江戸時代の文人と中国語――皆川淇園と荻生徂徠

江戸時代の文人、皆川淇園(みながわきえん)と荻生徂徠(おぎゅうそらい)について、研究・情報発信の一環として、京都大学中国語学中国文学研究室(日本学術振興会特別研究員PD)の濱田氏の協力を得て、本記事を掲載いたします。


江戸時代の文人と中国語――皆川淇園と荻生徂徠
濱田武志 HAMADA Takeshi

1.荻生徂徠と中国語教育

江戸時代前期の著名な文人に、荻生徂徠がいる。皆川淇園は徂徠の没後に生まれているので、両者にはもちろん直接の面識はない。淇園は、徂徠の古文辞学に対して批判的であった。淇園が古文辞学に対してどう論じていたのかについて、筆者は論ずる力を持たないが、「言語」という側面から、徂徠と淇園の二人を対照してみたい。「荻生徂徠への批判者」という視点で、淇園の思考の一側面を垣間見ることができればと思う。

実は、荻生徂徠は唐話(中国語)を話せたという。そして、岡島冠山という人物が、徂徠の結社に招かれて唐話を教えていた。岡島冠山は、元は長崎で唐通事(中国語の通訳)としての研鑽を積んでいた。しかし結局通事の職を得られず、長崎を離れて他所に活躍の場を求めるようになった。その後、『唐話纂要』や『訳文筌諦』など、重要な文献を著している。
荻生徂徠が岡島冠山を招いたのには理由がある。徂徠は、「漢文を理解するには、まずは現代中国語を学んだうえで、そして中国語として漢文を読むのが最良だ」と考えていたようである。「誰かが解釈したものを受け入れるのではなく、原典にあたって、そして自分で考えろ」「訓読は解釈だから、訓読なんかに頼るな」こういう論理である。なるほど、外国語教育でも「外国語をいちいち日本語に訳すのはよくない」という声はよくあるので、現代人の我々にも納得できる。内容が分かっていれば訓読できる。しかし、訓読できているからといって内容が分かっているとは限らない。
だが問題は、「漢文は話し言葉ではない」ということである。規範的な書き言葉である「正則漢文」は、既に当時の中国人――正確に言うならば、中国語を母語とする人々――の口語から乖離していた。中国本土の人間にとっても正則漢文は、音だけで理解することは難しい。正則漢文は、漢字の支えがあって理解できるものだったのである。今の中国語を話せるからと言って、古代の中国語が理解できるようになる保証はない。
仄聞するところによれば、インドの古典語であるサンスクリットの国際学会では、サンスクリットで発表する研究者も(ごくまれに)いるらしいが、東アジアの古典語である漢文では、こういう芸当はできない。数学者のジョン・フォン・ノイマンは、子供のころ古典ギリシア語で冗談を言えたらしいが、正則漢文で駄洒落を言って笑う日本の文人は恐らくいなかっただろうし、今後もいないだろう。
今日に至るまで、言語教育の世界では様々な教授法が開発されてきている。この中でも、外国語を読んで日本語に訳すという最も古典的な方法は、「文法訳読法」と呼ばれている。文法訳読法は、大学の外国語教育などでは今も実践され続けている。「運用能力が身につかない」「無味乾燥な授業だ」など、悪口も多い。ただ、様々な批判があることを承知で、「話し手がいない古典語の学習」に限って言えば、文法訳読法は最良の方法のひとつであろう。一語一語を吟味し、辞書や注釈とにらめっこをし、膨大な文献を当たって初めてわかることは沢山ある。形骸化した訓読は原典の理解につながらない、という徂徠の主張は肯ぜられるが、方法としての訓読まで全否定するのは、ちょっと行き過ぎのようにも思われる。だが、実際の話し言葉としての中国語を学ぶ重要性を掲げた点で、中国語教育の歴史上、岡島冠山や荻生徂徠は重要人物と言えるだろう。

話が逸れたが、そもそも徂徠はなぜ、「唐話で漢文を読もう」と考え出したのだろうか。それにはどうやら、淇園が反駁するところの古文辞学が関係しているようである。

2.古文辞学と開物学

荻生徂徠に始まる古文辞学は、中国(明)の文学復興運動の影響を受けて創始される。古文辞学では、太古の時代に「道」(統治基準)を作った人を聖人と考える。その聖人の語義(古言)に基づいて古典を読んでこそ、古典を正しく理解できるのであって、そのためには、語順をひっくり返すような訓読の方法は不適切だ、と考えている。日本思想史の中では、古文辞学は朱子学への批判という文脈で語られることが多い。
先に述べたように、徂徠がとった方法は、中国語の音で古典を読み、中国語として古典を理解する方法である。しかし、徂徠の一派が古典を読むその言語音は、現代(江戸時代)の中国語である。古代の音とは違うはずである。この問題を徂徠自身がどう乗り越えていったのか、東洋思想の門外漢である筆者にはよく分からない。
さて、道は聖人が作り出したものであり、聖人の「作為」によるものであると、徂徠は考える。これこそが旧来の朱子学にとって強烈な批判であったが、淇園が徂徠を批判した理由は、まさにこの「作為」の問題にあるという。勿論、淇園は朱子学の擁護者として反論を企てたのではなく、独自の開物学に基づく知見で論を展開したのである。
淇園は「道」を人為のものとする考えを受け入れなかった。そして、先行研究によれば、それと同時に「古音」に対する作為性に対しても批判を向けたという。淇園の著作『問学挙要』を見てみると、確かに「古今、言に殊なる、人皆これを知る。然れども、秦漢以前を以て、概してこれを古へと称し、混同して別なき者に至るは、則ち疎なり。(以下略)」とある(『近世後期儒家集』(日本思想体系47)pp.103; 370を参照)。略した部分も補って読むと「今と昔で言葉が違うのは常識だが、古い時代の言語だからといって、一緒くたにするのはおかしい。過去のどの時代の人も、古語を難しがっていたのだ。ならば、秦や漢以前の言葉を同じ一つのものとは呼べまい」といった所か。つまりは、「論者の都合のよいように『古音』が作り上げられているのではないか」という批判である。

さて、日本と中国の間には、思考方法に随分と違いがある。全くの印象論だが中国には、日常を超えた事物を、現実的な実在物に引き付けて考えようとする傾向があるように感ぜられる。この傾向は、神秘的なものであれ、思弁的なものであれ、共通して見受けられる。中国で何かと理想が過去に仮託される背景は、この辺りにあるのではないだろうか。「明朝による漢人王朝の復興」という中国的な文脈の影響を受けている徂徠の古文辞学が、古代の「道」や古音を重んずるのは、ある種の必然である。
一方、淇園の開物学を理解するには、「神気」という概念が鍵になるが、「神気」とは一体何なのか、我々にとっては不透明でよく分からない。それ故に、「淇園はよく分からない」ということになってしまう。しかし立ち止まって考えてみるに、「過去」という理想化された対象は、本当に自明でよく分かる概念なのだろうか。「人の作為」は無謬の論理で「天の神気」は欠陥の論理だと、本当に信じていいのだろうか。
およそ「論理」というものは、自分自身の前提(出発点)が正しいことを証明することができない。ヘーゲルの不完全性定理や、チューリングの停止性問題が、これを示している。結局人間は、自分の持つ懐中電灯でしか暗闇を照らせないのである。もちろん、「どんな論理も自分が正しいことを証明できない」ことと、「どんな論理も互いに等価である」ということは、別の話である。しかし、もし自分の懐中電灯の形を知りたいならば、他の明かりが必要である。
これは実に、人間が様々な学問を必要とする所以でもある。この意味で、分からない物事に忍耐強く耳を傾け続け、分かろうとする行為は尊い。淇園や開物学は、「よく分からない」と打っちゃるには惜しい独自性を持っている。

ところで、「どんな論理も互いに等価でない」としたら、つまり「論理や仮説には手堅いものとそうでないものとがある」としたら、人間はどうやって「手堅さ」を見極めているのだろうか。この話題は、淇園から離れて抽象的になること甚だしい。また別の機会にとっておくことにしたい。

淇園コラム 

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