目に見えない価値を守るための活動
今から40年近く前のことになりますが、新築の設計依頼をいただいてお話をした方が、皆川淇園の末裔でいらっしゃいました。ですから今の有斐斎弘道館の建物のことは随分前から知っていたんです。その後、京町家の保全・再生、そして活性化をめざす「京町家情報センター」を立ち上げて、事務局を預かりました。その活動のなかで、この建物が壊されそうになっていることを知ったんです。心配していたところ、以前から知り合いだった濱崎さんが有斐斎弘道館という形で運営されると聞いたときは大変驚きました。それで、評議員という形でお手伝いをすることになったんです。
私は町家を残す活動をしてきましたが、その活動も有斐斎弘道館の活動も、はっきりと、わかりやすいビジネスではありません。お金のやり取りの上で成り立っているわけではなく、これまで継続されてきた文化を次に継承していくという、目に見えない価値があるからやっていることです。だけど実際に続けていくには、今の社会制度のなかでは、どうしてもお金の流れがでてきますので、そこをどううまく組み合わせるのか。それがいつでも課題とされています。
人間と自然が強くかかわれる建物
有斐斎弘道館の建物は町家ではありませんが(町家とは、基本的には戦前木造住宅で職住一体の都市型住宅なので、道路に面して軒を連ねて建っている)、戦前の木造住宅ですし、庭が建物の周りを取り囲んでいる、すごく贅沢な造りです。自然とのやりとりが強い建物ですから、古来からあるような自然と人間とのかかわりを感じる場所として非常に貴重だと思います。
今は、音楽でも、旅行でも、生活の仕方も、簡単に国境を越えられます。日本人ということをあまり意識していない。国際的な人間になることがすすめられていて、そういうことを意識することは逆に邪魔になるような感じで捉えられています。それはそれでとてもいい部分もあるのですけれど、それはあくまで頭が考えていることであって、体はそうではありません。
人間はどこまで行っても自然の一部なので、自然を越えて人間が自然をつくるということはできません。やっぱり自然と人間とが対峙したときに、主と従の関係と言いますか、自然の方が上で、その下に人間がいるという感覚というのは絶対必要だと思います。
ここで生まれて育った体というのは、その風土と密接に関係があります。その場所で楽しめるかどうか、面白いと思えるかどうかというのは、究極的には、そこで生きていてうれしいと思えるかどうかなのです。
町家の外と内の間には中間領域という空間があります。縁側や屋根裏、床下もそうですが、外と内との間にある空間が、ショックアブソーバーのような緩衝地帯になってくれています。自然は雨が降ったり、風が吹いたり。寒かったり、暑かったり。人間が生(なま)でいるには辛い場所です。ですが、内部には外部から必要な要素だけを取り込むことができます。例えば光や暖かさはもらうけれど、暑さはいらない。そういうはたらきをする空間が、中間領域といわれる部分です。そこで調節をすることによって、うまく生活を組み立てているというのが、元々の日本の、戦前までの生活の仕方でした。
答えを一つに決めないことで、自然と折り合いをつける
ところが、1950年に建築基準法ができてからは、こういう建物を建ててはいけないとなってしまいました。構造として不可能になっているんです。現在の建築基準法は地震で揺らされたときに、耐えるように、台風のときの風に耐えられるようにと、自然をある種、「敵」とまでは言いませんが、その力に対抗する考え方で建物を構築しようとしているんですね。元々は西洋の考え方です。そういう考え方を取り入れて、戦後復興のときに建物を建てる基準ができました。
例えば地震に対して考えてみます。昔から続いている町家の建物は石の上にのっているだけです。極端に言えば揺れればずれるし、直下型地震だと飛び上がるでしょう。しかしそれは、それ以上に力が入らないようになっているんです。これは自然に対抗するのではなくて、その時々に対応しながら、中にいる人間が生きのびられるようになっている。斜めにはなるけれど、内部に空間を残すような考え方で造られているのです。どうしようもないような強い力を自然はもっているので、本当にダメなときは仕方がないんですが、それに対抗しようとは思ないで造ってある。先人のいろいろな知恵が入っているんです。
それが今は法律でだめですよ、法律で決められた一つの正解があって、それに合わせてくださいと。でも僕から言わせれば自然と向き合う方法でこれが正しいというものはない。それは、仮説の一つに過ぎなくて、いろいろな条件が合ったときはそうなるかもしれないけど、自然はそれに合わせてくれるわけではない。だから逆に正しくはないかもしれないけど、大きく間違ってはない。そんな町家のいい加減さのほうがすぐれていると思います。
捨てたものを拾い集めてもう一度見直す
今の時代は前にあったものを、顧みなくなってしまいました。どんどん前へ、前へと進んでいく。小さい子どもが新しいオモチャをつぎつぎともらうと今持っていたおもちゃを捨てていくように、次々とできていったものを、ぽいぽい後ろに捨てていく。この捨てられて見向きもされなくなったものを、もう一度ちゃんと見たら、すごい値打ちあるよというのが実はあるのに、です。
そういう感覚を取り戻すために町家や有斐斎弘道館のような建物は貴重で、逆に僕は時代の最先端だと思っています。もう一度見直して、そこにあった良さを現代に活かせることがあるはずです。そういうものを一つずつ拾い集めて、現代にアレンジして使って、それを面白いなって思ってもらいながら生活できたら、それが一番楽しいと思います。
有斐斎弘道館の庭や内部の空間に1時間とか2時間とか、いてもらいたい。そこにいることによって空間の良さを感じてもらうことができるのです。知らず、知らずですけど、緑がきれいだなとか風が気持ちよかったとか、何か心に残る。例えば、有斐斎弘道館の玄関へ行くには、飛び石のところを歩いていかないといけない。まっすぐには行けないんです。そのときに、足元に目をやったり、移っていく景色、腰掛けの待合(まちあい)など、趣や風情を感じながら通っていく。そういう体験が、街中でできるわけで、その人にとってはすごい発見になります。その体験が大切なんです。それがすぐには言葉にはならないかもしれないし、それをもとに何か行動したりするまでには時間がかかるかもしれないけれど、それが「種」みたいなもので、いつか芽が出るかもしれない。だからある一定時間、あの空間の中にいてほしい。ですから、講座やイベントをたくさんされているっていうはとても良いことだと思います。
今後を考えると、僕たちのような年代と、若い人たちでは知りたい、学びたいと思うことが違って当たり前です。これからは専門性の高いことを中学生レベルで分かるようにするような、敷居を意図的に下げた講座もあるといいと思います。もう一つは、一番身近な道具である体を使う体験もしてみてはどうでしょうか。最近は、頭は使いますが、体は使わなくなってきました。ほとんどが頭と目と手先だけでできてしまう。例えば、ご飯を炊こうとすると、昔は薪を割るところからやっていました。スキルがいるし、時間もかかる。ですが、今はスイッチ一つで誰でもできてしまう。皆川淇園は江戸時代の人です。ですから江戸時代の生活に近いような同じことをやってみるとかですね。人間の体を動く道具として使うようなという体験をやってみるのも、有斐斎弘道館ならではですし、おもしろいんじゃないかと思います。
今残っているものをうまく使いながら、多くの人たちの感性に訴えていくこと。有斐斎弘道館や町家を将来に引き継いでいくために、さまざまな方法を考えて行かないといけないと思います。
プロフィル>京町家情報センター代表・松井薫氏
町家の保全・再生、流通の活性化に取り組む「京町家情報センター」を2002年に立ち上げ、代表を務める。町家の不動産情報を収集し、改修にあたってコメントをしたり、持ち主の相談に応じたりしている。公益財団法人有斐斎弘道館評議員。