『手のひらの自然 京菓子展 2018』源氏物語から考える ③交錯する女達とそのイメージ―帚木三帖の恋―その肆、空蝉の形代となるひとびと

紀伊の守の家での一件のあとも、源氏は空蝉を思慕し続けます。実はあのあと、空蝉は源氏に手籠めにされたことのショックが大きく、嘆き続けたのでした。

 

その後源氏は空蝉の代わりにと、その弟の小君をかわいがります。

 

古典文学の性愛は、現代よりもダイバーシティに富んでいますから、源氏と小君の関係もそのように見てもいいのですが、どうやら源氏は少年愛というよりも、空蝉の代わりとして見ていたようです。

 

源氏は二度目の潜入を試みますが、失敗。そして「空蝉」巻でもういちど潜入を試みます。今回は「空蝉」巻の話です。

 

小君は源氏に愛され頼りにされていることを喜びとして、屋敷に招き入れるのでした。まずさきに小君が中の様子を見に入っていきました。

 

さて向かひゐたらむを見ばやと思ひて、やをら歩みいでて、簾のはさまに入りたまひぬ。この入りつる格子はまだ鎖さねば、ひま見ゆるに寄りて、西ざまに見通したまへば、このきはに立てたる屏風、端のかたおし畳まれたるに、まぎるべき几張(きちやう)なども、暑ければにや、うちかけていとよく見入れらる。

 

源氏も牛車からおりて外から中をうかがいます。夏の暑いころ、中は開け広げられて見通せるようになっていました。

 

火近うともしたり。母屋(もや)の中柱にそばめる人やわが心かくる、とまづ目とどめたまへば、濃き綾(あや)の単襲(ひとへがさね)なめり、何にかあらむ上に着て、頭つき細やかに、小さき人の、ものげなき姿ぞしたる。顔などは、さし向かひたらむ人などにも、わざと見ゆまじうもてなしたり。手つき痩せ痩せにて、いたうひき隠しためり。

 

中では女が向かい合って碁を打っています。源氏物語絵の有名な場面の一つです。ここで空蝉の姿をみるのでした。(源氏絵では、どちらが空蝉か分からない事が多々あります。)

 

今一人は、東向きにて、残るところなく見ゆ。白き羅(うすもの)の単襲(ひとへがさね)、二藍(ふたあゐ)の小袿(こうちき)だつものないがしろに着なして、紅の腰ひき結へるきはまで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。いと白うをかしげに、つぶつぶと肥えて、そぞろかなる人の、頭つき、額つき、ものあざやかに、まみ、口つきいと愛敬(あいぎやう)づき、はなやかなる容貌(かたち)なり。髪はいとふさやかにて、長くはあらねど、さがりば、肩のほどきよげに、すべていとねぢけたるところなく、をかしげなる人と見えたり。むべこそ親の世になくは思ふらめ、とをかしく見たまふ。ここちぞなほ静かなるけを添へばや、とふと見ゆる。かどなきにはあるまじ。

 

もう一人は、紀伊の守の妹です。暑いからと言ってセクシーな格好になっています。二人が一緒の場面が語られるのも、なんとも意味深ですね。

 

このことはよくご存じの方も多いと思うのでネタばらしをしてしまうと、このあと源氏はうまく空蝉の寝室に忍び込むのですが、空蝉は源氏が入ってくる前に着物をのこして隠れ、かわりに源氏は間違えて一緒に寝ていた軒端の荻と契るのですね。ちょっとだけ見てみましょう。

 

君は入りたまひて、ただ一人臥したるを心やすくおぼす。床のしもに、二人ばかりぞ臥したる。衣(きぬ)をおしやりて寄りたまへるに、ありしけはひよりはものものしくおぼゆれど、思ほしうも寄らずかし。いぎたなきさまなどぞ、あやしく変はりて、やうやう見あらはしたまひて、あさましく心やましけれど、人違へとたどりて見えむもをこがましく、あやしと思ふべし、本意の人を尋ねよらむも、かばかりのがるる心あめれば、かひなう、をこにこそ思はめとおぼす。

 

源氏は一人寝ている女に触れます。しかし、「あれ?」。なんだか感触が以前とは異なっています。しかもめっちゃ寝ててなかなか起きない・・・笑。当時の家は電気などなく、しかも光の入ってこない部屋の奥でしたから、手触りで相手の存在を知るしかありませんでした。だから人違いだとすぐに分かるのです。

 

しかしながら、相手のいる話、「間違えました。じゃ、そういうことで。」なんて言って出ていけるはずがありません。しかもどこかで空蝉が見ているのです。なんとか体裁を保たねば、と、源氏は軒端の荻と契るのでした。

 

いろいろと面倒なことになるのを避けるため、源氏は言葉を尽くして貴方とは忍びの関係だからと、軒端の荻にいいます。軒端の荻は本気にしてしまいますから、このあと静かに源氏を待ち続けるのでした。ここでは滑稽っぽく書かれていますが、当事者になるとたまったものではありませんね・・・。

 

かの脱ぎすべしたると見ゆる薄衣を取りていでたまひぬ。

 

源氏は空蝉の残した着物をもって這々の体で帰るのでした。

 

※源氏物語本文は日本文学web図書館 平安文学ライブラリーの本文を用いました。

御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M1)

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