有斐斎弘道館は“古いもの”ではなく“生き残ったもの”。だから説得力がある―株式会社memesスクエア代表取締役・奥田充一氏

お茶事にデザインの原点を見る

今から4、5年前になりますが、ASTEM(京都高度技術研究所)の「ビジネスデザインスクール」で、「デザイン思考」について語ってほしいというご依頼がありました。そのオープニングで、太田さんとの対談させていただいて、有斐斎弘道館を知りました。

なぜ、太田さんと対談することになったのか。デザインの粋を集めたものは京都にはたくさんあります。茶道は、日常生活に根付いたひとつのExperienceDesgin(体験のデザイン)、もしくはExperienceArt(体験型芸術)だと思います。アメリカのスタンフォード大学が、「IDEO(アイデオ)」というデザイン会社と行っている「デザインシンキング」という講座があり、その考え方が日本で流行っています。でも僕は、アメリカの真似をするのではなく、日本のやり方を考えてもいいんじゃないかと思っていたところ、アステムから一緒に作ってみませんかという提案をいただきました。そして太田さんというお茶の名人がいるから対談しましょうとなったわけです。

太田さんにお会いして、僕が考えているお茶とデザインの話をしたところ、お茶事に誘っていただきました。行ってみると、私が予想していた通り、茶道はすべての五感を総動員した芸術だと再確認しました。これは日本独特のデザイン思考をつくり上げるのに、大きなテーマになるかもしれないと。

僕がイメージしていたデザイン思考というのは、五感の問題と、それから物事を組み立てる構造が大きなテーマでした。デザインするというのは人の感性を刺激して、価値(概念)に高めていくという作業です。いろいろなものの捉え方があるけれども、最近の認知科学では、視覚、味覚、嗅覚、触覚、聴覚の五感に、平均感覚、内蔵感覚、運動感覚を加えた八感があると言われています。それらを全て使い尽くした体験デザインは、世界中を探してもそんなにありません。ですが茶事は、全ての感性を使い尽くしていると感じました。特に平均感覚と運動感覚が重視され、茶道には最も大事なものとして組み込まれています。躙り口から立ち上がる瞬間など、身体感覚がすごく大事ですし、飛び石を歩くのも一般に言う五感に加え、運動感覚や平均感覚が刺激されます。どの場面を取っても全身の神経を使うようにつくられているところがすごいと思います。これこそ、人が物事を体験する、精緻のデザインされたExperienceDesginと言えるでしょう。作法と言うプロトコルがあり、そのプロトコルを覚えることで、あとは全神経を使って、亭主とコミュニケ―ションする。このことについては、まだまとめきれていませんが、ExperienceDesginの原点だと感じています。

真剣勝負をしながら、人を包み込む

初めてお茶事に参加したときのことです。家で妻に白い靴下を渡されて、「靴下を白に履き替えるように」と言われていたのですが、すっかり忘れて黒い靴下で席についてしまいました。すると、亭主の太田さんは、はじめは真っ白い足袋を履いていたのに、途中で白と黒のホルスタイン模様の足袋に履き替えてきました。そして、僕の方をちらっと見ながら、「こんな足袋もあるんです」って言ってくれた。粋でしょう。僕は後で太田さんに、「奥田の為に、あんな演出していただいて……」とお礼を申し上げたら、これが「一座建立」って言うんですよって、太田さんが教えてくれました。お茶事は単なる芸術ではなくて、一つの社会の縮図があります。これはビジネス教育にも生かせると思います。

会社では部下が説明して動く、オーダーを出されて動くレベルでは遅い。「所長ならこういう風に考えるだろう。だからこうしておこう」と慮れるレベルでないとダメです。僕はそういう風にみんながなるように、〝無能所長〟を演じていました。「あの所長ほっといたら、何をしでかすかわからん。でも、なんか変なことやったらバシッとやられる」みたいな(笑)。

所長のもとには、決裁書が上ってきます。大事なことが書いてあるわけですから、普通は一生懸命読みます。でも僕は読みませんでした。持ってきたときに、「こんでええの?」と聞く。そこで部下の目がキョロキョロ動いたり、何となく自信なさそうな場合は「もういっぺん考えてきて」と、読まないで返します。「間違いありません、絶対やりたい」と持ってきたのなら、「分かった」と言って、目の前でハンコを押します。僕も経験がありますが、決裁書もらう時に、置いたままにされたら、とてもドキドキします。でも目の前でハンコ押されたら「やったー!」という気持ちになって、パッっと動く。そういうやりとりがお茶にはあります。道具のことを聞かれたときに、さらりと答えるときと、詳しく答える場合とがある。相手がどこまでそのことを知っているかをよんでから話している。これは、ビジネスの世界でも同じです。決裁書を持ってきていながら、オロオロしているようでは、しっかりした決裁書じゃないという判断をされてしまう。お茶には、真剣勝負の世界という側面もあるし、一方人を包み込む、仲間にしてしまう力もある。そこが面白いし、ビジネスの現場のコミニュケーションに役立つ訓練が楽しみながらできる。

新陳代謝の文化のなかで壊されなかった

今、本物の数寄屋建築は少なくなりました。だから有斐斎弘道館はシンボルとしても絶対に残さないといけないと思います。建物にはデザイン的にも、ものすごく情報が入っています。「古いもの」とよく言うけれど、200年ぐらい「生き残った」ものなんです。その時代が、「これはええもんや」として認めてきたもの。生き残ったものには、有無を言わさない説得力がある。文化財に指定されて生き残ったのであれば、政治的な意図で生き残った。ところが有斐斎弘道館のようなものというのは、皆川淇園といういわれはあるけども、皆川淇園が建てたわけではなく、あの当時の弘道館ではない。だけどもそういうものがなくても、時代が選択して生き残ってきた建物というのは価値がある。ヨーロッパのように、残す文化だったら、何千年も勝手に生き残って、建てるのも100年、200年かけて建てるでしょう。日本は新陳代謝の文化だと思うのですが、常に新しくしていく文化性を持っている。その象徴が式年遷宮でしょう。ただし、僕はそういうソフトウエアを残すために、ハードを新陳代謝していると思っています。20年に1回建て替えるのは、次の棟梁を育てるのにちょういいぐらいの時間。そうすると延々と続けられる。たとえ災害で全部なくなっても人間が生きている限りは再建できる。そういう文化です。

伊勢神宮や各地の神社のように、誰からも言われなくても大きな力や政治的に大事な建築物はそうやって建て替え、建て替えで生きていきます。でも民間がつくったものは誰も大事だと思っていない。それでも残っているというのは、その建物に力がある。「これは残さないといけない」とみんなが思ったということ。それがわかる人はだんだん少なくなっています。そのなかで生き残っている、残しているのが有斐斎弘道館なんです。

連なる山のような関西文化圏の力が欲しい

では、そうやって残されてきたこの有斐斎弘道館を、未来にどうやって残していくのか。それを考えなければなりません。

僕は今、京菓子展(※)の展示方法などをディレクションをさせていただいています。京菓子展のなかで動いているお金と言うのは、全然赤字です。ある程度収益があがらないと続けられなくなります。そのためには組織で支える。中も外も、です。それは市や府といった行政だけではなくて、京都という地域、京都市民とか京都の文化人が支えてほしいと思います。

加えて、さらに広い視野も必要でしょう。関西文化圏は東京よりはるかに深い、大きな文化を持っていると思います。ですから、全体としてまとまっていけたら、もっと面白いことになるんじゃないでしょうか。千葉、埼玉、神奈川、群馬、小田原や伊豆、は東京を中心として東京文化圏で成り立っている。ところが京都と奈良と大阪は、「そこは京都やさかい」「あそこは大阪やさかい」と言い、それぞれのアイデンティティを立てつつ、文化の規範は〝関西〟として一つです。だから僕らは、東京は富士山型で、ちょこっと横に、昭和新山みたいな横浜が出ているけれど、関西はアルプス連峰みたいな連峰型の山だと言っています。

確かに京都に存在するというのはすごく大事なことです。しかし、関西という連峰でまとまること、支えるのは関西一円という意識や組織作りをしていくことも、有斐斎弘道館を未来に残していくために重要な要素になってくると思います。

※京菓子展2019「手のひらの自然─万葉集」。毎年秋に、新しい京菓子を公募により選出し、入選作品を展示している

プロフィール〉株式会社memesスクエア代表取締役・奥田充一氏

シャープ株式会社総合デザインセンター所長を務め、2011年定年退職。現在、株式会社memeスクエア代表、合同会社実験経済研究所CEO、京都造形芸術大学プロダクトデザイン学科非常勤講師(2016年退職)、京都精華大学講師、大阪市立デザイン教育研究所非常勤講師など。公益財団法人有斐斎弘道館理事。