学びを社会に還元する、その起点の場に
私は生まれも育ちも京都ですから、有斐斎弘道館のような日本建築が並ぶ街並みに関しては人一倍強い愛着を持っています。しかし、時代の流れによって一部が取りこわされたり、変化していくというのは、ある意味仕方のないことだとも感じています。そんななか、市民の力で、有斐斎弘道館が伝統的な建物を保存されたというのは、尊敬に値すると思います。有斐斎弘道館が発足した当初から拝見していますが、建物をただ保存するだけでなくて、市民の学びの場に使われている、きちんと活用されていることは素晴らしいことです。学ぶことは社会の一員としての自分を再確認することでもあります。能動的に学び、誰かと一緒に何かをする。そうすることで、学びは社会に広がり、社会に還元され、社会を造っていくのです。
おそらくそれは、200年以上前の皆川淇園の精神にも繋がっているのでしょう。淇園は各地の大名ともかかわりながら、儒学を中心として学問を深めていきましたが、私塾の弘道館にはお坊さんや医者といったさまざまな市民も学んでいました。再興された現代の弘道館の活動も、まさにそうした土台のうえに立って運営されているように感じます。
再興して10年が経ち、この先、10年、20年、さらにもっと先、50年、100年ということを考えますと、社会の未来の在りようをふまえておかなければならないでしょう。過去と現在は違います。同じように現在と未来も違うはずです。ですから現在から未来を見据えて行動していくということが大切です。弘道館という組織としては、この目線をしっかり持っておかないといけないと思います。
人の在りようが変われば、文化も変わる
昨年末から今年にかけて、私にとって印象的だったのが「除日(じょにち)の鐘」の話題です。聞くと、数年前からこの話はあるそうですが、音が大きいので除夜の鐘を夜うたないで昼にうつと言うのです。そうなるには背景があります。今までは、人家から比較的離れた場所にお寺があり、そこで大みそかに除夜の鐘をうつことが多かった。人家から遠いところでうっていても赤ん坊が目を覚ますことはなかったんです。ところが、特に都市部では、家が増えて、生活の場所とお寺が近づいてしまった。時代の進展で文化も姿を変えていくわけです。
その地域に密着性をもたない人が住むようになると、いろいろな文化が入ってきますから、古くから住んでいた人と同じように除夜の鐘を受け止められないのは当たり前のことです。鐘をうつのを昼間に変更して、「除夜」ではなく、「除日」の鐘になる。そうなると昼間のほうが参拝に行きやすくなり、ある所ではそれで参拝客が増えたそうです。そうすることがいいことなのかどうかはすぐにはわかりません。ただ、何かを未来につなげていく過程で、このようにさまざまな問題がでてきたとき、人々は対応するということです。
人間がいて、地域があって、社会があって、初めて文化が成立します。人間と有機的な関係から文化があるわけですから、人間の在りようが変われば、文化の姿も当然変わっていかざるをえないということを、私としては考えさせられました。
京都の文化を守った「いけず」の精神
都市というのは、多くの人、多くの文化が入ってきます。そうなれば、その都市独自で固有の文化は薄まります。それでいいという議論ももちろんあると思いますし、成功したのが東京や大阪ですね。京都については、古くからの文化が先祖代々支えられているというイメージがありますが、それは一部であって、京都にもたくさんの人と文化が入ってきています。でも京都の文化は薄まってはいない。東京や大阪はむしろ積極的に外部の人、外部の文化を受け入れ、吸収して、発展していきました。
「いけず」という言葉があります。京都の人々は、いけずと言われながらも自分のことを守ってきました。けっして排他的ではなく、他のものも受け入れながらも、守るべきものはそれぞれの分野でそれぞれに見定めて守ってきたのです。そういう姿勢は、どんな文化でも受け入れるというところから見ると、「いけず」と映るのでしょう。
でも、京都にいけずがなかったら、今の京都はなかったと私は思います。外部の文化を正確に慎重に見定めて、吸収するものは吸収した。明治期の京都を見るとよくわかります。京都として大切にすべきものは見定めてそのまま残し、伝えてきた。この視点が今の京都をつくったのだと思います。
弘道館は市民の力で保存され、文化を受け継いできた。その良いケースとしてずっと続いていってほしいと思います。文化を守っていくには、地道に、根気よく、少しずつ伝えていくという努力が必要です。いきなり「これが正しいんだ」「これを守れ」という形で周囲と接しても伝わりません。ゆっくり、じっくり、丁寧に、そして焦らないこと。それが、文化を守る、継承するということだと思います。
プロフィール〉 京都市歴史資料館 館長 井上満郎氏
京都市出身の歴史学者。京都市歴史資料館 館長。京都産業大学名誉教授。日本古代史が専門で、渡来人とその文化、平安京についての研究を続けている。「桓武天皇と平安京」(吉川弘文館、2013)、「歴史でめぐる洛中洛外」(淡交社 2017)など著書多数。