験も、随時受付けています。

 ■「茶道教室(土曜日コース)」
  日時:3月2、23、30日(土)
  場所:嵯峨野三壷庵
  時間:23、30日 10時~19時(ご都合の良い時間にお越しください)
         2日 10時~13時、15時~19時
  講師:西村 宗靖・太田 宗達
  ※見学/体験も、随時受付けています。

 ■「今様・白拍子教室」
  日程:3月2、16日(土)
  場所:嵯峨野三壷庵
  時間:13時~14時
  講師:石原 さつき
  ※見学/体験も、随時受付けています。
   性別・年齢・経験は問いません。

 ■「うたことば研究会」

  ただいま休講中です。
  再開日が決定次第お知らせいたします。

 ●URL
  http://www.ren-produce.com/sagano/club/

  お問合せ・お申込みはコチラまで→ sagano@ren-produce.com

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                ■□■ひとこと■□■

          やっと春らしい気候になってまいりました。
         弘道館では、ただいまゼニゴケ退治に奮闘中です。
 
     [次回は、3月15日(金)に配信予定です!次回もお楽しみに。]

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多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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