貴重なものを大切にし、惜しまず使わせていただく。そうすることが、伝統を、想いを守ることに繋がる―観世流能楽師 林 宗一郎氏

江戸時代、まちに響いた謡をもう一度。能楽普及のために講座をスタート

7年ほど前でしょうか。奈良県桜井市の談山神社で行われた「談山能」という催しで、濱崎館長とお会いする機会があり、有斐斎弘道館のことを知りました。私は、お家元のところで修業して京都に帰ってきて、「能楽を普及させるいろんな活動をしたい」「自分の舞台を見に来てもらうための工夫をしたい」と考えていた時期でした。そこで、その想いを濱崎館長に相談しました。すると、「江戸時代、謡は京のまちのあちこちで響いていた、基礎的な教養。弘道館としても、能楽、とりわけ江戸時代初期から続く京観世林家の次期当主(当時)と考え合い、学び合うことは面白い」と言ってくださり、1 回きりの単発ではなく、定期的な講座をされたらどうですかというご提案を受けました。そこで、「宗一郎 能あそび」という講座をスタートさせてもらいました。それ以来、こちらを年に6回のペースで行うほか、毎月、謡の講座も行わせていただいています。

講座を始めたときから思っていることですが、いろんな角度から能に触れていただこうということが理念としてあります。当初は、広くわかりやすい内容だったように思います。ただ、貴重な舞台を経験させていただくなかで、役者として気付くことが増えてきて、もっと自分が掘り下げたいことをテーマにしてはどうかと思うようになりました。そこで、今年(2020年)は江戸時代の京都における能楽を取り扱うことに。私の家が江戸時代から続いているといっても、「江戸時代、どんな活動をしていたんですか?」「誰に謡の指南をしていたのですか?」「その時京都はどんな状況だったんですか?」と聞かれても、明確に答えられません。これではあかんと思いました。ですから、自分で調べてお話をしたり、専門の先生をお招きして、お話していただく予定です。

リピーターとして毎回来て下さる方もおられ、うれしい限りです。実はこんなに続けられるとはと思っていませんでした。続けてこられた理由としては、一般的な知識を提供するのではなく、あえて林宗一郎個人の想いを発信していくようになれたからかもしれません。「林宗一郎はそう思っているのか」「そういう解釈の仕方もあるんだ!」と楽しみにしてくださる方が増えてきたからかなと思っています。

学ぼう、知りたいという意欲に溢れた場だからこそ

「弘道館で何かできないだろうか―」。そう思った理由には、建物や庭の雰囲気が非常にいいなと直感で感じたことがあったでしょう。しかしそれ以上にここに集ってこられる方たちの何かを学ぼう、知りたいという意欲に満ち溢れていたところに惹かれたということもあると思います。

弘道館は交通の便がものすごく良いとは言えない立地です。ですが、交通の便がよければお客様は来て下さるのか、料金が安かったらお客様は来て下さるのか、逆に高かったら来ないのか。この数年の自分の活動を振り返って、そういうことではないと考えるようになりました。駅から2~3 分のビルの一室ではなく、四季折々の季節の移ろいを感じるこの場所で、学ぶ。そういう場所だからこそ人は集まるんじゃないかと思います。能楽という文化を知ってもらうためにも、能楽堂という近代建築の中だけではなく、自然が感じられる場所は大変貴重な存在です。

自分も文化を未来へ繋げていく身です。未来へ繋げるために必要なのは、惜しまず使わせていただくことだと思っています。価値ある能面や能装束なども、積極的に活用していく。もちろん、大切に扱わないといけません。ですが、形のあるものは朽ち、崩れていく。だから維持していくこと、残していくことは大変です。能面や能装束を未来に残すことは大事だから、使わないで置いておく。そうするだけでは文化を伝えることはできないと思います。それよりも、使わせていただき、昔から伝わってきた心の部分をしっかり捉えて未来へ繋ぐことが一番重要だと思います。

未来を見つめる勧進「新〈淇〉劇」

今回、有斐斎弘道館再興十周年記念委員の代表をさせていただいているのは、意味のある活動をされている方たちがいる、意味のある場があるということをもっとたくさんの方に知ってほしいと考えたからです。弘道館はいろいろな活動をしていますが、まだご存じない方もたくさんおられます。弘道館の活動は決して現代の社会に不要なものではなく、むしろ、必要なもの、私たちが忘れかけている何かを教えてくれる大切な場所なんだということを、とにかく知ってもらいたいんです。十周年記念の勧進「新〈淇〉劇」は、それを伝えるための演劇だと思っています。

出演する役者の大半は能楽師で、基本的には能楽の仕立てになっているのですが、これは 「能」だとは言っていません。篠笛の奏者、花を立てる方、落語家といった、能楽師以外 の方たちが出演され、多彩な方々が集ってつくる舞台です。それも弘道館らしいポイント です。

また、演出面でも新たな試みをしています。能は、大半の作品が過去の物語です。そのス
トーリーの中で、さらに昔の人たちが幽霊となって登場してきたりします。これが観阿弥、
世阿弥たちが作り上げた能のベースとすれば、その真逆を行ってみようと考えました。つ
まり、勧進「新〈淇〉劇」は未来を見る物語。これは能楽の作品には基本的にないことです。

舞台上で生きた皆川淇園が、「何百年後、この弘道館ってどうなっているんだろうな」と思う。そして現代で弘道館を守る人が、「淇園さんが生きてはったころって、どんなやったんやろうな」と思う。淇園の想いが未来に、現代の弘道館の人たちの想いが過去に行く。この二つが時空の中で交差します。
能楽を知らない方にも楽しんで頂けて、弘道館の日々の活動やどんな建物なのかということも伝えられるような内容になっています。ぜひこの機会に、一人でも多くの方にご覧いただければと思います。

プロフィール〉観世流能楽師 林 宗一郎氏

1979 年生まれ。父・十三世林喜右衛門、及び二十六世観世宗家・観世清和に師事。1982 年 「鞍馬天狗」にて初舞台。2003 年観世宗家に入門。2011 年に独立。2012 年「道成寺」披き。これまでに「乱」「石橋」「千歳」を披く。2013 年より能楽自主企画公演「宗一郎の会」を開催。2015 年には平成 26 年度「京都市芸術文化特別奨励者」の認定を受ける。京都観光おもてなし大使。現在、京都、岡山、鳥取に稽古場があり、謡と仕舞の指南にあたる。京都観世会、能楽協会京都支部、林定期能楽会所属。