今、自分たちの経験から、伝統文化の本質的なメッセージを考えるときにきている―能楽大倉流小鼓方十六世宗家・大倉源次郎氏

現代の生活スタイルに、伝統を残すには

日本の文化は、衣食住にまつわる芸術なんだろうと思います。戦後の日本はどんどん在来工法の建築の住宅がなくなっていって、床の間はなく、生活自体が欧米化していきました。日本人の生活スタイル、大家族制度が崩れ、個人が大事となり、家族の空間は減りました。僕の家では祖父がいたころは、朝ご飯は祖父を中心に、みんな揃ってから食べていました。お風呂も、一度沸かしたらお湯があったかいうちに、みんな入りましょうって、1人15分ぐらいで次々に入っていましたよね。それが今は、ご飯はチンすれば食べられる。お湯はいつでも出る。家族はそれぞれ家を出る時間が違って、寝る時間も違う。それぞれバラバラに暮らしていて、東京の時間で生活していると衣食住の伝統的なスタイルが次の世代に伝わらない。それなのに伝統芸能の能だけ残そうとしても無理だと思う事が有ります。

都市部に残っているという奇跡

有斐斎弘道館は、日本人の原体験ができる空間として重要だと思います。在来工法の昭和以前の建物が次々に壊されていますが古民家の再生は非常に重要な時代にかかっていて、このような空間が残るというのは大量生産大量消費の現代に於いて奇跡的なことなのです。戦争で壊されたこともあるし、都市開発で壊されることもある。1番は相続という制度の問題が大きいと思いますが経済優先の社会では有斐斎弘道館のような無駄な空間はいらないということになります。

だからこそ都市部にあの空間があることの大切さを気付かせて、自分たちの生活や社会全体を見直すきかっけを作っていかないといけない。有斐斎弘道館は、都市部に残る日本の生活文化を引き継ぐ空間として、いかにして残せるかというモデルケースになっていると思いますし、いい前例になってほしいと思います。

どうしてこんなにハードを粗末にするようになったのか、日本の残念なところです。今、文化行政として何を保存しないといけないかと考えたときに、項目数でいったら何百、何千とあります。伝統工芸に限っても、漆、蒔絵、彫金、畳……いろいろとあります。そういうものを残し続けるような、伝統生活文化特区でも作らないといけないのかなと思いますよね、ここまで来たら。

産業革命以降、軍産一帯の経済優先の中に利権構造が生まれましたが、もうそろそろ戦争もやめないといけないし、地球が一日でも長く地球であり続けるようにするために、もっと知恵を絞らないといけないと学習している人は沢山います。

世界にはどうしてもお金を稼ぎたい人と権力を持ちたい人が居ますその人達に経験に裏付けられた持続可能な文化継承には文化革命を起こして農産一帯の中に利権構造を早く作ってあげる事ではないかと気づいたのも都市部に有斐斎弘道館を残すようなことから見えてきた事でした。

共有文化があるからこそ花開く

日本の伝統の柱は、やはり古事記、万葉集で、爾来日本語を美しく作り続けた言霊の幸はう国の伝統が新年の天皇を中心に続けられている歌会始めに繋がっているのです。そこから歌物語が生まれて芸能化した舞台芸術が能楽で歌舞伎、文楽と続くのです。それが日本の芸能・芸術あらゆる文化の母親的存在になっています。

お正月、有斐斎弘道館に入ると、松や鶴の絵が飾ってあって、床の間に爺さんと婆さんの置物がおいてある。そうすると、めでたい空気になる。それは能「高砂」と言う共有文化があるから楽しめた訳です。絵も、彫刻も、いわゆる見立ても、いろんな意味も含めて楽しめる。ですが今はそれがない、なくなったというか、わからなくなった。伝統工芸それぞれが違うジャンルで、共有しない文化でアイデア勝負の面白いものを作ろうとしている現状があります。

ブームで終わらせず、本質を伝える必要性

謡曲の「高砂」は、結婚式で理想の夫婦としてうたわれますが「高砂」の詞章なかに、「言の葉草の露の玉、心磨く種となりて」という古今の序の文句があります。「言の葉草」というのは、松の葉がたくさん繁る中から露の玉の様な美しい言葉を集める。それを選んで和歌をつくることが心を磨く種(花や実ではない)となる。それをやっていた夫婦だから実をむすんで諸白髪になった。言葉を大切にして心を磨いて仲良く出来たという和歌の徳を歌った謡曲なんですよ。めでたい、めでたいってやっているだけでは、ダメなんです。

僕も子どものころは、呪文のようにして、謡を覚えましたから意味は入ってきませんでした。でも人生経験が伴ってくると、あるとき、謡の言葉の意味が入ってくる。そこで気が付くんですね。自分が成長しないとわからない。僕も20代のころは、「高砂はめでたい謡だからやりましょう」っていたと思います。

こういう伝統は、少なくとも江戸時代までは育んでいましたが、今はうたわなくなって、本質を知らないまま世代交代をしてしまった。伝統文化が素晴らしいと言われるのですけど、何が素晴らしいんですかと聞けば、「昔の人はえらかった、美しい文句だね」だけで終わってしまう。「ここに書いてあることの意味はどういうことですか?」「それが何をメッセージとして伝えているんですか?」「これだけ社会が変わったなかで、次は何をしないといけないんですか?」という問いの答えを、僕らが経験値をもって考えなくてはなりません。

G20が大阪で有りましたが歌の父母が生まれた大阪難波の地で世界中の権力者が詩歌を寄せ合うなどの文化的な集いが出来ないのか次の大阪万博では訪れる世界の人々の歌を集めて令和兆葉集を作ろう!!とか出来ないでしょうか・・・。

「令和」が万葉集からとられたことは、非常に大きなチャンスを与えていると思います。古事記が何を伝えようとしたのか、万葉集が何をしようとしたのか。それは今、僕たちが伝える、第一義だと思っています。「翁」や「高砂」を次に伝える意味は、そこに集約されています。僕は僕の立場で得た情報を共有してもらって、また違うところで得た情報を教えていただく。そうしたモザイクがひとつの絵になって行く場所が弘道館の存在意義だと思います。

プロフィール〉能楽大倉流小鼓方十六世宗家 大倉源次郎氏

1957年、大倉流十五世宗家・大倉長十郎の次男として大阪に生まれる。1964年、独鼓「鮎之段」にて初舞台。1985年、能楽小鼓方大倉流十六世宗家を継承(同時に大鼓方大倉流宗家預かり)。2017年、59歳で人間国宝に認定。2017年に開催された有斐斎弘道館での連続講座「大倉源次郎の能楽談義」は、一冊にまとめられ、淡交社より出版された。