『手のひらの自然 京菓子展 2018』源氏物語から考える ①「源氏物語」をカタチにする


ホントに・・・五十四帖全部読むの・・・?

毎年恒例の京菓子デザインコンテスト『手のひらの自然 京菓子展 2018』がはじまりましたね。今年のテーマは源氏物語ということで、去年に引き続き、わたくし、御手洗が、みなさんとご一緒に作品世界の中へわけいってみたいと思います。
 さて、源氏物語です。高校の古文で習った方も少なくないと思いますが、すべて読み通したという方はどれほどいらっしゃるでしょうか。なかなかムツカシイものでございます。しかも作品が長い・・・。「今回のテーマが源氏だからちょっと読んでみよう」、と思われた方の中にも、「ここまで長いとちょっとなあ・・・。」と思われた方も少なくないのではないかと思います。
 源氏物語は、読む前が実は最もむつかしい・・・笑。今回は、そんなハードルを下げるお話をしたいと思います。
 源氏物語は今から千年前の平安時代に書かれたものですね。成立当時から人気であったのか、これまでずっと読まれてきました。ここまで人々に読まれ続けている文学作品もそうそうありませんよね。
 こうなってくると、後世の人たちは、「つべこべ言わずに、読んでみなければ」という思いになります。作品の面白さの上に、読むことの憧れのようなものが付け加わるのです。こうして古典(専門用語でカノン)とよばれる作品となっていきます。この感覚は現代の私たちだけではありません。
 そして、この長さも驚異的ですよね。これは、現代で言うと、JKローリングの『ハリーポッター』シリーズとおなじ感じで考えてよいと思います。源氏物語は「桐壺」という巻から始まって、全部で五十四の巻からできています。巻というと、巻物に書かれたという意味になるんですが、現存する源氏物語の書物は本の形となっているので五十四帖といいます。そう、全部で54冊の本でできているんですね。そう考えると、「桐壺」は『ハリーポッターと賢者の石』のようなものといえます。現代の注釈書や、現代語訳は、「桐壺」から「花散里」までを一冊、という風にまとめてしまうので、なんだか五十四帖がすべてひとまとまりのように感じてしまいますが、もとを考えると、源氏物語シリーズとしてひとつひとつ分かれていたのです。(二番目の「帚木」と三番目の「空蝉」は話がつながっていますが、ほかの巻は一応完結しています。)
 また、ここまで長い源氏物語、本当に昔の人たちは全部読んでいたのか?というと、そんな人たちばかりでは無かったようです。
 源氏物語には梗概(こうがい)書とよばれるものがたくさん残っています。源氏物語各巻の名場面の絵とともに、その巻のあらすじが書かれる書物もあります。昔から、全部読まなくてもなんとなく話についていけるように、いろんな本が出ているんですね。ありがたいなあ・・・。
 現代でもそのような本はたくさんあります。最近では美しい絵と共に源氏物語が概説されている本が増えてきました。源氏の専門家の本のほうがかえってわかりやすい事があります。私のおすすめを紹介すると、岩坪健『錦絵で楽しむ源氏絵物語』和泉書院(2006)は薄くて手に取りやすいとおもいます。もうすこし読みたいという方は中野幸一『フルカラー 見る・知る・読む 源氏物語』勉生出版(2013)を手に取ってみるといいかもしれません。本屋さんや図書館にいってこんな本を探すところからはじめてみるのもいいと思います。
 でも、この梗概書でも、最初のページから読み進めないといけないということはないように思います。
デザインのヒント
 今回は作品を読むだけで終わりではありませんね。源氏物語をどう京菓子のカタチにするかというのが、次にでてくるムツカシさだと思います。
 源氏物語という文学作品は昔からさまざまなカタチになってきました。現存最も古いカタチは「国宝源氏物語絵巻」ですね。源氏物語を絵にするという営みです。
 江戸時代くらいになると様々な源氏グッズが出てくるようです。愛知県の徳川美術館(http://www.tokugawa-art-museum.jp/exhibits/collection/)には、「初音の調度」という絢爛豪華な嫁入り道具が所蔵されています。そのきらびやかな蒔絵をよーくみると、源氏物語「初音」の巻の様子と、「年月を松にひかれてふる人に今日鴬の初音きかせよ」という、「初音」の巻の和歌が浮き上がるように作られています。源氏の「初音」が分かると、この調度の意匠がわかるというものです。「初音」の巻は、光源氏の栄華の象徴である自邸、六条院でのお正月の場面から始まります。とてもおめでたい場面なので、昔からこの巻は読まれていたそうです。
 源氏物語がカタチになるとはどういうことか。江戸時代のとあるかんざしをみて、もうすこし考えてみましょうか。

 図にあるのはかんざしの広告です。左上の絵には「若紫(わかむらさき)」とあります。これも源氏グッズなのです。鳥さんと、なんかアミアミの籠が描かれていますね。なぜこれが若紫という銘なんでしょうか?
 「桐壺」からはじまる現在の源氏物語では、「桐壺」、「帚木」、「空蝉」、「夕顔」、「若紫」、と五番目に位置しています。この巻では、光源氏が生涯愛した女性を見初めます。とっても大事な場面ですね。せっかくなので読んでみましょう。
 複数の女性との関係をもつ青年貴族の光源氏ですが、ある女性との一夜が大事件へとつながり(夕顔)、源氏は病気になってしまいます。療養のため、山のお寺ですごすことになりました。ここから「若紫」の巻がはじまります。山寺だが、ある僧坊には女がいるとの噂を聞き、源氏はその僧坊を垣間見します。垣間見とはのぞきのことで、今では大変ハレンチな行為です。しかし、昔の物語では、これによって王子様がお姫様を見いだすという型ができあがっています。これもそうですね。
人なくて、つれづれなれば、夕暮れのいたうかすみたるにまぎれて、かの小柴垣のほどにたちいでたまふ。人々は帰したまひて、惟光(これみつ)の朝臣(あそん)とのぞきたまへば、ただこの西面(にしおもて)にしも、仏据ゑたてまつりて行ふ尼なりけり。
夕暮のいたうかすみたるにまぎれて・・・たそかれ時ですね。かの小柴垣のかげ、とは女がいるという僧坊にはりめぐらされた垣です。そのかげに源氏はたたずみます。源氏は貴族ですからおつきの者達がついていますが、めだってしまうので、帰して、側近の惟光とだけで覗きます。すると、仏に向かって勤行している尼が見えます。
 この尼は四十歳くらい。現代では年齢に関わらず魅力的な女性がたくさんいますが、人間五十年の時代ですから、ここではおばあさんとして登場します。
そうして中を見ていくとかわいらしい女の子が。
 さては童べぞ出で入り遊ぶ。なかに、十ばかりやあらむと見えて、白き衣(きぬ)、山吹などのなえたる着て、走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず、いみじく生ひさき見えて、うつくしげなる容貌(かたち)なり。髪は扇をひろげたるやうにゆらゆらとして、顔はいと赤くすりなして立てり。「なにごとぞや。童べと腹だ
ちたまへるか」とて、尼君の見あげたるに、少しおぼえたるところあれば、子なめりと見たまふ。
わーーと子どもが遊んでいる中に、抜きん出てうつくしい女性になりそうな子どもがいる!と源氏は見ています。「いみじく生ひ先見えて」とは、成長して大人になった姿が分かるくらいとってもかわいらしい女の子であるということ。また、なんだか話をしている尼君と容姿が似ているところがあって、親子かな?と源氏は見ています。
でも顔を赤くして泣いていますね。「顔を赤くすりなして」という表現もすてきです。(>_<)という顔文字の真ん中にぼんやりと赤いインクをにじませたら、泣いているようにみえますよね。こーゆー描写もおもしろいですが、さて、なにがあったのでしょう。
「雀の子を、犬君が逃がしつる。伏籠(ふせご)のうちに籠めたりつるものを」とて、いと口惜しと思へり。
 「ずずめ゛の゛ごを゛い゛ぬ゛ぎがに゛がじだの゛~~」と悔しそうにいう少女が思い浮かびます。なんだか源氏が恋をする姫君になるのは、まだまだ先のような幼さが見えますね。
 この姿をみた尼君は、まあまあ、こんなありさまでなんと未熟な・・・。貴女をみている私も、もう長くないというのに・・・。この子はどうなってしまうのやら・・・と涙を流してしまいます。尼君はこの少女のおばあちゃんだったのです。この場面、私はおばあちゃん子だったので、とても思うところがあります。興味のある方は読んでみてくださいね。
 そうして見ていた源氏は、絶対に手のとどかないある人と、あの少女が似ている事を思います。あの人の代わりに、あの子をそばに置きたいとおもい続けることになるのですが・・・?(続きは本で笑)
 さて、ここで、雀と籠が出て来ました。源氏と若紫の運命の出会いがこの場面です。雀がにげなければ、尼君と少女のやりとりはなく、源氏もこの少女をここまで見ていなかったかもしれません。そのように考えると、雀と籠はキーアイテムだったのですね。
このように、人を描かず、あるエピソードを景物によって表現する方法を、留守文様といいます。いろいろ探してみるとヒントになるかもしれません。

 源氏物語を読むこと、それは、かならずしも源氏物語全体を読まなければいけないものではない、と言うことをお話してきました。昔は巻ごとに本が作られ、人々も巻ごとの本を読んだり、ダイジェスト版を読んだりしたのでした。
 そして、なにかをカタチにするとき、それはある巻の、印象的なある一場面であるということもお話しました。
源氏物語は、読むべき部分も、カタチにすべき部分も、型として、伝えられてきました。それはそれですてきなことなのですが、現代の私たちからすると、発掘すべき部分がたくさんあるということです。
まずは簡単なあらすじを読んで、おもしろそうな巻を現代語訳や古文で読んでみると様々な発見があります。晶子、谷崎、から寂聴、最近では角田光代まで。作家の現代語訳ももちろん良いですが、中野幸一『正訳 源氏物語 本文対照』勉生出版(2013~2017)が古文にそった教科書的な訳をしています。興味のある方は挑戦してみてください。
古文にちょうせん!と言う方は、図書館に『新編日本古典文学全集』という白い全集本があり、現代語訳が載っているので便利です。大学で古文を読んでいる人は、どの本で源氏物語を読むかで好みが分かれますが、私は『新潮古典集成』という黒い本が好きです。
さあ、せっかくの機会です。つま先だけでも足を踏み入れてみましょう。日本文化の結晶とも、愛の文学とも、なんとも名状しがたい大きな世界がまっています。
ご一緒にまゐりませう。

※源氏物語本文は日本文学web図書館 平安文学ライブラリーの本文を用いました。
御手洗靖大(早稲田大学大学院文学研究科 M1)

多くの方に有斐斎弘道館の活動を知っていただきたく思っております。
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