【百人一首を読む・百人一首と読む】
第三回 かささぎのわたせる橋に置く霜?
かささぎのわたせる橋に置く霜の白きをみれば夜ぞふけにける 大伴家持
入選されたお菓子のもととなった和歌をよんでまいります。
今回は入選作品のなかで最も多かった家持の歌です。
家持といえば、万葉集で最も歌が多い、奈良時代から平安時代にかけての歌人です。
あ…でもこの歌、万葉集にないので、作者は家持ではないといわれています。内緒ですよ…。
この歌は、解釈も説が二つに分かれています。どのような歌なのでしょうか。
空気も澄んだ冬空の天の川に、かささぎが連なってつくったという橋があって、その橋に霜がおりたようなその白さを見ると、冬の夜が更けたのだよなあと思うよ。
かささぎが連ねてつくった橋(宮中のきざはしのこと)におりた霜、その霜のおりた橋の白さを眼前に見ると、夜が更けたのだよなあと思うよ。(ああ、さむぅ)
かささぎはカラスの仲間なので黒い鳥です。ここの白さはあくまで霜の白さを言うのでしょう。
「かささぎのわたせる橋」を、
①天上の幻想風景とみるか、
②宮中の冬の夜の顔とみるか。
これによって、歌の意味も全然違ってきますね。
最近の注釈書によると、①のような解釈が主流のようです。かささぎが橋になるのは、旧暦の秋、七月七日の七夕の夜。中国では、天の川の対岸にいる彦星に会いに行くために織姫がわたるとされています。日本では、舟のように半月となった月にのって、彦星が天の川をわたります。でも、この歌は霜がおりているので冬の話です。七夕の歌ではありません。うーん謎だ…。
ここから上のような、大きくわけて二つの説が言われるようになったのでしょう。ちなみにかささぎの橋がどうして宮中のきざはしにつながるのかというと、宮中は雲居ともいい、その上り口であるきざはしは、天の橋のようなものだから、天上の橋であるかささぎの橋というのではないか、とのこと。難しい…。
何はともあれ、これは連想とイメージの歌のようです。
①の解釈だと、冴えわたる冬の夜空が見えてきます。現代とは異なって天の川は非常にくっきり見えたことでしょう。和歌の景色は季節限定という掟をこえてまで歌にしたい夜空があったのでしょうか。
はたまた②の解釈では、寒さが伝わってきますね。夜の空気にさらされ、霜さえおりた板の間を裸足で歩くみやびとが立ち現れてきます。さて、みなさんはどう読みますか?
主な参考文献
島津忠夫『新版 百人一首』角川書店1999年11月(歌本文の表記を一部改めて記載した)
谷知子『百人一首(全ビギナーズ・クラシックス日本の古典』角川書店2010年11月(最近の注釈書)
長谷川哲夫『百人一首私注』風間書房2015年3月(②の解釈を主張する最近の注釈書として参照)
(文責:同志社大学四回生 御手洗靖大)