『手のひらの自然 京菓子展 2019』万葉集を読んでみる ②万葉の四季―「ますらをぶり」の夏

巻十を読む

具体的に、『万葉集』を読んでまいりましょう。前回お話したとおり、全二十巻ある『万葉集』ですが、巻によってその撰集方針が異なっています。特に、巻十七から巻二十は、大伴家持という男性官人を中心とした歌の日記的な様相を帯びているというのは有名ですね。

巻十は、春夏秋冬の和歌を集め、それぞれ「雑」と「相聞」の二つに分類してならべられている巻です。ここの特徴は、詠歌の場を示す題詞がないところです。

題詞とは、和歌が詠まれた状況や、作者などの情報を歌の前に記すものです。この巻は、人間関係や、背景となる歴史的な知識が、他の巻に比べると必要のないところなので(そのぶん難解な場合もありますが・・・)ここから歌を読んでいきたいと思います。

 

夏・日(太陽)に寄する

さて・・・。酷暑の候、みなさまにおかれましてはいかがおすごしでしょうか・・・。暦の上では立秋も過ぎ、残暑ではござんすが、人体が溶けてしまいそうな日中でござんしょ?

巻十には、酷暑の和歌があります。

 

  六月(みなづき)の地(つち)さへ裂けて照る日にも我が袖乾(ひ)めや君に逢はずして(巻十・夏相聞・1995・寄日)

  六月の、地面までも乾いて裂けて照りつける日によっても、涙で濡れた私の袖は乾くもんですか。あなたにあわずして・・・。

 

旧暦の六月は水無月と書き、暑さの盛りとなります。現代人の感覚でいうと、六月といえば梅雨のイメージですが、梅雨の雨は五月雨(さみだれ)。季節と暦が現代とすこしズレていますね。六月は、本当に水無しの月であったことがこの歌からわかります。ちなみに、「みなづきの」にあたる漢字の原文は「六月之」です。

さて、この歌は、夏の歌のうち、相聞におかれています。現代短歌でも相聞歌といえば恋の歌ですが、『万葉集』では愛する者どうしの歌だけでなく、親、兄弟、親しい友人同士の和歌のやりとりも相聞と呼ばれます。ここではやりとりの跡がうかがえませんが、歌の内容的に、愛しい人に向けて贈られた歌のようですね。

酷暑の候、暑さで地面も裂けてしまっている。当時はたぶん、コンクリートで舗装された道はなかったと思うのですが、それでも地面が裂けるくらいの日差しが照りつけている、ものすごい日です。ここの「さへ」という助詞が効いていますね。極端なできごとを付け加えることで、それがおきてしまっているこの場が、ものごっつい(!)状況である事を示す言葉です。

さて、そんなものごっつい(!!)状況に、和歌なんて詠んでていいのでしょうか。

いいえ、この歌の真のメッセージは「ごっつう暑いでんなあ」ということではありません。そんなものすごく暑い、日差しがカンカン照っているお洗濯日和であっても、私の袖はぬれたままなのよ・・・。といっているのです。

袖がぬれるとは涙を流す、泣くということです。どんなお洗濯も乾いちゃう、カンカン照りの日、涙で濡れた私の袖も乾くと思う?乾くわけないじゃん!!あなたに会えないままで!!ということですね。「我が袖乾(ひ)めや」の「乾(ひ)」は、「ひる」といって、かわくという意味です。「めや」は、そんなことできようか。いわゆる反語として訳せる表現です。

「あなたに会いたい・・・」という主張をするために、日照りの地割れを引き合いに出してきました。なんだかとっても強く勢いのある、ものすごい歌ですね・・・。

 

夏・草に寄す

夏場はぐんぐん草が伸びますよね。関西の実家にかえると、大きな古いお家もいつの間にか空き地になっていて、ぐんぐん草が伸びている光景を見ることが増えました。『万葉集』にも、どんどん広がってぐんぐん伸びる草を詠み込んだ歌があります。

 

  人言は夏野の草の繁くとも妹と我とし携はり寝ば(巻十・夏相聞・1983)

  人の噂が夏野の草のように広まっても・・・おまえと俺が手をつないで一緒に寝られたら・・・

  このころの恋の繁けく夏草の刈り払へども生ひしくごとし(巻十・夏相聞・1984)

  このごろ恋心は、ぐんぐん育まれて、夏草のように、刈り払ってもまた生えてくるようだ

 

草に例えられるものがおもしろいですね。1983番はどんどん広がってぐんぐん大きくなる人の噂。1984番は、何度も何度も諦めようと心を鎮めても、またさわさわと湧き出てきちゃう恋心。どちらの歌も、恋愛に対する強い意識が詠まれています。

今回ご紹介した歌は「○に寄す」と書かれたカテゴリーに入っています。これはどういうことかというと、自然の事物に寄せて、気持ちを歌にするということです。さわさわ広がってぐんぐん伸びる夏草を使って、気持ちを歌にするのです。イメージしやすい事物を提示して、それに添えて気持ちを伝えるのですね。形のない心を形に添えて歌にしたものなのです。「○に寄す」とある歌は、お菓子作りの大きなヒントになることでしょう。

それにしても・・・1983番はすごいですねえ。お前と俺とが結ばれるんなら、誰にどう言われたってかまわねえ!!!っていう歌ですもんね・・・。はじめてこの歌を読んだとき、おもわず「ま、ますらをぶりぃ・・・」ってつぶやいてしまいました。

中学校の時に、『万葉集』の歌は実直で力強く、おおらかで男性的な「ますらをぶり」の歌風であると評される、なーんて習った方がいらっしゃるかもしれませんが、こういう歌を見ていると、たしかにそんな歌もあったのだなあ、なんて思っちゃいますね。ちなみに、これを言い出したのは、江戸時代の古代研究者である賀茂真淵先生です。最近の言葉なんですね。

もちろん、〈4500首以上の和歌・巻ごとに撰集方針が異なる〉という特殊な書物なので、なかなかそれだけではいきません。ただ、今日ご紹介した「ますらをぶり」っぽい歌は、確かに、『古今集』以降の和歌ではちょっと異様なものであり、『万葉集』ならではの歌といえるでしょう。こういう歌も見えるのは楽しいですね。

 

【参考文献】

小島憲之ほか『新編日本古典文学全集 万葉集(3)』小学館1994年

坂本信幸ほか『万葉事始』和泉書院1995年

伊藤博『萬葉集釋注 五』集英社1996年

小川靖彦『万葉集 隠された歴史のメッセージ』角川選書2010年

神野志隆光『万葉集をどう読むか―歌の「発見」と漢字世界』東京大学出版会2013年

佐竹昭広ほか『万葉集(三)』岩波文庫2014年

小田勝『実例詳解古典文法総覧』和泉書院2015年

『和歌文学大事典』日本文学web図書館

 

※万葉集本文は原則訓み下し文とし、佐竹昭広ほか『万葉集(一)~(五)』岩波文庫2013年~2015年を用いました。

御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M2)

多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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