蕪村と若冲、 そして皆川淇園
今から300年前、尾形光琳が亡くなった正徳六年であり享保元年となる1716年、近世画壇を代表する与謝蕪村、伊藤若冲の両巨頭がこの世に生をうけました。若冲は錦の青物屋で、蕪村は摂津の農家の出身。蕪村は、江戸や丹後など、居を転々としたあと、四十歳前半に京都に移り住み、68歳で生涯をとじるまで、烏丸仏光寺あたりに住まいしたといわれています。若冲と蕪村は、およそ四半世紀の間、数百メートルの距離に居住していましたが、両者の交流の痕跡を見出すことはできません。
しかし、この二人の画風が確立する時代、室町中立売にいた儒者・皆川淇園には、蕪村と若冲のそれぞれと交歓があったことが知られています。この三人が活躍した時代は、京菓子の成立時期とも重なっており、現在の京都文化の重要な部分が築かれた時代ということもできるかと思います。そのような意味で、蕪村と若冲という、二人の巨匠の作品をモチーフとした菓子展を、皆川淇園の弘道館において開催することは、大変有意義なことと考えております。
弘道館と皆川淇園について
弘道館は、江戸中期を代表する儒者・皆川淇園(みながわきえん/1734−1807)が、1806年に創立した学問所で、全国から門弟が3千人集ったと言われています。皆川淇園は、18世紀の京都を代表する学者であり芸術家でもありました。その学問所址地に建つ有斐斎弘道館は、庭園や数寄屋建築などの文化的遺産の保存維持にとどまらず、茶道や能楽などの日本古来の文化や芸術に込められた深い知恵と類い稀なる美への精神性に学びながら、新しい時代を切り拓く優秀な人材を育成する学問所になるべく、皆様方のご支援をいただきながら活動をいたしております。また、江戸時代にそうであったように、分野を問わず多彩な人々が集まる場としての活用を進めています。
有斐斎 弘道館 ゆうひさい こうどうかん
京都市上京区上長者町通新町東入る元土御門町524−1
TEL/FAX:075-441-6662 E-mail:info@kodo-kan.com