伝統文化プロデュース【連】メールマガジン
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〔嵯峨野文化通信〕 第36号
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伝統文化プロデュース【連】は、日本の伝統文化にこめられた知恵と美意識に
ついて、学び広めていくための活動をしている団体です。
京都・嵯峨野から、最新の情報を皆さんにお届けします!
毎月1日・15日(月2回)
★VOL:36(2007/8/1)
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こんにちは(@^ー^@) 〔嵯峨野文化通信〕です☆
暑い日が続きますね。夏バテなどされてないですか?
夏バテを防ぐためには、こまめに水分を摂るといいらしいですね。あと、湯船に浸かる
こともよいとか。夏バテ対策として湯船に浸かったのに、のぼせてしまいました。。。
みなさんは、気をつけて下さいね(^▽^)ゞ
それでは、〔嵯峨野文化通信〕第36号のスタートです!
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┃も┃┃く┃┃じ┃
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○【連】からのお知らせ——————————–「今様・白拍子教室」
○(連載)『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』———-第三章 〜説二話〜
○(連載)『ニッポン城郭物語』————————第十九幕
○やまとのくには言の葉のくに————————–第十一首
○京の伝統行事—————————————-千本釈迦堂
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【連】からのお知らせ
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『家庭画報』9月号(8月1日発売)で、[嵯峨野学芸倶楽部]の「今様・白拍子教
室」が紹介されます(156ページ)。装束を着けて、今様うた遊びをしている写真も
載っています。ぜひ、ご覧ください。
●『家庭画法』のホームページ
http://www.kateigaho.com/
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(連載)『正史 爺婆鏡(ジジババカガミ)』第三章
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説二話 太田 達
こういう祖母であるから、自慢話を聞かされる事が多かった。いや、彼女にとっては、
それは普通の思い出話であって、決して自慢話ではなかったのであろう。よく、何気な
く云った言葉に、「お育ちが違いますよね」などと返され「えー」というような、経験
をされたことがある方は多いのではないだろうか。彼女にとっては、その類のものかも
しれない。その中でも、印象深いものに、「五節の舞姫(ごせちのまいひめ)」の話が
ある。彼女の晩年に何度か聞かされた。「五節の舞姫」とは、七世紀頃にはじまり、八
世紀に女舞となり、大同三年(808)十一月十七日の大嘗会、弘仁五年(814)十
一月二十日の新嘗会から、五節舞を奏することが慣例となった。ちなみに大嘗会とは、
新皇即位の時、新嘗会は、毎年の天皇の稲収穫儀礼である。大嘗会では、公卿の子女二
人、殿上人、受領の子女が三人選ばれ、叙位に預かる。新嘗会は四人で叙位はない。中
世以降は幾多の消息があり、近世にはその姿を消した。大正天皇即位の儀、御大典が京
都で行われた際に復興された。ちなみに、「あまつ風雲のかよい路吹きとぢよ乙女の姿
しばしとどめむ」(僧正遍昭)という歌は、五節舞姫のことを詠んだ歌である。彼女の
机の引き出しには、大切に当時の新聞記事がしまわれていた。記事の見出しは、「栄誉
の姫君様」。彼女のすぐ上の姉である種子(ふさこ)と共に選ばれたようで、写真の下
には「子爵萩原員種公次女種子、三女納子」とあり、十二単姿の二人の緊張した面持ち
を記憶している。彼女のプロフィールとしては、「ヴァイオリンと英語が堪能で、書も
優れたお姫様。府立高女にお通いになっている」と書かれていた。
話はそれるが、彼女は錦林小学校から府立第一高等女学校に進んだ。その時の通学風
景をよく私に語った。人力車の横に担当の書生が付き添ってくれていたらしい。私が自
家用車の免許を取ったときに、このことを何度も話した。どうも運転手を雇えというこ
とらしく、世間とのズレを感じたところである。彼女の五節の舞姫は、昭和の御大典の
時であり、大正の御大典の時は彼女は華族会館において大正天皇の御前揮毫をしたらし
く、彼女が揮毫した紙を大正帝が丸めて望遠鏡の如くしたらしく、どうもショックを受
けたようである。翌日か翌年か、私の記憶が曖昧なのであるが、彼女は、貞明皇后の御
前揮毫の栄誉に服する機会を得たらしいが、先の大正帝のこともあり、適当に揮毫した
ら、貞明皇后がやたらと丁寧にご覧になったらしく、重ねての彼女の不覚となったよう
である。故に、彼女の昭和の大典における五節の舞姫に選ばれたことは、大正の御大典
のまさにリベンジであった。
(つづく)
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(連載)『ニッポン城郭物語』
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第十九幕 〜第2次世界大戦と城の話(1)〜
梅原 和久
長かった梅雨もようやく明け、今年も夏がやってきた。終戦から62年目の夏である。
この戦争を通じて、世界中で夥しい数の人が亡くなったが、文化遺産への被害もまた甚
大だった。人類史上未曾有の惨禍の中で、文化財の破壊を殊更に嘆くのもどうかとは思
うが、やはり余りにも惜しい。
当時、都市部のほとんどの城には陸軍が駐屯(元々戦いを想定して作られたものであ
り、防衛拠点として最適だったため)していたこともあり、城は空襲の格好の標的とな
った。水戸・名古屋・和歌山という徳川御三家の天守・御殿のほか、大垣・岡山・福山・
広島といった名城の天守、仙台・大坂・高松・松山・宇和島・大分・首里などに残って
いた城郭建築が、昭和20年(1945)の5月から終戦までの、僅か3ヶ月の間に失
われてしまったのである。
中でも天守の焼失は、その町のシンボルの消失という点でも現代の「落城」と言え、
その最後の姿を目撃した人による記録も各地に残っている。例えば、当時現存最古の天
守であった岡山城の場合。6月29日の岡山大空襲では、まず城の周囲にある中学校が
燃えはじめ、天守は遅れて被弾したらしい。3時間ほど燃えた後、最後は「ぐらっ」と
揺れたかと思うと、轟音と共に天守北東脇を流れる旭川に向けて崩れ落ちたという。
(※1)戦国時代もかくやと思われるすさまじさではないか。
8月6日、原子爆弾の直撃をくらった広島城の場合は、戦国時代にはありえない末路
となった。閃光を浴び、30メートルも吹き飛ばされたという被爆者の証言。
「モウモウと舞いあがる砂塵のなかで、息のつまるような一瞬、聳え立つ五層の天守
閣の崩れ落ちるもの凄い音が聞えてきた。それはちょうど、山頂から無数の木材が、一
度に転げ落ちて来るように、ドドドドー、ドドーと不気味に地面に響き伝わった。(中
略)天守閣は崩壊しても火災から免れていて、あとにただ廃材を積んだ石垣だけを残し
ていた。城門や司令部・各兵舎その他の建物は火炎に包まれ、全くの灰燼に帰した。」
(※2)
そう、広島城天守は燃えることなく、一瞬浮き上がってから、崩れ落ちたのだ。原子
爆弾のケタ外れの破壊力が伺える記述である。散乱した倒壊材は、バラックの建設や薪
として復興のために使われた。当時の混乱を考えれば、前号に述べたような部材保管な
どあり得なかったことだろう。残った廃材は、広島県が一括して製塩業者に払い下げ、
代わりに塩を購入して市民へ配布したという話も伝わっている。
(つづく)
(※1)『図説天守のすべて』(学研 2007)より。当時の写真などは以下のページ
で見ることができる。
http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/okayamajou/history/history4.htm
(※2)『広島原爆戦災誌』 第二巻(1971)より、軍医部増本春男衛生上等兵の証言。
その場にいた人ならではのリアルな描写である。倒壊後の写真は以下のページで。
http://yutaka901.web.infoseek.co.jp/page7dx20.html
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やまとのくには言の葉のくに
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第十一首 田口稔恵
おほけなくうき世の民におほふかな わが立つ杣に墨染の袖
前大僧正慈円『千載和歌集』雑・中
(我が身に分不相応にも、俗世の人々の上に、仏のご加護を祈念して覆いをかけること
だよ。比叡の山に、御法をいただいて住みはじめることになった、私の墨染の衣の袖を)
「おほけなし」は分不相応であること。僧衣を指す「墨染」と「住み初め」を掛ける。
自分には分不相応であるが、墨染の袖、つまり僧衣の袖を世の民の上に覆い、仏のご加
護を願おうという天台座主としての決意を述べた歌である。法華経に「法衣を以て之を
覆ふ」という表現が見られ、それに倣ったものであろう。
作者の前大僧正慈円は、関白藤原忠通の子で、兼実の弟である。十三歳で出家し、天
台座主を四度にわたってつとめ、人々のあつい尊崇を集めた。天台宗の本拠地である比
叡山は、都の艮の方角に位置し、鎮護国家の要とされ多くの僧侶の修行の聖地であった。
慈円は政権の中枢にあった家柄の出自でありながら、当時異端視された専修念仏を唱え
る法然や親鸞を庇護し、『愚管抄』では、緊張が続く公武の協調を説いた。その寛容さ
は、国を憂い、人間を愛する心の発露ではなかったか。三十八歳で初めて天台座主とな
った際の、若き慈円の力強い意気込みが感じられる。国のトップとは、かくあるべきで
はなかろうか。
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京の伝統行事 〜祭に出かけてみませんか?〜
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○千本釈迦堂・精霊迎えと六道まいり
千本釈迦堂の呼び名で親しまれている大報恩寺(真言宗)で、8月8日から「六道
まいり」が行われます。これは、大報恩寺が船岡山の西から紙屋川にかけての一帯で
ある北の葬送地・蓮台野に近いためです。「六道まいり」の期間中は、ご本尊の国宝
「釈迦如来像」が開帳されています。この釈迦如来像の手に結ばれている白布がお精
霊さんを迎える鐘につながっていて、訪れた参拝者らは、迎え鐘をついて先祖の精霊
を供養しています。16日には、精霊送りが行われます。
千本釈迦堂は、釈迦如来だけではなく、運慶の弟子・定慶による六観音を伝えるお
寺でもあります。六観音とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道界をそれぞれ
担当し、その世界を救うという、聖・千手・十一面・馬頭・准胝・如意輪の観音菩薩。
鎌倉時代の作ですが、ほぼ完全な状態で六体が揃っており、これらの観音像は、快慶
の手による釈迦十大弟子像などとともに、霊宝館で拝観できます。
日程:(精霊迎え)8月 8日(水)〜12日(日)
(精霊送り)8月16日(木)
場所:千本釈迦堂(上京区今出川七本松上ル)
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◆[嵯峨野学藝倶楽部]8月開講講座のお知らせ ◆
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詳しくは、http://www.ren-produce.com/sagano/から
★「今様・白拍子教室」
日程:8月4日(土)
時間:午後1時〜2時(60分)
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/imayou/
★「茶道教室(土曜日コース)」
日程:8月4日(土)
時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間に、お越しください)
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/doyoubi/doyoubi.html
★「茶道教室(水曜日コース)」
日程:8月8日(水)
時間:午後1時〜5時(ご都合の良い時間に、お越しください)
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/suiyoubi/suiyoubi.html
★「茶道教室(土曜日コース)」
日程:8月11日(土)
時間:午後3時〜8時(ご都合の良い時間に、お越しください)
※見学/体験も、随時、受付けています。
▽詳細は、コチラから。
http://www.ren-produce.com/sagano/chadou/doyoubi/doyoubi.html
お問合せ・お申込みはコチラまで→sagano@ren-produce.com
(※いずれの講座も、事前にお申込みください!)
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暑さの中、道行く見知らぬ人を思いやって、通行人に大切な水をふるまうことを「振
舞水」といいます。「振舞う」には、「行動する」・「もてなす」という両方の意味で
使われています。ただ、暑いから水を撒くのではなく、自分以外の誰かの為を思って水
を撒く。素敵な風習ですね。
[次回は、8月15日(水)に配信予定です! 次回もお楽しみに(^▽°)]
☆治☆
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